いったんルーティカの力が途切れたことで、クロフはいくぶん冷静さを取り戻した。
冷えた頭で、繰り返される死の夢のことを想った。
淘汰の末に残ったふたつ。
そこにあるイメージは、おそらくだが、〈四大精霊〉によってもたらされるものではない。
ゆえに、彼らはクロフの運命ではないのだ。
安堵が三、失望が七といったところか。
そう。
クロフの求めるものとは、自らの死に他ならなかった。
思い返すだに、ザルカ族とはおそるべき戦闘種族だったと思う。
世代を重ね、数百年をかけて磨かれてきた技は、おなじ世界に住むどの集団からも尊敬と畏怖の念を勝ち得ていた。
一族の中でも達人と呼ばれる者たちには、成長した現在のクロフでも勝てるかどうかわからない。
そんな彼らでも、敵わなかったものがある。
突如降りかかった災厄により、一夜にして滅んだのである。
生き残ったのは、クロフただひとり。
あのとき、いったいなにが起こったのか。
正確なところは、いまもってわからない。おそらく永遠に、理解できる日はこないのだろう。
ただ、思う。
あのような滅びかたをするのなら、ザルカ族の磨いてきた技とは、強さとはなんだったのか。なんの意味もなかったのか。
たったひとりであちこちを彷徨い、ついにはこの〈幽霊船〉までたどり着いてからも、クロフはそのことについて考え続けた。
それでも、答えは出なかった。
あの理不尽を呼び表すなら。なにがしかの納得を得ようとするのなら。
それはもはや、運命とでも呼ぶほかなかった。
だが、心の底から納得したわけではない。
そんなものが、ほんとうに存在するのか?
もしも、あるというのなら証拠を見せてみろ。
ふたたび立ちあがったクロフは、己を鍛えることに専念した。
技を磨くだけでなく、すすんで戦いの中に身を置くことで経験を積み、実戦での勘を研ぎ澄ませていった。
もはや生物としての特質といってよいほど戦闘に特化されているのがザルカ族である。
たとえ出自を知る者はいなくとも、その手の界隈でクロフの名が知れ渡るのに時間はかからなかった。
傭兵として特定の組織のお抱えにならないかという話も何度かあったが、すべて断った。
しがらみを作るのが嫌だったからだ。
半ば廃人と化したおのれ独りの我儘に、他者を巻き込むのは間違っている。
その点、自由の利く荒事師は気楽だった。死骸漁りでもよかったのだが、ある程度箔がつくのが良い。
〈幽霊船〉の中においてさえ、いっそう濃い血と脳漿の匂いたちこめる世界。
そこを居場所と定めてほどなく、クロフは例の夢を見るようになった。
クロフは自身の強さを、〈幽霊船〉の住人の中でもかなり上位に置いている。
それは自惚れではなく、客観的事実だ。
ザルカとしての天賦に加え、フル―リアンであること。
荒事師としてもベテランの域に達し、技術も経験もそうそう並ぶ者はいない。
そんな自分がすべての力を尽くしてなお、勝てぬ敵が現れたとしたら。
足掻いて足掻いて、それでも生き残ることさえ不可能な状況に陥ったなら。
それこそが運命なのではあるまいか。
ザルカを――仲間たちを滅ぼし喰らった、あの理不尽なるものの実在が、証明されるのではないか。
ゆえに、クロフは〈四大精霊〉が相手だろうと、戦って死ぬ気は毛頭ない。
彼らが自分を殺せるとさえ、もはや欠片も思わない。
所詮彼らは、クロフの求める運命たり得ないのだから。
漫地漢が、丸太のような腕をひと振りした。
彼の前に土の壁が現れ、さらに壁から十数本の錐が生え、クロフに向かって発射された。
ほとんど同時に、クロフの槍も穂先が枝分かれし、正確無比な動きですべての錐を迎撃した。
立て続けの爆散。立ち込める土煙。
それに紛れてクロフは前進する。すぐさま足許から斧のかたちになった土が襲ってくるが、そのことごとくを斧に変じた槍で打ち砕いてゆく。
漫地漢の顔が怒りに染まった。彼が腕を高々と掲げると、周囲の土が逆向きの瀑布となって頭上に集まり、それから一気にクロフに降り注いだ。
クロフは慌てず、槍を薄い布状に展開して自らを包んだ。
即席の、一人分のシェルター。
直立した姿勢で入ることができ、上端はとがっていて落ちてくる物を受け流す構造になっている。しかも恐ろしいまでの硬度を誇り、ちょっとやそっとで破壊することはできない。
大量の土は、質量こそ膨大だが柔らかい。多少押し流されはしたものの、中のクロフには傷ひとつつかなかった。
振動が収まったところを見計らって土の上に脱出。案の定、そこを狙った攻撃が来たが、瞬時にシェルターを槍に戻して錐を叩き落す。
「思ったより芸がないな」
「なんだと」
漫地漢の声に、驚きと屈辱が入り混じる。
「お前たちが、これまでどんな敵と戦ってきたかは知らないが、ザルカの達人たちの前では足許にも及ばんだろうよ」
漫地漢だけでなく、水潜華と順風陣も押し黙ったまま、ものすごい表情でクロフを睨んだ。
三人とも、頭の中では必死にクロフの攻略法を考えているのだろう。
だが、どんな手を使ってきたとしても、クロフにはそれをしのぐ自信があった。
こちらの能力を見誤っているうちは、彼らに勝利の女神が微笑むことは――決してない。
クロフは槍を握りなおし、ゆっくりと息を吐きつつ腰の高さで構えた。
高まる緊張感が、びりびりと肌を刺した。
