バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

キャンプ

公開日時: 2020年12月8日(火) 00:01
文字数:2,950

 その後も珍しい生き物に何度か遭遇し、そのたびにレムトやラムダ・チームが鮮やかな活躍を見せた。

 最初のうちこそおっかなびっくりで戦っていたミツカさえ、数戦するうちに躊躇いなく獲物に挑みかかり、目配せひとつで完璧な連携をこなす、手練れの風格を漂わせるようになっていた。


 対してウィルはというと、散々である。

 危険だというのに前に出たがるニーニヤを止めようとしてツタに足を取られたり、不用意に他の生き物の巣に踏み込んでしまって親に追い立てられたりと、いいところなしだった。

 かろうじて護衛対象であるニーニヤにはかすり傷ひとつ負わせることはなかったので、及第点には達していただろうが、ニッカやサタロには馬鹿にされまくった。


「アイツの悲鳴、傑作だったなあ」

「ひぃぃぃぃあぁぁぁぁぁ」

「それな。腹筋ぶっ壊れるかと思ったわ」


 ふたりが狩りに参加しなかった同行者にも吹聴してまわるので、すっかり笑いものになってしまった。「よっ、頑張れよ」だとか「お姫様に愛想つかされんようにな、ナイト君」などと半笑いで声をかけられるたび、悔しくてたまらない。


「気にするな。キミはよくやっている」


 焚火を囲む人の輪にも加わる気になれず、目立たない隅っこでニーニヤと向き合って食事を摂った。


「うるせ。自分でも情けないってわかってんだよ」

「本当さ。身の丈に合わない過酷な条件にも関わらず、すくなくともボクを守りきることはできているんだから」

「だったら、もうちょっと自重してくれませんかね? 目の前で猛獣が大口あけてんのに、のん気に花のスケッチ取ってたりさあ」

「それは仕方ないだろう。なにしろあんな、猫みたいな見た目と動きをする珍しい植物が生えていたんだから。ボクの探究心がビシバシ刺激され、好奇心汁がドバドバ出まくった結果だよ」

「なんだよ好奇心汁って。いかがわしい響きなんですけど」

「しかし、来てよかったね。なにもかもが新鮮で、実に愉しい。でも、きっと独りではその喜びも目減りしていたろう。隣でおなじものを見て、聞いて、感じてくれる存在があればこそだと思うよ」


 ニーニヤは目を細め、じっとウィルに視線を注いだ。

 軽い口調とは裏腹に、いやに真剣っぽく見えるそのまなざしに、ウィルは居心地の悪さを感じた。


「み、道連れが欲しいだけなら、べつにおれじゃなくたっていいだろ」


 出会ったばかりのウィルなどよりも、親しい人間はたくさんいるだろう。もちろん、護衛としての適性も含めて。

 ニーニヤは、いたずらっぽい笑みを浮かべて距離を詰めた。


「つれないことをいうね」


 まあいいけれど、と彼女はウィルの首筋を指の先でなでた。


「そろそろ、いいかな?」

「ああ……そういや、今日はまだだったな」


 絆創膏をはがすと、ニーニヤは飛びつくように傷口に顔を寄せた。

 熱い息がかかると、甘痒いような疼きがそこから這いあがってくる。



 ぴちゃ。

 ざり。

 はぷ。



 唾液には弱い麻酔効果もあって、おかげで痛みは感じずにすむ。

 そのかわり、くすぐったいような、腰から下がムズムズするような、奇妙な感覚に襲われる。


「は……はやく……してくれ」

「……もうちょっと……自分で思っていたより……なんだか……抑えが利かない」


 貪るように、ニーニヤは傷口に舌を這わせ、滲み出てくる血をすすった。

 バッティストは通常の食べ物で腹を満たすこともできるが、それとはべつに血液を経口摂取する必要があるのだとか。

 自力で作り出せない栄養素がどうとか、前に説明された記憶があったような気もするけれど、小難しい内容だったので適当に聞き流していた。

 とにかく、いまのニーニヤはかなり血に飢えた状態だということで、これはけっこう、人に見られたら誤解されるような状況なのではと、いまさらのように思いあたったところでミツカと目が合った。


