バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

太歳の女

公開日時: 2021年1月9日(土) 00:01
文字数:2,370

 まず、尻尾がひきはがされ、次に足のフックが外された。

 どちらも力任せだ。

 ありえない。

 竜人族フォニーク同士、身体能力にそこまで差がないのであれば、そんな外し方のできる技ではない。


(でもっ……あれこれ考えるのは後!)


 脱出したリーゼルは、間髪を入れずにこちらへ向かってくる。

 離れれば、また霧で身を隠される――そう判断したかは怪しい。

 彼女の目からは、理性の光が消えていたように見えたからだ。

 大振りの、しかしとてつもなく疾く、重いこぶし。かわしたが、風圧だけで頬が裂けた。

 腹部を狙ってアッパー。固い。腹筋だけで止められた。態勢が崩れていたとはいえ、信じがたい防御力だ。


(まさか、これが?)


 蜘蛛女と戦ったときに見せたという、驚異的な戦闘力の増大。

 話半分に聞いてはいたが、本当だったとは。

 だとすれば、発動条件は生命の危機?


(そうなのかな……いや、たぶん……そうなんだろうなあ、状況的に。うわあ……やっちったなぁ……)


 リーゼルに対する申し訳なさももちろんあるが、これを報告した後のことを思うと陰鬱になる。

 間違いなくグラナートからのキツい説教が待っているだろうし、他の仲間――とりわけセレスタからの心象が悪くなるのが痛い。


「ああ、もう! なんでこんなことになっちゃったのよ!」


 叫びつつ放った右ストレートは、カウンターとして非の打ちどころのないタイミングだった。

 しかし、激痛に顔を歪めたのはフローラのほうだった。

 もっとも固い額でのガード。もしも全力で殴っていたら、フローラのこぶしが破壊されていただろう。


「やばっ」


 容赦ない連撃。たまらず吹っ飛ぶフローラ。


「グォアアァァ!」


 吼え猛るリーゼル。追撃はやまない。

 かぎ爪をギラつかせ、突っ込んでくる。


「こんのォ! なァめるなァァァァ!!」


 こちらも前へ出る。

 逃げない。避けない。正面から迎え撃つ!

 先輩としての意地を、この小娘に見せつけてやるのだ。

 ただし、爪はたたんでおく。

 さっきはうっかり殺しかけてしまったが、もうあんな失敗はしない。

 右――は痛いから左。

 一瞬で意識を奪えるよう、鱗の隙間――みぞおちを狙う。

 リーゼルはよけようともしない。ばかめ、動きが直線的なのよ。

 これで終わ――って、思ったよりも速い!

 もうこんなに近く? 爪が。やば。こっちもよけられない。

 くそ、相打ち? 上等じゃない。上等だけど、こっちのダメージのがでかそうじゃない?

 ああ、もう。わかったわよ! いいわよどうせ傷なんてすぐに治るんだから!



 やってくる激痛への覚悟を完了し、フローラがこぶしを振り抜こうとした刹那。

 飛び込んできた影が、両者の攻撃をふわりと受け止めた。

 爪先が地面を離れ、重力が反転。ついで背中に衝撃を受ける。


「……え?」


 唐突に視界が切り替わったため、フローラは何が起きたかわからず、目を瞬かせた。

 無数の建造物が寄り集まっているせいで、雑然とした印象のある天井。

 煮炊きする煙が白くたなびき、住民の捨てたゴミが落下していくようすも見える。

 仰向けに寝ているのだと気づき、がばっと起きあがった。


「だ、誰!?」


 フローラを投げた人物が振り返った。

 女だ。革製で丈の短い衣装に身を包み、首にはとげつきのチョーカー。染めた髪を針のように立てている。

 耳やくちびるにはいくつものピアスをつけ、動くたびに装飾のチェーンがじゃらじゃらと鳴る。

 鋭さと柔和さを併せ持った中性的な美貌で、どこか慈しむような目でフローラを見ていた。

 そして、派手な見た目にも関わらず、妙に印象が薄い。

 このまま人ごみに紛れてしまえば、すぐに顔や服装を忘れ、追いかけることは不可能になるだろうという、確信めいた予感が渦巻いた。

 なんなんだ、この女は――と考えたところで、フローラは彼女に見覚えがあることを思い出した。


「あなた……瀬青らいせい?」

「久しぶり」


 にこり、と女が笑った。

 刺々しい格好に反して人好きのする笑み。相変わらず、余裕綽々で気に食わない。

 おそらく当身でも食らわせたのだろう。女の左手の先には、気絶したリーゼルがぶら下がっていた。


「こうでもしないと大人しくしてくれそうもなかったんでね」


竜の子らドラゴニュート〉の意思決定をするのは通常、古竜から成る長老たちだが、さらにその上に君臨する存在がある。

 一説には、この〈幽霊船〉の根幹にも関わっているとも言われる常若の君――小竜姫。

 瀬青は小竜姫の側近にして直轄の諜報組織・太歳タイスィの首領でもある。

 容姿に比して彼女の印象が希薄なのも、諜報活動のため、精神に作用する魔法を使っているからだ。


「なにをしに来たのかしら?」


 偶然ゆきあった、というのは、彼女に限ってはありえない。

 すくなくとも、フローラはそう認識している。

 案の定、瀬青は笑みをさらに大きくした。


「新しく入ったという子が気になってね」


 リーゼルを見張っているだろうことは感づいていたが、まさか瀬青自ら動くとは思わなかった。

 あるいは、いつもとちがう動きをしたと注進がいったのかも知れない。

 だとすれば、この状況はフローラが招いたということになる。


「面白いものは見られましたか?」

「ああ。フローラが意外と年下想いということとかね」


 不意に頬をなでられたので、思わずフローラはとびすさった。

 屈辱、怒り、そして戦慄。

 行為自体もそうだが、こちらの心理的間隙を衝くように、気づけば接触を許してしまうことが恐ろしい。

 小竜姫の猟犬とも呼ばれるこの女が強いのも、〈竜の子らドラゴニュート〉に多大な貢献をしていることも認める。

 だが、それでも癇に障る。

 得体の知れないところといい、見透かしたような言動といい。


「ふふ。怖いな。ゆっくり話すのは、また今度にしておこうか」


 瀬青は、リーゼルを抱き上げてフローラに預けた。


「ま、待ちなさ――」


 踵を返した彼女を、フローラは引き留めようとしたが、あっという間にその後姿は見えなくなる。

 なんとなく敗けたような気分になって、フローラは地団太を踏んだ。


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