均衡の破れる一瞬が、音もなく、しかし確実に近づいてくる。
突然――
ぐわ、と猛獣が口をひらくさまを思わせる動きで、滅火獣が身体をのばした。
「アアアアアツツ……クククク……ナァァルルルゥ……ナァ……」
通路全体を揺るがすような重低音が響くと、他の三人から感じていた圧が消えた。
明らかに目の光が弱まり、心なしか身体もしぼんでしまったように見える。
滅火獣が能力を発動させたのだということは、全身の力が抜けていく感覚ですぐにわかった。
仲間に対して能力を使ったのか。
焦りと怒りで冷静な判断ができなくなってくれれば儲けもの。そんな淡い期待を抱いていたが、まさか能力をこう使われるとは思わなかった。
フードの下から、ひび割れた岩のような口許が覗いた。
かすかに歪む。
滅火獣が笑っている。
「おい。ザルカ族のことを知っている風だが、どこで聞いたんだ?」
どうやら会話も可能だとわかったので、クロフは質問を投げかけてみた。
「アンタが知る必要はないぜ」
滅火獣のかわりに順風陣が答える。彼は戦利品の黒い球体を脇に抱えていた。
順風陣は、クロフにわざと見せつけるように、ちらりと後方に視線を送った。
そこには、彼らが侵入時に使った床の穴がある。
「考えてみれば、こっちは無理して戦うこたぁねーんだ。アンタもどうせ雇われの身だろ? 無理しておっ死んじまったら損だろうが」
「…………」
このまま見逃せと、彼は言っている。
むろん、それは「追って来たら殺す」という脅しとイコールである。
たしかに、クロフは死に場所を求めてはいるが、自ら死地に赴くような無謀さとは飛び込んでいくこととはちがう。
いま、黙って踵を返せば、その先には確実な生への道が拓けている。
構えを解き、槍を降ろす。それを見た滅火獣が「グググ……」肩を震わせた。
そうだ。お前はそこで、そういう選択をする男だ――そう、言われた気がした。
次の瞬間、クロフは槍を振りかざし、一直線に突撃していた。
「狂ったか、貴様!」
土の壁がせり上がり、滅火獣を守るように展開する。
クロフは壁に槍を突き入れると同時に、穂先の表面を可燃性の物質に変化させた。
前方向に爆発が起こり、壁に大穴があく。煙の合間から、泡を食った表情の順風陣と水潜華が床の穴に逃げ込むのが見えた。
「なめるな。貴様等程度では、俺の命にとって脅威にすらならん!」
滅火獣――逃げ出すようすはない。殿を務めるつもりか。
踏み込む。途端に、膝から力が抜けた。
対象の火を滅する力。筋力もそうだが、なにより気持ちまで萎えさせられるのが恐ろしい。しかも、その力は近づけば近づくほど強くなる。
だが、それでも。
クロフの全力を抑え込むには足りない。
気力を振り絞り、突いた。
間合いはわずかに遠かったが、槍自体の長さを伸ばせば余裕で届く。これには、攻撃のタイミングをずらして相手の意表を衝くという効果もある。
滅火獣の回避は早かった。さすがに勘がいい。
だが、このとき槍の伸長速度を限界ぎりぎりまで速くしていた。伸縮の速度もコントロールできるとは、流石に予想していまい。
ローブの一部が千切れ、硬い皮膚を削る感触が伝わってきた。
「オオ……ッ!」
さらに力が奪われる。武器を介していてさえ、ふれるのは危険ということらしい。
ボロボロの裾が跳ねあがる。現れたのは、肘から先が異常に発達した両腕。
肌は石灰のように白く、表面はひび割れ、赤い血管が覗いている。
太い指の先には、石筍のようなとがった爪が生えていた。
両側から挟み込むようにして手のひらが叩きつけられる。
予想外のスピード。高圧プレス機のようなパワー。
そこへさらに火を滅する能力まで加わり、内と外からクロフを破壊しにかかる。
血反吐を吐きつつ、クロフは槍を持つ手首をひねった。
ごぼっ、と音がして、ローブの口許が血に染まる。
「ただの槍と思うな。俺の意思ひとつで自在にその性質を変える。たとえば、人体に有害な毒素……なんてものにもな」
「ボドク!」
漫地漢の生み出した土の腕が滅火獣をつかんだ。
そのまま、自分ごと後退してゆく。
「待て!」
クロフは追撃しようとしたが、さすがにダメージが大きく、すぐには立ちあがれない。
その隙に、ふたりの人間を包み込んだ大量の土が、巻き戻し映像のようにするすると、床の下に消えていった。
浮かせていた腰を落とし、クロフは息をついた。
全身が重い。ひさびさに、歯ごたえのある相手だった。
向こうも死にはすまい。
実際に使ったのは、瞬時にダメージを自覚できる強酸だった。毒には違いないが、ああ言ったほうが、戦いを放棄して治療を急ぐ気になる。
その酸もすでに、体内からすっかり抜けているはずだ。性質を変化させた槍は、本体から離れると元に戻ろうとする力が働く。
「滅火獣……ボドク、か」
再び会うだろうという予感がしていた。
きっとまた、敵同士として。
クロフに死をもたらす運命ではないにせよ、なにがしかの重みを持つ存在なのはたしかな気がする。
それとも、これから奴が運命となってゆくのか?
だが、すくなくともいまではない。
「レフィア……」
はやく家に帰ろう、とクロフは思った。
無性にレフィアの顔が見たかった。彼女の作る料理が食べたかった。
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