バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

お肉に関する暗黙のルール

公開日時: 2020年11月24日(火) 00:02
更新日時: 2020年11月24日(火) 18:27
文字数:3,088

 職人街でも評判の酒場〈酔鯨すいげい〉は、昼時ということもあってほぼ満席だった。

 店内は薄暗く、職人たちの汗と油の匂い、それにタバコの煙が充満している。

 それでもリーゼルには、この猥雑さが好ましく思えた。

 人々の活気という点では、これまで船内で見たどの場所よりも強く感じられたからだ。

 隅っこに残っていたテーブル席を確保すると、すぐに猫人マオンの女給がやってきた。


「注文は?」

「肉! とにかく肉だ。あと酒」

「雑な注文しないでくださいよ。恥ずかしい」


 同類と思われたら嫌だ。というか、竜人族フォニークの一員と認められるのはまあ、嬉しいのだけれど、そういうのとはちがう。

 自分もいっしょくたにガサツな人間扱いされたくないとか、ましてやこんなのが……恋人だ、なんて思われたくないとか、そういうことだ。うん。


「今日はいいが入ってるよ。鉄板焼きでいいかい?」

「ああ」

「酒はエールならすぐ出せるよ」

「じゃあ、とりあえずそれで」

「はいよ」


 猫人マオンの女給はニカッと八重歯を見せて笑うと、混雑する店内をするする歩いて厨房に注文を伝えにいった。


「なんのお肉なんですかね?」

「こういう店じゃ、そういうことは訊かねえほうがいいぜ」

「なんでです?」

「見ろよ」


 セレスタはあごをしゃくった。


「種族ごとに住み分けしてる区画とちがって、ここにゃあいろんな種族がいるだろ?」

「そういえば、そうですねえ」


 ちょっと見まわしただけでも、牛人タウラ犬人ドギーム熊人ベアード蜥蜴人サウラと、多種多様な種族がおなじ空間で飲み食いしている。

 人通りの多い道や広場ならともかく、ひとつの店でこれというのはけっこう珍しい。

 これも、職能という一点で人の集まっている場所だからなのだろう。


「もし、お前が牛人タウラだったとして、隣の席のヤツが牛のステーキ食ってたらどう思うよ?」

「そりゃあ……いい気分ではないですね。人によっては烈火のごとく怒るかもしれません」

「だろ? 単純に自分に近い生き物の肉がどうこうってだけじゃなく、体質や宗教上の理由なんかで食えないモノもそれぞれにある。だから、揉め事を避けるためにも肉の種類は伏せておくほうがいいのさ」

「なるほど。でも、そうなると……」


 リーゼルは急に心配になってきた。


「大丈夫だって。店のほうで把握してっから、オレらにドラゴン・ステーキを食わせる、みてーなことはねえ」

「そ、そうですか。よかった」

「つか、そーゆーことにしとかねーと。気にしてたらキリがねえしな」

「えっ」


 真顔になったリーゼルに、セレスタは「冗談に決まってんだろ」と馬鹿にしたように返した。ええと、どこからどこまでが?


「お待たせしましたー!」


 しばらくすると、今度は朱色の冠羽が素敵な鳥人バーディアンの女給がひらりひらりとやってきて、料理と飲み物を置いていった。

 この店は女給がみんな愉しそうに働いていて、それがたぶん、いい雰囲気を作る要因のひとつになっている。


「んじゃ、乾杯。オメーは働いてねーけど」

「わたしの仕事は、セレスタさんの見張りですから」

「まったく、口の減らねえ女だな」


 木製のマグを打ち合わせてから、リーゼルとセレスタは同時に泡立つ液体を喉に流し込んだ。

 エールはほどよく冷えており、シュワシュワと弾けながら食道を通っていく感覚がたまらない。


「うわ、美味しい。というか、冷たい飲み物自体が珍しいですよね」

「それはな、嬢ちゃん。この店の地下にはでっかい冷蔵室があって、そこで食材を保存してるからだよ」


 隣の席の、店の常連らしい男が教えてくれた。


「なにを隠そう、その冷蔵室を作ったのがウチの親方なんだぜ」


 さすがは職人街。どんなものでも作ってしまうらしい。

 喉も潤ったところで、お次はメインの鉄板焼きだ。

 熱く焼けた鉄皿の上に厚さ二センチもある謎の肉がデンと置かれている。

 ジュウジュウと、溢れ出した肉汁が激しく音をたてながら香りを立ち昇らせ、視覚、聴覚、嗅覚の三方向から容赦なく食欲中枢に攻め入ってきた。


「うう……謎なのに……謎の肉なのに……っ!」


 欲望に抗えず、リーゼルは肉にフォークとナイフを突き立てた。

 ひと口分を切り分けて頬張る。しっかりとした噛みごたえだが、けっして固すぎず、口中を満たす旨味はとろけるようだった。


「んん~……! 美味しいです! 塩コショウをふっただけのシンプルな味付けですけど、そこがまた肉の味をひきたてていて、正直たまんないですぅ!」

「おなじモン食ってんだから、いちいち教えてくれなくていいぜ」

「え~? この喜びを分かち合いましょうよぅ。セレスタさんだって、ごちそうした相手が美味しいと思って、ついでに感謝を示してくれたほうが嬉しいでしょう?」

「バカヤロウ。いまはテメーに金がないから仕方なく奢ってやってんだ。義務だよ義務」

「むぅ。かわいくないです」


 どうしてこうひねくれているのか。

 クールぶっているつもりなのだとしたら、ぜんぜん的を外している。

 おなじグループの男の人でも、グラナートはもっと紳士的で、なんというか、大人だ。


「それより、どうなってんだよ」

「なにがですか?」

「これだよこれ! ぜんぜん治ってねーじゃあねーか」


 セレスタは、リーゼルの頭をがっしとつかんだ。


「もぉ~、やめてくださいよ」


 菜園を出てから一時間はたっていたが、額の傷はまだふさがっていなかった。

 セレスタだったら一分もあれば跡形もなくなるのに、どうしたわけだろう。

 傷を気にするセレスタのさわりかたは、意外にも優しかった。

 指の腹でなでるような感じで、痛いというよりはむしろ痛痒く、なんならちょっと気持ちがよかった。

 さわられ続けているとおなかのあたりがむずむずしてくるので、これはこれでやめてほしいのだが。


「どーゆーこった。竜の血の力が弱いのか?」

「さあ……? わたしに訊かれても……」


 まいったな、とセレスタは困ったような顔をした。

 こんなんでもいちおう女だしな、とか、残んのかな? 前髪で隠せるか? というようなことをぶつぶつ呟いている。


「あれ~? ひょっとして責任とか感じちゃってます?」


 そう言ったらげんこつを落とされた。かなり本気っぽいやつを。


「なんでテメーはそういうことをいちいち口に出すんだよ」

「だからってぶたないでくださいよぅ。バカになっちゃいます」

「テメーはもとから大バカだろが」


 そう言ったあとで、セレスタは素早く視線を左右に走らせた。

 それから、周りから隠すようにして自分の牙を親指に突き立てる。

 指の先に、ぷくっと血が溢れたのをたしかめると、それをリーゼルの傷になすりつけた。


「なっ! なにするんですか!?」


 狼狽えるリーゼルの口を、セレスタは手でふさいだ。


「黙ってろ。騒ぐんじゃあねえ」

「だ、だって……! 毒だって――」

「オレの血は特別なんだ。自分以外も治せる」


 本当に?

 おしぼりで傷をぬぐい、そっとふれてみる。

 鏡で見てみないとはっきりとしたことは言えないが、たしかに傷は治りつつあるようだ。

 なにより、傷口に毒を塗りつけられたはずなのに、身体になにも起こっていない。


「なんか、特異体質とか、そういうのらしい。こういう力は利用したがる奴も多いから、なるべく秘密にしてんだ。特にムハナあたりにはぜったい言うんじゃあねえぞ? もし知られたらあの女、狂喜乱舞してカラッカラになるまでオレから血を絞り取ろうとしかねねーからな」


 リーゼルはコクコクとうなずいた。

 それにしても、他人を癒せる特異体質とか、似合わないにもほどがある。

 なにそれ。

 短気で、乱暴で、口が悪くて、野蛮が服を着て歩いているような性格のクセに。


「変、ですね」

「ああ?」


 セレスタが怪訝な顔をしたが、リーゼルはそれ以上なにもいわず、黙々と肉を口に運んだ。

 なぜだかわからないが、頬のあたりが熱かった。


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