船尾寄りの上層。ミングラシア商会所有の大邸宅。
その地下室には、静かな熱気といまにもはちきれそうな興奮が満ちていた。
「あと一分デス」
クロフの隣で、トノヤマが腕に嵌めた時計を睨みつけていた。
二ヶ月に一度開催される秘密オークション。
ダンジョンで発見されたり、外の世界から持ち込まれたものの、一般に流通させるには不都合のある品々が取引される。
開催場所は毎回異なり、自らの所有する物件を会場として提供することは、〈幽霊船〉の顔役たちにとっては一種のステータスとなっている。
主催はトブラック・カンパニー――トノヤマの務めている会社だ。
その主な業務は、船内の物流の管理と記録、そして監督である。
外界から隔絶された〈幽霊船〉では、特定の組織や個人が不正に物資を独占すれば、たちまち大きな混乱が起きる。場合によっては多くの住人が餓死したり、大規模な抗争にも発展しかねない。
そうした事態を防ぐために、トブラック・カンパニーは船内のあらゆる場所と組織に自社の社員を派遣している。
公正な取引がおこなわれているか、彼ら派遣社員は、常に注意深く物と金の動きに目を光らせる。
むろん、大人しく従う連中ばかりではない。むしろ、力と恐怖が支配する船内にあっては、そちらのほうが主流派だろう。
トブラック・カンパニーが公共の利益という看板を掲げ、意思を押し通すことができるのは、押し通すことができるだけの力を持っているからに他ならなかった。
クロフは二階通路の定位置に移動し、そこから広い会場を見渡した。
客やミングラシアのスタッフとは明らかに違う、スラムやダンジョンで暴れまわっているほうが似合いそうな雰囲気の人間が各所に配置されている。
クロフ同様、会場の警護のために雇われた連中だ。何人か、知った顔もいる。
いずれも名の通った荒事師や傭兵である。
荒事師と傭兵は、やっていることはほとんど同じだが、前者はもっぱら個人経営で、手っ取り早く戦力をかき集めたいときなどに声がかかる。
要はごろつきと大差なく、傭兵よりも低級な職業と見なされることが多い。
さらに、金さえ積まれればどんな汚い仕事でも請け負うことから死骸漁りと呼ばれる者たちもいるが、さすがにあちこちの顔役の集まるオークション会場ともなると、あまり場の品位を落とすような者は雇われない。
金にものを言わせて――などと陰口を叩く者はめったにいない。それもまた力のひとつである。
外部の戦力だけでなく、トブラックの社員もまた凄腕揃いだ。
トノヤマにしても、ひ弱そうな外見に反して相当の使い手であり、強面の男十人あまりを一瞬にして叩きのめすところを、クロフは見たことがあった。
そのくらいでなければ、他の組織に単独で乗り込んでいって、その取引の様子を監視するなどできるはずもない。
「時間デス」
トノヤマが顔をあげる。
会場は静まり返っていた。
覆面やヴェールで顔を隠した客たちが期待を込めた眼差しを向ける中、壇上に競売人が現れる。
馬鹿丁寧なお辞儀のあと、簡単な挨拶とオークションの開始が告げられ、最初の品が運び込まれてきた。
「これなるは、トプアクナのガルゼイ卿が秘蔵されていたダイヤの首飾り! ご承知のとおり、ガルゼイ卿は先日、内臓がグツグツのシチューのように溶解する奇病により急死されましたが、なにを隠そうこの首飾り、歴代の持主がことごとく謎の死を遂げたという曰くつきの品! さあ、それでもこの品を所望される方はおられますかな? 呪い、祟りなにするものぞという勇者は是非とも名乗りをあげて頂きたい! まずは一千パールから!」
「千二百!」
「千五百!」
「こっちは二千だ!」
「……五千!」
「一万」
あれよあれよという間に値が吊りあがってゆく。
「まったく、気が知れねえよな」
いつのまにか、クロフの隣に女が立っており、呆れたようにつぶやいた。
「はじめましてだな、幻槍のクロフさん。オレはルーティカ・ユーグラシア」
「俺を知っているのか?」
「アンタのことは荒事師仲間のあいだでも有名だよ」
「そうか……たしかに、チンピラを脅すのに使えるくらいには、名も売れているらしい」
いい暮らしとか、贅沢といったことに興味がないので、積極的に自分を売り込んだりはしてこなかったが、この稼業でそれなりの期間生き延びていること自体が、ひとつの評価基準となり得る。
「アンタも……相当使えるな」
「意外だねえ。お世辞を言うタイプには見えないが」
「その通りだ」
ニコリともせず、クロフは答える。
ルーティカと名乗った女からは、そばにいるだけでチリチリと肌を焼くような、尋常でない気配が感じられた。
緊張しているとか、気が立っているとか、そういう類ではない。
すこしくすんだ青の肌。
がっしりした肩や腰と、そこから伸びる長い手足。
太い眉の上に斜めに走る傷のようなものは、もう一対の目だ。
きれいに毛先が整えられたおかっぱ頭のてっぺんには、短い角が二本生えている。
彼女はヤーク族――青鬼とも呼ばれる希少種族だった。
頑健な肉体を持ち、体温をマイナス二十度から三百度という幅で自在に変化させると言われている。
生来特殊な力を持つ者も多く、覚醒の魔法石〈天啓の詞〉によってフル―リアンとなったヤーク族ともなれば、どの組織からも一目置かれる存在となり得る。
「今日のオークションには、なにかあるのか?」
「なんでだい?」
「ヤーク族の荒事師まで雇うくらいだからな。トブラックの連中の本気度が伺える」
「そういうアンタも、ヒト族っぽい見かけだけど、ちょっと雰囲気が違うな。ソレ系のレア種族かい?」
「ザルカ族だ」
「うーん……聞いたことねーな。よっぽど珍しいのか、それとも――」
こちらの表情をうかがうように、ルーティカが目を細める。
「その、ザル……カ族? みんなアンタみたいに強いのか?」
「さあ。どうかな」
戦いが得意だったかと問われれば、そうなのだろう。
だが、そのことに意味があったかは、またべつの話だ。
「ま、なんにせよだ。オレとしちゃあ、平穏無事で終わるよか、ナンかあったほうが愉しいけどな」
ルーティカは、官能的な口許に二本の牙をのぞかせた。
ひらひらと手を振りながら、自分の持ち場へともどっていくルーティカを、クロフは見送った。
胸中では、彼女を値踏みしている。
はたして――
あの女ならば、自分を殺せるだろうか?
遠ざかってゆくその姿は、はっきりと目に映っているのに、足音はおろか、気配すらも感じない。
さっき、いきなり自分の隣に立たれたのは、こちらの油断というわけではないということだ。
知り得たばかりのわずかな情報から、身体能力や戦闘技術を予測し、そこにクロフ自身の経験と知識、不確定要素を加味して修正を加えてゆく。
もし今後、ルーティカと敵対するような事態に陥った場合、どのように戦うか。
ほとんど無意識。不随意神経の活動にも近い、クロフにとっては身に染みついた作業だった。
当人に聞かれたら激怒しそうな内容ではあったが、こればかりは仕方がない。
それに、ルーティカ自身、トラブルを待ち望むような発言をしていたのだから、性根としては似たようなものだろう。
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