バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

謎生物

公開日時: 2021年2月25日(木) 12:30
文字数:1,999

「マキト。よくわからんもんに、うかつにさわったらダメだよ」

「お姉ちゃんにいわれたくないんだけど……」


 真顔で諭すと、マキトに呆れ顔で返された。


「これまで、私以外にこの生き物が見える人に会った?」

「お姉ちゃんが初めてだね」


 マキトがふるふると首を振る。


「でも、私は見えるだけでさわれない。マキトだけがコイツを捕まえることができる……と。ねえ、ほんとにさわってもなんともない?」

「平気だよ。ちょっとぬるっとした感じは残るけど」

「怖いなあ。皮膚が溶けたりしてるんじゃあないの?」

「え……やめてよ」


 冗談はさておき、認識から物理的接触まで、人によって段階的な差異があるのは興味深い。


「エサはなにを食べるの?」

「なんでも食べるよ。パンくずとか、魚の切り身とか、リンゴの皮とか。そばに置いておくと、いつの間にかきれいになくなってる。ウンチとかはしないみたい」

「食事はすれども排泄はなし、か。生物かどうかも怪しくなってきたな」

「それか、ウンチも食べちゃうのかも」

「自給自足といえば聞こえはいいけど、人の感覚からすれば耐え難い習性だねえ」

「お姉ちゃん、面白がってるでしょ」


 当然だ。

 退屈しているところに、いい暇つぶしが見つかったと思っている。


「で、マキトはなんでコイツを集めてるの? 観察日誌でもつけるつもり?」

「特に理由はないけど、やっぱり気になるからさあ。あ、日誌ももちろんつけてるよ」

「なんだ、私と大して変わらないな」


 でも、そういうところが馬が合うのかも知れない。

 あとでまとめるんだ、といって手渡されたメモを読んでみると、発見場所、時間帯、人通りや日当たりの具合など事細かに記されていた。


「おお~、すごい」

「ありがとう。お姉ちゃんは、こういうのバカにしないからいいよね」

「え……そ、そう? ふへへ」


 不意打ちで褒められたので、返事が若干気持ち悪くなってしまった。


「でも、そろそろ自分で調べるのも限界かなって思って……お姉ちゃん、こういうのに詳しそうな人に心当たりはない?」

「そうだねえ。無駄に歳食ってる連中は多いんだけど、アイツらが知ってるかって訊かれると……お、そうだ。こういうときは、やっぱ〈図書館〉でしょ」

「〈図書館〉かあ……いったことないんだよね」

「意外。マキト好きそうなのに」

「なんか、キラキラしてて入りづらいんだよね」


〈図書館〉は、中層船首寄りの区画に建っている。

 周辺は比較的治安がよく、〈図書館〉自体も一種の中立地帯のようなスタンスと認識されている。

 知識はすべての者にひらかれているとのポリシーから出入りも自由だが、たしかにきれいすぎて、貧乏な子供が一人で入るのは気後れが生じるかもしれない。


「わかった、一緒にいこう。詳しいかどうかはわからないけど、頼りになりそうな奴ならいるし」





〈図書館〉周辺は緑が多く、空気までが澄んでいるようだった。

 行き交う人々の表情も一様に明るい。

 他人の暮らしに関心の薄いシャービィではあるが、こういうのも悪くないと柄にもなく思ってしまう。

 それは、隣を歩く少年が、珍しいものを見るたび小さく歓声をあげたり、目を輝かせたりするせいもあったかもしれない。


「そんなに喜んでくれるなら、もっとはやく連れてきてやればよかったねえ」

「えっ。べ、べつに喜んでないし。ふつうだし」


 マキトは照れくさそうに、鞄で口許を隠した。

 そんなふうに取り繕っていた彼も、いよいよ〈図書館〉の姿が見えてくると、無言でシャービィの裾を何度もひっぱり、顔を真っ赤にして興奮を伝えてきた。

 中層の天井にも届かんとする、美しい水晶の塔。

 真っ白な塀には、生きた装飾としての蔦が計算しつくされた間隔で配置されており、門の前には知識の護り手たるエルガードが二人立っていた。

 彼らは身体の要所を覆う金属鎧を身に着け、兜には赤いトサカのような飾りがついている。

 右手には矛槍ハルバード、左手には丸い盾を持ち、さながら神話に登場する軍神のようなたたずまいである。

 門を潜ると、おなじ軍装姿のエルガードたちが敷地内を巡っていた。

 二人一組になり、時計の針のように正確な動きと速度で巡回する彼らのようすも、〈図書館〉の名物として来館する者の目を楽しませてくれる。


「かっこいいね」

「見た目の華やかさだけでなく、実際に戦っても彼らは強いよ。そのおかげで〈図書館〉は独立を保っていられるんだ」


 水晶塔の一階には受付カウンターがあり、若い猫人マオンの女性司書が座っていた。

 彼女はシャービィたちに気がつくと、輝くような笑顔を向けた。

 じめじめした生活に馴染んだシャービィにとっては、あまり長く対面していたくない相手である。


「こんにちは。新規のご利用でしょうか?」

「え、ええと……調べものがありまして……く、詳しい人に意見を伺いたいのですが」

「調べもの、ですか。どのような?」

「ま、まずはその特定から、といいますか……できればその……特別客員司書どのにお会いすることは叶いますかね?」



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