バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

呪い

公開日時: 2021年1月17日(日) 00:01
文字数:2,687

「犬、犬。猟犬を使役してはいますが、私自身は犬ではないと思います」

「まともに返すな、馬鹿!」


 真面目なのかなんなのか。

 すくなくともゼラーナの周囲にはいないタイプの女だった。

 刃物を前にしても動揺すらしない。

 腹が立つほどの余裕。

 それが、生きるのに必死ではないと、ゼラーナには映った。

 必死さを必要としなかった者は汚れる必要もない。

 それが眩しく、同時に妬ましい。

 だから、消えて。消えてくれ。私の目の前から。


「おっと。近づかせません」


 アステラが腕を払う仕草をすると、前方の床が爆ぜた。

 ゼラーナは慌てて足を止める。


「な、なにを――」

「見えませんでしたか? つくづくあなたは荒事に向いていないらしい」


 アステラが右手を持ちあげる。

 手袋に覆われた指のあいだに、キラリと光るものがあった。


「……針?」

「はい。これ自体に発火・爆発する機能があり、爆砕針と呼ばれています」


 手の内を晒すとはどういうつもりか。

 恐怖を煽ろうとしているのなら、馬鹿にしすぎというものだろう。

 呼吸を整え、横に跳んだ。

 柱の陰に入った瞬間、逆方向に動く。

 そのまま駆け抜けると予想していたアステラは、ゼラーナに横顔を向けている。

 その白い頸を狙ってナイフを投げた。

 吸い込まれるように白刃が飛んでゆく。

 しかし、的に到達する前に金属音が響き、あえなく弾かれた。


「あなたの能力を鑑みれば、あなたがふれた物にふれるのも、警戒してしかるべきです」


 アステラが、左手で針を放ってナイフを逸らしたのだ。

 それを見届けながらも足は止めない。

 相手はトブラックの刺客。まともにやりあって勝てるとは、はなから思っていない。

 目指すは建物の外へ通じるドア。間に合うか?

 手をのばす。もうすこしでノブに指がかかる――そのとき、なにかが激しくドアにぶつかる音がした。

 間隔をおいてもう一度。さらには低い唸り声までが聞こえた。

 豚犬グルニスキロスが来たのだ。


「逃げられると思いましたか?」


 ゆっくりと、アステラが近づいてくる。

 ゼラーナは、べつの出口がないかと左右を見回した。

 あったのは、奥へと続く通路が一本。

 外へいけるかどうかはわからないし、当然警戒もされているだろう。

 だが、それでも――

 どうせ警戒されているならと、あえてまっすぐそこを目指した。

 進路を遮るように針が放たれ、爆発する。爆炎を迂回し、なおも走った。


「呆れたあきらめの悪さですね」


 さらに爆発が起こる。全力で走り続けていたら命中する距離。ぎりぎりで速度を落としたが、衝撃を避けきれずに転倒した。

 すぐさま起きあがる。這いずるようにして進む。またしても爆発。


「本当に、あなたは」


 ため息混じりにアステラは腕を振るった。

 そこで、逃げに転じてからはじめて、ゼラーナは彼女のほうへと踏み込んだ。

 何度も攻撃されて、なんとなく相手のクセのようなものがわかってきていた。

 圧倒的な格下を雑に仕留めようとしたせいだろう。

 手をのばし、腕で針を受けた。

 すぐには爆発しない。

 やはり。ナイフを針で弾いたとき、そうではないかと思ったのだ。

 針は、衝撃等の外部の力に反応しているのではなく、アステラ自身の意思によって爆発する、しないが決定されている。

 そして、爆発するまでの猶予もまた、あらかじめ彼女によって決められ、あとからの変更は効かない。

 ゼラーナは針を腕から引き抜き、上に向かって投げた。


「なっ!?」


 爆音。

 老朽化が進んでいた建物である。

 穴のあいていた上階の床や、天井の一部はあっさりと崩れた。

 ゼラーナは天を仰ぎ、降り注ぐ瓦礫に目を向けた。

 その口許に、うっすらと笑みを浮かべて。

 轟音とともに埃と土が舞いあがり、一帯をしばし覆い隠した。

 それらが晴れる。

 ゼラーナは目を瞬く。

 頬に生暖かい液体が滴った。

 まだ、生きている。

 彼女を押し倒し、自らの身体で崩落から庇った者がいたのだ。


「アステラ……」


 名を呼ぶと、女は安堵したように微笑んだ。

 それから、己の行動と、安堵したこと自体への困惑の色を浮かべ、目を泳がせた。


「なん……で……私は……」

「知ってたはずでしょ? 私の能力は、接触が発動条件だって」


 それは、ゼラーナ自身も例外ではない。

 己の希少性を低下させ、群衆に紛れるという使い方ならしょっちゅうやっている。

 今回はいつもの逆――希少性を瞬間的に高めたにすぎない。

 そうすることで、アステラにゼラーナを庇わせたのだ。

 めったに使わない理由は単純である。

 結果の予測が困難だからだ。

 希少性操作能力の影響には個人差がある。

 親切にする程度の好意ならば問題ないが、狂信と呼ぶレベルまでいってしまった場合、たいがいは厄介なことになる。

 監禁されそうになるくらいならまだましなほうで、中には「我が愛は死をもって完成する」などとのたまう輩に無理心中を迫られたこともあった。

 だから、アステラに対しても使うのも正直賭けだったのだが、どうやらうまくいったようだ。

 そして――

 この距離ならば、直接ふれることができる。


「私を守りなさい」


 アステラの胸許に手を置き、ゼラーナは叫んだ。


「私はあなたのすべて。私はあなたの命。全身全霊をもって私に尽くし、最後の血の一滴が枯れ果てるまで仕えなさい」

「仰せのままに」


 アステラはゼラーナの手を取り、あらゆる迷いから解放されたかのような晴れやかな表情で答えた。

 いまこの瞬間、アステラの中でゼラーナは、特別の中の特別となったのだ。


「グルアアアアッ……!」


 ついにドアが破られ、グルニスキロスが侵入してきた。

 最初の三頭と、どこかで合流したと思しき二頭。

 狂ったように吼えたて、ゼラーナに向かって突進してくる。


「下がっていてください」


 犬たちの前に、アステラは立ち塞がった。

 まっすぐに背をのばし、まるで指揮でもするように。

 ひと振り。ふた振り。三振り。

 爆砕針は、あやまたず五頭すべてを貫き、アステラとすれ違ったところで爆発した。

 血と肉片が床をまだらに染め、むせかえるような異臭が漂った。


「大丈夫ですか?」


 アステラはすぐにもどってきて、ふらつくゼラーナの身体を支えてくれた。

 彼女の手つきはどこまでも優しく、見つめる視線は慈愛に満ちていた。


「ひどい傷です。すぐに治療を」

「ええ、そうね……ありがとう」


 ふいにいたたまれなくなり、ゼラーナはアステラから目をそらした。

 このうえなく頼れる味方を手に入れた。

 それは、これまでずっと、心のどこかで願い続けていたものだったのかもしれない。

 なのにどうして、こんなに胸が苦しいのだろう。

 自分に向けられる想いを感じるたびに、どうして涙があふれそうになるのだろう。


「どうしましたか。そんなに痛みますか?」

「ううん……ちがう。ちがうの……」


 ほっとしただけだと、ゼラーナは笑った。


ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

お話のストックが尽きたため、『バラックシップ流離』はしばらくお休みします。

いずれかならず再開いたしますので、気長にお待ちいただけると幸いです。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート