バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

収穫

公開日時: 2020年12月7日(月) 00:01
文字数:2,093

 一瞬の静寂は刹那ののちに雷鳴じみた轟音へと転じ、すさまじい衝撃が一帯を駆け抜けた。

 身体の軽いサタロはころころと転がり、ラムダ以下三人も踏みとどまるのがやっとだった。

 破壊音波とでも呼ぶべきほどの金切り声。

 ウィルの位置でも頭が割れそうになったほどで、至近距離にいたラムダたちは、うずくまったまま動けなくなっている。

 絡まっていた角を網から外し、ビークが口をひらいた。

 ズラリと並んだ剃刀のような牙が光り、三又に分かれた舌から唾液が滴り落ちる。



 まさか、ここで終わるのか?



 ラムダたちのことは嫌いだが、死んで欲しいとまでは思ったことはなかった。

 いま、ウィルのいる場所からは、彼らに手が届かない。もし近くにいれば、助けて恩を売ることもできたのに。

 けれども心のどこかで、そうできないことにほっとしてもいた。



 風のような速さで、ひとつの影がビークに向かった。



 ――レムト!



 ノコギリ状の刃を持った大剣を担ぎ、ラムダとニッカのあいだを通り過ぎたところで、タン――と跳躍《と》んだ。

 さして強く地を蹴ったようにも見えないのに、重い武器を持った身体は高々と宙に舞った。

 振り下ろされた大剣が、ビークの顔面をしたたかに打擲つ。

 刃のある側を使わなかったのは、必要以上に傷をつけまいという配慮だろう。そこまで余裕のある状況か? という疑問は、続く数秒で氷解した。



 背後から飛んできた尻尾の一撃を、レムトは剣でビークを打擲った勢いを利用してかわした。

 そのままビークの背に降り立ち、右腕を首に巻きつけて抱え込むと、左手で抜いたナイフで素早く両目を抉る。

 耳をつんざく絶叫。さらにレムトは、声をあげるためにあけた口の中に、薬包のようなものを放り込んだ。

 ボフッ、と口中から黒い煙があがり、鳴き声が中断された。さっきのような破壊音波を出させないために喉を潰したのだ。

 レムトはビークの背中から飛び降りると、素早く腹の下に潜り込み、剣の峰で、今度は人間でいうみぞおちのあたりを突きあげた。

 離れていても、音を聴いただけでわかる。あの一撃は、とてつもなく重い。

 打擲った部分はすり鉢状にへこみ、全長八メートルはあろうかという巨体が一瞬浮きあがるほどの威力だった。


「なんだよありゃあ……身体能力を強化するフル―リアンとかなのか?」

「いいや、ちがうね。彼の武器は、鍛えあげた肉体と磨き抜いた技のみ――と、その筋じゃあ有名らしいよ」


 その戦いぶりを目の当たりにしても、なにか仕掛けがあるといわれたほうが、よほど納得がいく。

 いったいどんな鍛錬を積めば、これだけの戦闘力を身につけられるのだろう。

 ビークは口から血を流して地面に横たわり、ピクリとも動かない。完全に絶命していた。


「すっげえ! マジぱねえ!」


 ニッカとサタロが興奮して唾を飛ばした。めったに感情をおもてに出さないラムダまでが、目を丸くしてレムトを見ている。


「喜んでいるヒマはないぞ。とっとと解体だ。……ミツカ、だったか? 後ろの連中に、大物を仕留めたと報せてくれ」

「は、はいっ!」


 ビークの皮膚はおそろしく丈夫で、ニッカがナイフを使って皮を剥ごうとしてもまったく刃が通らなかった。

 ところがレムトの手にかかると、吸い込まれるようにナイフは皮膚に潜り込み、すいすいと皮を裂いていく。


「どんな手品だよ!?」

「コツがあるのさ。刃を入れる場所と向き。あとは、よほどのナマクラを使うんでもなければ、ほとんど力もいらん」

「でも、コイツを解体するのははじめてなんだろう?」

「まあ、経験だな。はじめて見る生き物でも、似たような環境でおなじように暮らしていれば、身体の構造も近くなる」

「なるほど。ビークに似た生き物というと、どんなものがいるのかな?」


 すでにニーニヤは〈億万の書イル・ビリオーネ〉をひらいて待ち構えており、ビークに関する情報収集に余念がなかった。


「内臓は塩漬けにして持ち帰る。薬として使えるものがあるかもしれん」

「ふむふむ」

「爪や牙なんかは武具に使ってもいいが、ひょっとしたら新素材を作るヒントになるかもな。まあ、ガラニアの職人ども次第だろうが」

「わくわくするねえ。これら一つひとつが、新しい世界へ繋がる扉というわけだ」


 ニーニヤは泥に埋もれていた青い毛を摘まみあげると、素早く書のページのあいだに挟み込んだ。

 ウィルは思わず声をあげそうになった。配分を決める前に戦利品に手を出すことはご法度である。あまり価値のなさそうな体毛であってもそれは変わらない。

 幸いにしてレムトはこちらに背中を向けており、ラムダたちにも見咎められなかった。


(ば、馬鹿! なにやってんだ?)

(つい)

(ついじゃねーよ! もどせって!)

(戦闘の最中に抜けたヤツだから、ゴミみたいなものだよ。固いこといわない)

(固いとかやわらかいとかってことじゃねーよ! 見つかったらヤバイだろーが!)

(いまさら遅い)

(なにが遅いって!?)


「どうしたんだ?」

「ひゃいっ!」


 振り向くと、ラムダが胡乱なものを見る目つきをしていた。


「な、なんでもない」


 思わずそう返してしまった。ラムダは「そうか」とうなずいて作業にもどる。

 ニーニヤがくちびるの端をあげた。これで共犯、とでもいいたげなのがムカついた。


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