バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

求めたもの、手に入れたもの

公開日時: 2021年1月4日(月) 00:01
文字数:4,338

 別室で待つように言われてから、かれこれ三十分ほどが経過した。

 僕らのためにと用意された食事は、木の椀に入った、なんだかよくわからない粥のようなものだった。


「なあ……なんか、肉みたいな固形物が混ざってるんだけど、まさかな……」

「大丈夫だと思うけど。ほら、彼女にも同じものが出されてるだろ。まさか共食いさせるなんてことは――」


 どうなんだろう……?

 偏見はよくないけど、なにしろギンメル人はあの見た目だ。

 僕ら人族とは思考様式が根本から違うなんてことは、十分にあり得る気がする。

 そもそも、人族だってしないわけじゃあないしな……

 などと考えていたら、食欲がなくなってきた。

 出されたものは平らげないと、失礼にあたったりするのだろうか。


「それより、悪かったな。任せっきりにしちまって」

「いいさ。人には向き不向きがある。オルムスはいつもどおり、デンと構えててくれればいい」

「そこはかとなく馬鹿にされてるような気もするけど……まあいいや」


 少女は匙が使えないので、オルムスが食べさせてやっている。

 カリュメの知能は犬程度という話だが、オルムスの意図はちゃんとわかるらしく、大人しくお世話されている。

 時折、お礼のつもりなのか、おでこをこすりつけたり、ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らしたりもする。

