バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

餌食

公開日時: 2020年12月12日(土) 00:01
文字数:1,708

 意識はもどったものの、身動きは取れず、なにも見えなかった。

 手足を縛られ、ずだ袋に入れられた状態で担ぎあげられているのだろう。始終激しく揺さぶられ、内臓が圧迫される。

 たまらず腹に力を込めると、ニーニヤを運んでいた男がぴたりと足を止めた。


「どうした?」

「眠り姫がお目覚めらしいぜ」

「薬が切れたか」


 乱暴に地面に降ろされ、袋の口があけられる。新鮮な空気を求めて、ニーニヤは口を大きくあけた。


「よう。気分はどうだい?」

「最悪だよ」

「そうかい。なら、すこし休んでいくかい? ついでにその気分も、快感に変えてやれると思うぜ」


 男たちが下卑た笑い声をあげる。彼らのニーニヤを見る目は、獲物を前にしたけだもののそれだ。

 ニーニヤは、男たちに聞こえぬよう、そっとため息をついた。


「狙いはボクの本だね? おおかた、どこぞの好事家にでも頼まれたんだろう。ボクを生かしてるってことは、セットで持ってくるのが条件か」

「己の置かれた立場ってのを、よぉく理解してるみたいだな」

「――の、割にゃあ、ちと危機感が足りねえけどな」


 男たちがまた下品に笑う。


「たかが女ひとりのために、探索隊は本気で追いかけちゃあくるめえ。依頼主サマも、アンタが五体満足であること以外、特に条件はつけなかったしな」

「うん。それはそれとして、どうする気なんだい? このまま船までもどっても、検疫を抜けられるとは思えないけど」

「心配ねえよ。検疫官を買収してある」


 ニーニヤは思わず目を瞠った。男たちの表情は、冗談を言っているようには見えなかった。

 我慢してやりすごそうと思ったが、あまりにも無邪気な彼らの姿を前に、ついにはこらえきれなくなる。


「アッハ……! フフ……ファハハハハッ! すごいなある意味!」

「てめ……ッ! なにがおかしい!?」

「……いや、ゴメン。知らないんじゃあしょうがないよね。でも、キミたち本気で信じてるのかい? 彼らが約束を守るって」

「なんだと?」


 男たちの顔から表情が消えた。ニーニヤはいったん、くちびるを舌で湿らせてから、おもむろに口をひらいた。


「いいかい?――〈幽霊船〉のクルーはねえ、ふつうの人間とはちがう常識の中で生きている。彼らにとって、ボクやキミたちとの約束なんて大した意味を持たないし、金銭なんて、それこそ無価値だ」


 厳密には、生きていると言えるのかすら疑問だったが、そこは置いておく。


「け……けど、話を持ちかけたとき、金をよこせっつったのは奴らのほうだぞ!」

「ポーズだよ。キミたちの常識に寄せて、演じてみせたにすぎない」

「デタラメだ! コイツの言うことには、なんの証拠もねえ!」

「だったら試してみるかい? 負ければ、キミたちは虚無の海に放り込まれて欠片すら残らない。そんな分の悪い賭け、ボクだったら恐ろしくて、とても乗る気にはなれないな」


 ニーニヤが上目遣いに見あげると、絶句した男たちは恐怖に顔を歪め、全身をわななかせた。


「……だ、黙れ! 俺たちを担ごうったって、そうはいかねえ……ッ!」


 さっきまで担がれてたのはこっちなんですけど、とニーニヤは内心呟いた。

 リーダー格と思しき男が、鞘に収まったままの剣を振りあげた。いちおう、ニーニヤを傷つけまいという理性は残っているらしい。

 だが、遅い。

 彼らが狼狽えているあいだに、ニーニヤはやるべきことを終えていた。

 立ちあがる。手足を縛っていたロープがハラリと落ちる。


「なっ!?」


 ヴァンパイアの中でも力の強い者は、影を操ることができるとされるが、蝙蝠人バッティストにもそれに準ずるような能力がある。

 影と同様漆黒で、かつ己の肉体の一部でもあるもの――すなわち髪の毛を、自由自在に動かせるのだ。

 さすがに影ほどの万能性はないが、束ねて手足の替わりとしたり、翼のかたちを作って飛行するくらいのことはできる。

 もちろん、その辺のナイフ程度の切れ味なら、刃物を形成するのも容易い。

 その能力を使って、会話で気をそらしているあいだにロープを切った。

 同時に〈億万の書イル・ビリオーネ〉を入れてある包みも引き寄せ、中身を取り出しておく。

 地面に置かれた〈億万の書イル・ビリオーネ〉がひとりでにひらき、パラパラとページのめくれる音をたてる。

 ホドロたちが唖然として見守る中、ニーニヤの望む箇所で、それは止まった。


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