バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

再会

公開日時: 2020年12月4日(金) 00:01
更新日時: 2020年12月8日(火) 17:57
文字数:3,185

 レムトへの挨拶が済んでも、ニーニヤは大人しくならなかった。

 出発までの寸暇を惜しむかのようにあちらこちらへと歩きまわり、なにか見つけるたび〈憶万の書イル・ビリオーネ〉にペンを走らせていく。

 常に成長と変化を続ける船内は、座標を示すコンパスを持っていても迷いやすいというのに、こんな調子なものだから、ウィルが〈図書館〉に来る前は、しょっちゅう迷子になっていた。

 まあ、わかっていたことだ。

 むしろ、いつも通りなのはいいことだろうと自分を納得させて、ウィルは彼女のあとをついていく。


「見たまえウィル。あそこにいるのは〈妖精の檻フェアリー・ケイジ〉の合成獣キメラだろう。きっと幹部の護衛として連れてこられたんだね」

「やめとけって。〈妖精の檻フェアリー・ケイジ〉っつったらマッド・サイエンティストの集団なんだろ。あんたも珍しがられて実験台にされるかも――」


 慌ててあとを追いかけようとしたウィルの足許に、茶色い尻尾が差し出された。

 あっ、と思ったときには足を払われ、甲板に這いつくばっていた。


「おっと、悪い」


 その口調と、口許にはりついているニヤニヤ笑いを見れば、わざとであることは明らかだった。

 相手はウィルの顔を覗き込むと、大げさに驚いてみせた。


「おやおや、おやぁ~ん?」

「もしかしてウィル? ウィルなの? うわぁ……」


 ウィルを転ばせた鼬人ウィゼリアの少年と、隣の鼠人ラッティオの少年が顔を見合わせた。


「ニッカ、サタロ……」


 ウィルは心の中で舌打ちした。

 できることなら、二度と会いたくないと思っていた顔だった。

 コイツらがここにいるということは――


「なんだよお前、生きてたんか」

「あー、ちっくしょう。損こいたわー。なあ、ラムダ?」


 ふたりのうしろに立っていた少年が振り返る。



 やはり、コイツもいたか――記憶の蓋が、嫌な音をたてながらひらいてゆく。



 あふれ出す、どす黒い感情。

 頬がひきつる。身体がこわばる。息が苦しくなり、思わず胸をおさえた。


「久しぶりだな」


 乾いた声が耳朶を打った。

 長身の彼は、ウィルよりもずっと高い位置に顔がある。くちびるを噛み、視線を上げると黄玉トパーズのような目がこちらを見ていた。


「なんで……ここに……?」

「決まっているだろう。俺たちも探索に加わる」


 しなやかな身体つき。ぴんと立った大きな耳と、ふくふくとした口許から生えたひげは猫人マオンのものだ。

 加えて彼は、とびぬけて整った容姿を持っていた。手足に散っている斑紋も、その美しい毛並みを際立たせている。

 しかし、彼の纏っている空気は、おっとりとしたリミュアとはまるでちがった。

 野心と自信に満ち溢れ、欲するものを手にするためなら非情な選択をも躊躇いなくおこなえる、冷酷な狩人とでもいうべきもの――



 ラムダ・レオパルディア。



 船内でも屈指の武装組織モールソン一家で、若手チームのひとつを任されているとは聞いていた。

 それにしても、加入から半年も経っていないのに異世界探索に出されるということは、それだけ幹部の評価も高いのだろう。



 ――自分とは、ちがう。



 無能の烙印を押され、一家から放逐された自分とは、なにもかも。


「どうした? 顔色が悪いな」

「な……なんでも……ない」


 数秒もまともに顔を合わせていられなかった。

 目を伏せ、痺れたようになっている舌を、必死に動かして答える。

 ふっ、という呼吸音が聞こえた。ラムダが笑ったのだろう。


「どうやら、幽霊じゃあないみたいだな」

「残念だったな、ミツカ。お前が賭けを断んなきゃ、ひとり勝ちだったのによう」


 サタロが、最後尾で身を隠すように立っていた少女に声をかけた。


「なっ。わ、わたしはそんな――」


 ミツカと呼ばれた少女は、ウィルのほうを一瞥すると、サタロの言葉を否定するように、ぷるぷると首を横に振った。

 ニッカが、なれなれしくウィルの肩に手を置く。


「お前がどんくらいでくたばるか、みんなで賭けてたんだよ。ミツカ以外はひと月以内に張ってたんだけど、外れちまったなあ」

「は、はは……」


 乾いた笑いが漏れた。

 文句は言いたくても出てこない。

 強大な力を手に入れた彼らの前では、ウィルはどこまでも卑屈になる。そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。

