バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

日常

公開日時: 2021年1月12日(火) 00:01
文字数:1,045

 ゼラーナの表の顔は、仲買人兼鑑定士だ。

 誠実な仕事でコツコツ積み上げた仕事というのは馬鹿にならず、信頼や信用はいい隠れ蓑になる。

 希少性操作能力を使えば大きな儲けが期待できるが、無論のこと危険も覚悟しなければならない。

 変装し、偽名を使い、立ち居振る舞いも仕事のたびに変えている。

 能力で商品の価値をはねあげると、大抵の相手は目が眩み、それを持ってきたゼラーナのことはほとんど印象に残らないのだが、用心に越したことはない。

 上層、下層の区別なく、〈居住区〉ではいつも誰かが誰かに喰らいつく機会をうかがっており、一度喰らいつかれれば骨までしゃぶられるのが常だからだ。

 奪う者と奪われる者が目まぐるしく入れ替わる修羅の世界――

 ゼラーナはそれしか知らない。

 そんな場所しか見たことがない。

 だから、自然と敏感になる。

 視線と。

 悪意と。

 欲望の匂いには。

 背後から近づいてきた気配は、残り数歩の距離を一瞬で詰め、ゼラーナの腕をつかんだ。

 そのまま、人気のない路地に引きずり込まれる。

 男のもう一方の手には、まがまがしい刃物の輝きがあった。

 ゼラーナがどんなに慎重に行動しようとも、正体に辿り着く者の数をゼロにすることはできない。

 探索や追跡に長けたフルーリアンはどこにでもいるし、それ以外にも、彼女の想像を絶するような能力者は存在する。


「待って。いきなり殺すなんて乱暴じゃない? 条件次第で雇われてあげてもいいわよ」

「うるさい。黙れ」


 ゼラーナ自身の目から見ても、彼女の能力は利用価値が高い。

 それを、いきなり始末しにかかるとは。

 この刺客の依頼人は、能力の全貌を把握していないか、それとも把握した上で危険と判断したか。

 今日は前者だろう、とゼラーナは踏んだ。

 ならば、あしらうのは容易い。

 突然、彼女を拘束していた男の手が緩んだ。

 汚い仕事をこなす人間の纏う、特有の緊張感が薄れ、若干呆けたような顔つきになる。


「ったく……跡になっちゃったじゃない」


 手首をさすりながら文句を言うゼラーナの声も、男の耳には届いていないようだった。

 いま、男の中で、ゼラーナの価値はストップ高となっている。

 空気のように当たり前な存在を、認識することは極めて困難だ。

 優先順位としてあらゆる物事の下に置かれ、去来する様々な思考の底に埋もれてしまう。


「あれ? 俺、ここになにしに来たんだっけ?」


 ぶつぶつ言いながら、男は通りにもどっていった。

 それを見送るゼラーナの口許には、自嘲の笑みが浮かんでいた。

 己の価値を限りなく下げるという行為は、わかっていても虚しさを伴うものなのだ。


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