意識はもどったものの、身動きは取れず、なにも見えなかった。
手足を縛られ、ずだ袋に入れられた状態で担ぎあげられているのだろう。始終激しく揺さぶられ、内臓が圧迫される。
たまらず腹に力を込めると、ニーニヤを運んでいた男がぴたりと足を止めた。
「どうした?」
「眠り姫がお目覚めらしいぜ」
「薬が切れたか」
乱暴に地面に降ろされ、袋の口があけられる。新鮮な空気を求めて、ニーニヤは口を大きくあけた。
「よう。気分はどうだい?」
「最悪だよ」
「そうかい。なら、すこし休んでいくかい? ついでにその気分も、快感に変えてやれると思うぜ」
男たちが下卑た笑い声をあげる。彼らのニーニヤを見る目は、獲物を前にしたけだもののそれだ。
ニーニヤは、男たちに聞こえぬよう、そっとため息をついた。
「狙いはボクの本だね? おおかた、どこぞの好事家にでも頼まれたんだろう。ボクを生かしてるってことは、セットで持ってくるのが条件か」
「己の置かれた立場ってのを、よぉく理解してるみたいだな」
「――の、割にゃあ、ちと危機感が足りねえけどな」
男たちがまた下品に笑う。
「たかが女ひとりのために、探索隊は本気で追いかけちゃあくるめえ。依頼主サマも、アンタが五体満足であること以外、特に条件はつけなかったしな」
「うん。それはそれとして、どうする気なんだい? このまま船までもどっても、検疫を抜けられるとは思えないけど」
「心配ねえよ。検疫官を買収してある」
ニーニヤは思わず目を瞠った。男たちの表情は、冗談を言っているようには見えなかった。
我慢してやりすごそうと思ったが、あまりにも無邪気な彼らの姿を前に、ついにはこらえきれなくなる。
「アッハ……! フフ……ファハハハハッ! すごいなある意味!」
「てめ……ッ! なにがおかしい!?」
「……いや、ゴメン。知らないんじゃあしょうがないよね。でも、キミたち本気で信じてるのかい? 彼らが約束を守るって」
「なんだと?」
男たちの顔から表情が消えた。ニーニヤはいったん、くちびるを舌で湿らせてから、おもむろに口をひらいた。
「いいかい?――〈幽霊船〉のクルーはねえ、ふつうの人間とはちがう常識の中で生きている。彼らにとって、ボクやキミたちとの約束なんて大した意味を持たないし、金銭なんて、それこそ無価値だ」
厳密には、生きていると言えるのかすら疑問だったが、そこは置いておく。
「け……けど、話を持ちかけたとき、金をよこせっつったのは奴らのほうだぞ!」
「ポーズだよ。キミたちの常識に寄せて、演じてみせたにすぎない」
「デタラメだ! コイツの言うことには、なんの証拠もねえ!」
「だったら試してみるかい? 負ければ、キミたちは虚無の海に放り込まれて欠片すら残らない。そんな分の悪い賭け、ボクだったら恐ろしくて、とても乗る気にはなれないな」
ニーニヤが上目遣いに見あげると、絶句した男たちは恐怖に顔を歪め、全身をわななかせた。
「……だ、黙れ! 俺たちを担ごうったって、そうはいかねえ……ッ!」
さっきまで担がれてたのはこっちなんですけど、とニーニヤは内心呟いた。
リーダー格と思しき男が、鞘に収まったままの剣を振りあげた。いちおう、ニーニヤを傷つけまいという理性は残っているらしい。
だが、遅い。
彼らが狼狽えているあいだに、ニーニヤはやるべきことを終えていた。
立ちあがる。手足を縛っていたロープがハラリと落ちる。
「なっ!?」
ヴァンパイアの中でも力の強い者は、影を操ることができるとされるが、蝙蝠人にもそれに準ずるような能力がある。
影と同様漆黒で、かつ己の肉体の一部でもあるもの――すなわち髪の毛を、自由自在に動かせるのだ。
さすがに影ほどの万能性はないが、束ねて手足の替わりとしたり、翼のかたちを作って飛行するくらいのことはできる。
もちろん、その辺のナイフ程度の切れ味なら、刃物を形成するのも容易い。
その能力を使って、会話で気をそらしているあいだにロープを切った。
同時に〈億万の書〉を入れてある包みも引き寄せ、中身を取り出しておく。
地面に置かれた〈億万の書〉がひとりでにひらき、パラパラとページのめくれる音をたてる。
ホドロたちが唖然として見守る中、ニーニヤの望む箇所で、それは止まった。
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