 でも、どうしようもないではないか。役に立たない、無力な自分は、ここでも――どこでも――顧みられる価値もない、石くれ同然の存在なのだから。



 そのとき、ぽん、と背中を叩かれた。



 一拍おいて、ニーニヤだと気づく。

 顔を上げて、と彼女は耳許で囁き、ウィルの前に進み出た。


「な、なんだよアンタ……」


 ニッカとサタロがたじろぐ。

 さすがにラムダは動じなかったが、怪訝そうに眉根を寄せ、ニーニヤをじっと睨んだ。


 ニーニヤはなにも言わない。

 すれ違う一瞬、目にした彼女の口許には、穏やかな微笑が浮かんでいた。

 恐れもなく、気負いもなく、すっと背筋をのばしただけの、それでいて見惚れずにはおれない立ち姿。

 その優美な姿勢を保ったまま、彼女はラムダたちを見返した。



 ただ、それだけ。

 声を荒らげたり、攻撃的な構えをとって威嚇するといったことは、彼女はいっさいしなかった。

 しかし、静かな威厳ともいうべきその奇妙な迫力に圧されたのか、先に視線をそらしたのはラムダだった。


「いくぞ」

「え? ま、待ってよ、ラムダ!」


 足早に立ち去るラムダの後を、ニッカとサタロが慌てて追いかけた。

 ふと見ると、ミツカだけがその場に留まっていた。

 目を伏せたまま、おなかのあたりで組んだ手をもじもじと動かしている。


「なにやってんだミツカ! 置いてくぞ」

「うん。すぐいくから」


 小走りに仲間のところへ向かおうとしたミツカは、ウィルの横でいったん足を止めた。


「そ、その……ウィル君?」


 顔を伏せ、ためらいがちに囁く。


「わたしは、嬉しかったよ」


 えっ、と思い、振り返ったが、まるで逃げるようにミツカの背中は遠ざかっていった。

 ラムダたちと合流してしまえば、今さら声を張りあげて聞き返すわけにもいかない。


「ほほーん」


 ニーニヤが、にまにまと笑みを浮かべた。


「よかったねえウィル、気にかけてくれる人がいて」

「そ、そういうことだったのか? 今の」

「他になにがあるっていうんだい? しかも、けっこうかわいいし、胸も大きかった」

「そこは関係あるのか?」

「あ、こら。比べるんじゃない」


 ニーニヤは腕で胸許を隠した。


「いや、正直アイツのことは、よくわかんなくて……」

「本当かい? 向こうはずいぶん親しげだったが」


 胸を比較されたせいか、ニーニヤは不機嫌そうだった。


「本当だって。嘘つく意味がわかんねーし」


 ミツカと出会ったのはたしか、奴隷市場だ。

 ウィルの最初の主人であるロアンギは、割り当てられた二十パールを自分が管理するという名目で徴収し、その金で安い家を一軒借りた。

 それから、食い扶持を減らすために不要な部下や使用人を奴隷商人に売り払った。そこにはウィルも含まれていた。

 使用人の中でももっとも若く、なにか技能を習得していたわけでもなかったから、切られるとすれば真っ先に自分だろうという予感はあった。

 ……それにしても、あんな尻の毛まで毟り取るような真似は酷すぎると思うが。

 商品として集められた子供たちは、種族ごとにわけて管理されていた。その中に、ミツカもいたはずである。

 はっきりしないのは、彼女がそれほど目立たない少女だったからだ。

 ラムダが人目を惹く美少年だとすれば、ミツカは「地味だけどよく見れば美人」というタイプだろう。

 それなりに社交的だが、あまり自分の意見を主張せず、誰かのあとについていくことが多かった。

 モールソン・ファミリーに養われていたわずかな期間、何度か向こうから話しかけられたこともあったが、まともに相手できなかった。

 なんとなく、自分を見ているような気がしたからだ。


(嬉しかったって……)


 賭けに勝ててよかった、という意味かとも思ったが、やはりニーニヤのいう通り、自分を心配してくれていたということなのだろうか。

 でも、なんで……?

 しばらく理由を考えてみたが、さっぱり見当がつかなかった。


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