 多少の違和感はあっても、それらはかなり人がましい仕草であり、単なる家畜と割り切れないオルムスの気持も、まあわからなくもない。


「ストルティもやってみるか?」


 そう言われて、同じように粥をすくって差し出したが、少女は「う~」と唸って口をつけようとしない。


「やっぱり」

「なにがやっぱりなんだ?」

「嫌われてる。こいつ、思ったより賢いな」


 僕の言葉に、オルムスが首をかしげる。


「自分の味方と、そうでない人間とがちゃんとわかってるってこと」

「お前は味方じゃないのか?」

「好きでも嫌いでもない。どうでもいい生き物だと思ってる」

「どうでもって――そんなふうに思ってるのに、なんでこんなことしてんだよ」

「すくなくとも、お前の味方ではあるから、かな」


 オルムスは目を丸くした。


「そんな理由で?」

「悪いか?」

「悪くはない……とは思う……けど、なんでそこまで、っていうか……やっぱりわかんねえよ。そこまで自分の感情抜きに行動できるもんなのか」

「べつに普通だろ。お前はすぐに感情的になるタチだから、わからないかもしれないけど」

「やっぱり馬鹿にしてないか?」

「ちがうよ。羨ましいんだ。お前の見ている世界はシンプルで、それはきっと、綺麗なんだろうなって」


 オルムスがぽかんとする。

 べつに構わない。

 僕にとって、オルムスがわからないことだらけなように、オルムスにとっての僕も、そうというだけの話だ。

 そういうものだし、それでいい。

 わかってもらおうと思って言ったわけではない。


「お待たせしました」


 タイラさんが現れた。


「女王はなんと?」

「はい。許可してもよいそうです」

「おお」

「でもその前に、カリュメの暮らしを見て欲しいそうです。あなた方が彼らを酷く扱っていると思っているなら、その誤解を解きたいと」


 タイラさん自身も入るのは初めてだというカリュメの飼育舎は、ギンメル人の住居とは明らかに作りがちがっていた。

 壁こそ他の建物と同じ土製だが、屋根は藁ぶきで、入口や窓には木の戸板が使われている。言ってしまえば、人族の家に近い。

 窓も扉もぴったり閉まるようにできているのは、外部から隠すためだろう。

 見張りにとついてきた女王の側近を入口に残し、僕らは飼育舎に入った。

 屋根に明り取りの窓もあるため、中はかなり明るかった。

 思ったほど匂わないし、換気も行き届いているのだろう。


「思ったよりきれいですね」

「あなた方に見せるために、慌てて掃除したわけではありませんよ」


 タイラさんも驚いているのか、ちょっぴり声が上擦っていた。

 物音に反応して、奥のほうから数人のカリュメが近づいてきた。

 初めて見る僕らに対し、警戒心よりも好奇心が勝るのか、目をいっぱいに見ひらいてようすをうかがっている。

 オルムスの背後に隠れていた少女も、嬉しそうな顔をしてとびだしてゆき、柵を挟んで彼らと対面した。

 隙間から手を差し入れてふれあい、明らかに親愛の情のこもった声を交わす。

 人間の定義に当てはめるなら、再会を喜び合っているといったところだろうか。 


「すこし安心しました」


 タイラさんは、口許にほんのり笑みをのぼらせていた。


「どうやら本当に、カリュメは大切に扱われているようですね」

「で、でも、着てるもんはみんなボロっちいぞ」


 オルムスが不満げに言う。


「それは、ギンメル人に服飾の文化がないからでしょう。ほら、女王からして衣服はおろか、装飾品すら身に着けていなかったでしょう?」

「これでわかったよな、オルムス。彼女はべつに、不幸だったわけじゃあない」

「これを見ても、彼女を仲間から引き離そうという考えは変わりませんか?」

「でも食われるんだぞ。そうと知っちまった以上、放ってはおけない。俺のところに来たのは、運命だったと思う」

「頑固だな。ま、いいけど」


 僕の提案は、いたってシンプルなものだった。

 少女を買い取るという点では最初の提案と同じだが、隠すのではなく、人間として暮らさせる。

 言葉の問題は、ひとまず、生まれつき喋れないものとしておく。

 そして、周囲には頃合いを見て真実を伝える。

 他種族の目から完全に隠しおおせるのが無理なら、徐々に慣らしていけばいいという理屈だ。

 もちろんタイラさんとしては、なんの保証もなく提案を受け容れることはできない。

 そこで、僕の身柄をトブラック・カンパニー預かりとし、僕自身の責任でもって、少女を管理する。

 いわば、人質のようなものだ。

 今後、僕にはトブラック――直接にはタイラさんへの報告義務が生じ、トラブルが起きた際には相応の処分が課されることとなる。

 そこまで話が及んだときの、オルムスの顔は見ものだった。

 自分のしでかしたことで、友人の僕が泥をかぶるかたちになったのだから。

 まったく、覚悟も考えも足りていない。

 笑うしかないとはこのことだ。


「本当にいいんですか? 他人事みたいに仰ってますけど」

「構いません」

「ストルティ、お前……」


 煮えきらない表情で見つめてくる親友に、僕は挑発するような笑みを向けた。


「肚をくくれ。これがお前の望んだことだ、オルムス」





 カリュメの少女を買い取ってから、ひと月が過ぎた。

 もともと口止め料も込みだったので、礼金はいくらか手許に残った。

 その金で、僕らはすこしだけマシな家に引っ越した。

 以前に比べ、隣人が程よく他者に無関心なのがいい。

 少女のことも、すこし鈍い人族だと思われている。


「では、問題ありませんね」

「はい。オルムスはうまくやっています」


 僕は見習いという扱いでタイラさんの下働きをしていた。

 やることは主に雑用だが、たまに密偵のようなこともさせられる。

 タイラさんが言うには、貴方はどこにでもいるような顔だちなので向いている、とのことだった。

 基本的に、少女の世話はオルムスに任せ、僕は仕事場と家を往復する日々を送っている。


「百年前の騒動ですが、当初はあれほどこじれるとは、誰も考えていなかったようなのです」


 経過報告は密におこなう関係で、タイラさんとは必然的によく話をする。

 この日も昼食を摂りながら、いつもと変わらぬようすで向こうから話を振ってきた。


「簡単に片がつくと思われてたってことですか?」

「ええ。家畜が特定の種族に似ているなんていう話は、ありふれていますから。ところが、いざ話し合いが始まると、ほとんどの亜人種がギンメル人の食文化に嫌悪感を示しました」

「亜人種といえど、半分は人だから?」

「はい。ですが、それは一般的な解釈です。それではまだ、理解が浅い」

「というと?」

「私はこう考えます――どの種族も、自分たちが考える以上に“我々は獣ではなく人である”と思っていた。それが、カリュメの脱走という事件によって顕在化したのではないかと」

「面白いとは思いますが……」

「まあ、これは日常的にギンメル人と過ごしている私が、なんとなく思いついたというだけの話ですが。もし興味があるなら、かの〈記録魔ザ・レコーダー〉が持つ魔書あたりには、詳しい経緯が記されているかも知れませんね」


 雑談をするときはいつもそうなのだが、タイラさんの笑顔には一部の隙もない。

 なにか意図があってその話をしたのか、あるいは本当にただ雑談がしたかったのか。

 それがさっぱりわからない。

 割と腹芸には自信があったつもりの僕としては、上には上がいると感じるところしきりである。

〈派遣社員〉というやつは、皆こうなのだろうか?


「そんなに警戒しないでください」


 タイラさんが表情を緩め、見透かされていた僕は頬が熱くなるのを感じた。


「あ、いえ。警戒は解かなくてもいいのかもしれませんね。私たちの恐ろしさを含め、学ぶつもりで貴方はここにいるのですから」

「……やっぱり怖いですね。とっくにお見通しでしたか」

「あえて意図を読ませた上で、私に面白い人間だと思わせる――あの一連の交渉すべてが売り込みだと気づけば、当然そこに帰結します」

「困ったな。これからは、なにもかも腹を割って話したほうがいいですかね?」

「やめておきましょう。それでは愉しくありませんから。お互いに」


 またしても、あの左右対称の完璧な笑み。

 本当にこの人は……


「でも、タイラさんの眼鏡にかなってよかったですよ」

「知識、弁舌、柔軟な思考――いろいろありますが、私がもっとも評価した点は合理性です。ストルティさん、貴方はそもそもの最初から、カリュメに同情などしていなかった。亜人種でさえ嫌悪した、人そっくりの生き物を食用とする行為を完全に受け容れていた。これは、とても稀有なことです」

「あいつは、昔から気に食わないみたいですけどね。僕のそういうところが」

「さっきはああ言いましたけど、いまだけはそれを撤回します。貴方は、オルムスさんの選択を本当はどう思っていたんですか?」

「決まっています。愚行ですよ」

「ほう」


 タイラさんが、身を乗り出すようにして左右の指を組んだ。


「浅慮で短絡的で感情任せ。あいつはいつもそうです」

「辛辣ですね。でも、それならなぜ彼の望みをかなえようとするんです?」

「だからですよ」


 タイラさんの目に、初めて困惑の色が浮かんだ。


「そういう安っぽくて浅はかな行為は、その場その場の正直な気持ちではあったとしても、本気とはほど遠い。だから僕も協力できるんです」


 もし、本気だったなら。

 きっと僕は――



 胸の奥で燻るものがある。

 その正体を、その名前を、僕は知っている。

 知っているから、決して口にすることはない。

 タイラさんは、果たして納得したのかそうでないのか。

 元の通りの笑顔にもどっていた。


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