バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

膨らむ探求心

公開日時: 2020年12月1日(火) 00:01
文字数:2,102

 憲兵隊の恐怖を散々植えつけられた後、ウィルたちは荷物ごと消毒され、居住区に放り出された。消毒薬はひどい味がしたうえ、目に入ると激痛が走った。


「最初にきっちり、誰が上なのかを叩き込む。そうしないと秩序が保てないと彼らは思っているのさ。そして、それはある面で真理だ」


 そう言って、ニーニヤは笑った。


「アンタもやられたのか?」

「まあね。元いた世界から追われ、辿り着いた先でも粉まみれなんて、まったく惨めというほかない」


 でも――と彼女は続ける。


「あのような扱いをされたのははじめてだったからね。〈億万の書イル・ビリオーネ〉に項目を書き加えるときは手が震えたよ。筆がすべらないよう自分を抑えるのに苦労した覚えがある」

「えっ、なにそれちょっと引く」


 べつに、ニーニヤは乱暴に扱われることに興奮を覚えるタイプというわけではない。知識にせよ体験にせよ、とにかく「新しいもの」を吸収することに貪欲なのだ。

 ウィルに言わせれば、常軌を逸するほどに。

 知らないものを目にすると、どこであろうと誰といようと、ニーニヤは〈億万の書イル・ビリオーネ〉を広げ、筆を走らせる。会話の途中や移動中であってもおかまいなしだ。現にいまも、彼女の手は休まず動き続けている。


「それで? それからどうなったんだい」

「聞いてどうすんだよ。ありふれた話だろ?」

「そんなことはないさ。キミの過去は、キミという人間の意識と五感を通して創造された独自の事象といっていい。とても、興味を惹かれる」


 ずい、と顔を近づけられた。

 曇りのない目をして言わないで欲しい。恥ずかしくなるではないか。


「い、いいから。はやくそれ、終わらせろって。門限破ると、おれまで罰を受けさせられるんだからな」

「つまらないねえ」


 ニーニヤはくちびるをとがらせた。

 ウィルは内心ため息をつく。

 護衛の仕事は神経を使うし、危険も多いので大変だ。そのうえ、ニーニヤはなにをするかわからないし、寄り道で時間ばかりかかる。わがままをとがめて口論になったことも一度や二度ではない。

 いっそ、なにか問題を起こして外出禁止にでもなってくれたほうが楽なのに、とさえ思う。


「やあ、隊長さん」


 たまたま近くにやってきたレギルにニーニヤが声をかけたので、ウィルはドキリとした。

 まさか、あの話題のあとでソイツに話しかけるか? とニーニヤの神経を疑ったが、レギルは視界にウィルが入っているにも関わらず、なんの反応も示さなかった。

 しかし、すぐに「それもそうか」と考え直す。向こうにしてみれば、いちいち臨検した相手の、しかも集団に混じった子供ひとりの顔など、憶えていられるはずもない。


「これはこれは〈記録魔ザ・レコーダー〉。そろそろお見えになると思っていましたよ」


 心の底から敬っているという感じではなかったが、それでも憲兵隊長は一定の礼節を保っていた。

 初めて乗船したときには有象無象のひとりにすぎなくても、その後それなりの立場を築いた相手だからなのだろうか。


「ここは、なんという世界なのかな?」

「さてね。はじめて立ち寄る世界なもので。便宜上、ヤルヒボール5.3と呼んではおりますが」

「いつまでいるつもり?」

「規定通り、一週間。探索組が、いま出ています」

「いいねえ。ボクもいってみたいな」

「いや、無理だろ。時間もないし、だいいち予定にない行動は――」


 思わず口をはさんだが、ニーニヤはキラキラと目を輝かせ、ウィルの声など聞いていなかった。


「気候は温暖……いや、むしろ暑いくらいかな。生き物はたくさんいるのかい?」

「陸のほうはまだわかりませんが、魚は獲れていますな。いま、いくつかの調理法を試しているところかと」

「生でもイケるといいな。サシミというものを、一度味わってみたい」

「ご希望ならすぐにでも。貴重な実験データが取れます」


 レギルの言葉は、まるで冗談に聞こえなかった。

 さらに信じがたいことに、ニーニヤはノリノリで首を縦にふった。


「そういう開拓精神は大好物だ。知的探求に殉ずることができるというなら、ボクも本望だよ」

「ば、バカ! よせって」


 さすがに慌てた。異世界のものをうかつに口にするなど、軽率にもほどがある。


「なんだい、ウィル。キミまでリミュアやマーカスみたいなことをいうのかい?」

「アンタを守るっていう役目をきっちりこなしてると思ってほしいね。なんでそうやって、考えなしに動こうとするんだよ」

「思考の前に行為がくるというのは、べつに不思議なことでもなんでもないよ。こと、ボクのように情熱に突き動かされるタイプにはね」

「黙れ。それに振り回されるほうの身にもなれってんだよ!」

「なに。イヤなのかい?」


 いい争うふたりの横で、レギルが肩をすくめた。


「仲のよいことで」


 本気でどうでもいいと思っていそうな口振りだった。

 お前がよけいなことをいうからだろうが、と怒りを覚えたが、初対面時のあの恐怖を思えば面と向かって悪態はつけない。

 そんなウィルとは対照的に、ニーニヤは軽い調子で彼の背中を叩く。


「それで、ねえ。隊長さん? ひとつ頼みを聞いて欲しいのだけれど」

「頼み?」


 レギルは露骨に嫌そうな顔をしたが、いい気味だとは思えなかった。

 素敵な思いつきをした、とでも言いたげなニーニヤを見れば、悪い予感しかしてこない。


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