「え……ええと。こ、これ……!」


 彼女は湯気の立つ椀を両手に持っていた。

 今日獲れた獣の肉と持ってきた野菜を鍋で煮込んだシチューだろう。

 カタカタと震えて、いまにもこぼしてしまいそうだ。


「ご、ごめんね。邪魔するつもりはなかったんだ」

「い、いやいや。ちがうから。これはそういう……ええと、濡れ場的なアレじゃあないからね?」

「うむ。……まあ、自分でもはしたないと思わないでもないが、おあずけをくらっていたせいもあって我慢できなくなってしまってね」

「なんだよ、その意味深な言い回し!?」

「おあずけ……がまん……」


 ミツカの目がグルグルとまわり出した。

 なにやら混乱を与えたうえに、誤解を深めているような気がしてならない。


「ち、血だって! 血を吸ってたんだって! コイツはほら、蝙蝠人バッティストだから、ヴァンパイアみたく血が食事なんだよ! だからべつに、やましいことをしてたわけじゃあないし、深い意味もないから!」

「やましくはないというのは認めるとして、深い意味がないかといわれれば、それはどうだろう。そもそも食事という行為の文化的位置づけは――」

「混ぜっかえすなって! ややこしくなんだろ!」

「う、うん……! とにかくごめんね! じゃ、じゃあ……っ!」


 ミツカは椀をウィルに押しつけると、人形のような動きで踵を返し、そのまま全速力で仲間のところへもどっていった。

 ニーニヤが、うーん、と唸る。


「初々しい反応だねえ」


 なぜか満足げだった。なに言ってんだ、お前。





 ジャングルの夜は、思っていたよりも肌寒かった。

 しかも、地面は湿っていて、横になっているだけでも体温を奪われる。

 もっとそばに来て寝たまえよ、とニーニヤが提案してきたが、それは断固として拒否した。

 ついさっきあんなことがあったばかりだというのに、ミツカの誤解をさらに深めてどうするのだ。

 しかし、いまはすこし後悔している。

 深夜、尿意をもよおし、目が覚めた。

 寒さと、意外なほど美味で、思わず何杯もおかわりしてしまったたシチューのせいもあるのだろう。

 眠っているとはいえ、ニーニヤから見える場所で用をたすのははばかられる。

 すこし不安だったが、ウィルは森に踏み込んで、周囲から見えなくなる場所を目指した。



 チリリリリリ……

 スッチョン……スッチョン……スッチョン……

 ジギギギギギギ……ギィ……ジギギギギ……



 笛の音に似たものや、跳ねるようなリズムのもの、あるいはやすりを擦り合わせるようなものと、さまざまな虫の声がそこかしこから聞こえてくる。なんだか昼間よりもやかましい。

 一方で、ジャングルを包む暗闇は、ウィルの知るどんな夜よりも深い。

 レムトの指示で絶やすことなく焚かれている火は、木立の向こうで心細げに揺れている。

 茂みがガサガサと鳴るたびに、凶暴な肉食獣が飛び出してくるのではないかと、ウィルは身体をこわばらせた。

 いちおう、交代で見張りが立てられ、声をあげればいつでも手練れが駆けつけてくれることになってはいるものの、昼間戦ったビークに匹敵する怪物がふいに現れでもすれば、逃げる間もなく命を失うだろう。

 手早く済まそう。

 ちょうどよさそうなスペースを見つけ、ウィルはズボンを降ろした。


「……ふう」


 ぶるっ、と身体が震えた。

 緊張続きの探索行にあって、数少ない安らぎの一瞬だった。

 ゆっくりと目をあける。

 そこに、ミツカがいた。

 ミツカは驚きの表情のまま、視線を下げ、また元にもどし、ひくっ、と口許をひきつらせた。

 二人分の悲鳴が、闇夜に響きわたった。


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