バラックシップ流離譚

異形ひしめく船上都市
葦原青
葦原青

追跡

公開日時: 2020年12月10日(木) 00:01
文字数:2,384

 ひとしきり慌てふためいたあと、それどころではないとミツカが告げた報せは衝撃的なものだった。

 というか、ウィル自身、そこまで衝撃を受けるとは思っていなかった。


「そんな……ニーニヤが……」


 頭が真っ白になり、出てくる言葉はまともに意味を成さなかった。


「落ち着いて。まだ、そんなに遠くにはいってないはずよ」


 大丈夫。大丈夫だから。

 包み込むようにウィルの手をにぎり、ゆっくりとした口調で、まっすぐに目を見つめてくる。ミツカの手はやわらかく、とても温かかった。


「あ、ありがとう」


 狼狽えている場合ではない。気を取り直したウィルは、ミツカとともに野営地に駆けもどった。

 ニーニヤの寝ていた場所には彼女の使っていた毛布が残されていたが、争ったような形跡はない。寝込みを襲われたのだから、抵抗すらできなかったのだろう。


「他にいなくなってるのはホドロって人たち。きっと、その人たちが犯人ね。レムトさんたちも探してくれてる」


 ホドロ――名前は記憶になかったが、たぶんあの連中だろうという顔は思い浮かぶ。小汚い身なりをした死骸漁りスカベンジャーのパーティだ。メンバーは、彼を入れて五人。

 目当てはおそらく〈億万の書イル・ビリオーネ〉だ。

 外界から隔絶された〈幽霊船〉では書物自体が貴重だが、中でも〈億万の書イル・ビリオーネ〉は特別と言える。一冊しかないことに加え、ニーニヤ曰く、「それ自体が強力な魔法具」なのだとか。

 船の外から書物が持ち込まれたり、ダンジョンで発見された場合、もっとも安全かつ高額で買い取ってくれるのが〈図書館〉である。

〈図書館〉は人の「叡智」を保存し、要請があれば写本を制作して貸し出す。そのとき、謝礼というかたちで支払われる代金が〈図書館〉の主な収入源となっている。

 しかし、仮に〈億万の書イル・ビリオーネ〉が売りに出されれば、どれだけ金を積んででも手に入れたいと望む好事家は多いだろう。


「本だけ……かな?」


 ミツカが不安そうに訊ねた。

 言わんとするところはわかる。ニーニヤを生かしたまま連れていけば、特定の店に高く売れるのは間違いない。

 だが、検疫を抜ける際のリスクを考えれば、殺してしまったほうが話は簡単だ。

 連中がニーニヤを始末するつもりにも関わらず、その場で殺さなかったのは、自分たちで愉しむためだろう。

 いまある情報で判断するなら、可能性は五分五分といったところか。


「とにかく、急がないと」

「う、うん。でも……」


 ミツカが樹々に目を向けた。

 ラムダによれば、荷物を抱えたホドロたちは、ジャングルに踏み込んでいったらしい。

 見ていたなら止めろよと思ったが、ともかく連中は、迂回路を取りつつ船を目指していると思われる。


「どうする?」


 夜のジャングルは、昼間とは比べ物にならないほど危険だ。


「おれたちは元来た道をいこう。奴らだって、なるべくはやく道にもどりたいはずだ。うまくすれば、先回りできるかも」


 ウィルは松明をかかげ、昼間通ってきた道を逆行した。


「ま、待ってってば!」


 ミツカが追いかけてくる。

 つきあってくれるのはありがたいが、だからといって歩調を合わせるつもりはない。

 気が急いているのだろう、自分でもかなり速いペースだとわかる。気持ちとしては、全速力を出したいくらいだった。

 足を動かしながら、ウィルは注意深く観察をはじめた。


(焦るな……焦るなよ……)


 焦ったところで事態はひとつも好転しない。

 与えられた役割を――ニーニヤを守るという使命を果たしたいと思うなら、なによりもまず、落ち着くことが肝要だ。

 いまだ未熟な自分にできることなど、そのくらいしかないのだから。

 途中、獣の遠吠えや、茂みがガサガサ鳴ったり、ザキザキ……ザキザキ……というような得体の知れない音を何度も聞いた。

 存在を隠そうともせず疾走するウィルたちは、ジャングルの住人からすれば格好の獲物だろう。

 だが、いまは恐怖に竦んでいるヒマはない。悪い想像を頭から締め出し、ひとつのことにだけ集中する。


「あった!」


 突然立ち止まったウィルの横に、困惑顔のミツカが並んだ。

 あそこだと示すほうを見てもすぐにはわからなかったようで、目を眇め、顔を近づけたところでようやくなにかに気づいて「あっ」と声をあげた。


「これ、人の通った跡?」


 森と道の際――そこに生えている樹の幹についたわずかな傷。

 それから折れた枝と、道に入って船へと向かう足跡。

 どれも、熟練の狩人か野伏でもなければ見落としてしまいそうな、ごくわずかなものだ。


「よくわかったね」

「かたちがちがうんだ……来たときとは」

「えっ?」


 ウィルは素早く呼吸を整えると、すぐに追跡を再開した。ここで道にもどったとすれば、もうすぐのはずだ。


「憶えてるの?」

「そう。それが、おれの能力」

「え……だ、だって――」


 ミツカは口ごもった。あのときの顛末を思い出したのだろう。

 モールソン一家の見習いとして〈天啓の詞フルール・クルーレ〉参りを済ませたウィルたちは、イグラッド・モールソンの前で発現した能力を披露した。

 他の少年少女は、おおむねイグラッドを満足させ、やがてウィルの番になった。

 精神の力を引き出され、フルーリアンとなった者は、教えられなくともなんとなく、手に入れた能力がどんなものかわかるものだ。

 だからウィルも、直感にしたがって、できると思ったことをやってみせた。

 それは、「自分が現在いる座標がわかる」ということだった。

 日々増築と改装とその他の要因によって変化を続ける居住区では、外出の際、現在地を把握するコンパスが必須アイテムとなる。

 必須ということは、それだけ需要があるということであり、技術者集団〈ギルド・ガラニア〉有する工場で大量生産され、安価で出回っている。

 具体的には、だいたい十分の一パールだ。

 つまり、ウィルの手に入れた能力とは、子供の小遣いで買える程度の道具で代替が利くものだった。

 イグラッドが大いに失望し、その場で一家からの追放を決めたのも当然といえる。

 しかし、それがすべてではなかった。


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