ひとしきり慌てふためいたあと、それどころではないとミツカが告げた報せは衝撃的なものだった。
というか、ウィル自身、そこまで衝撃を受けるとは思っていなかった。
「そんな……ニーニヤが……」
頭が真っ白になり、出てくる言葉はまともに意味を成さなかった。
「落ち着いて。まだ、そんなに遠くにはいってないはずよ」
大丈夫。大丈夫だから。
包み込むようにウィルの手をにぎり、ゆっくりとした口調で、まっすぐに目を見つめてくる。ミツカの手はやわらかく、とても温かかった。
「あ、ありがとう」
狼狽えている場合ではない。気を取り直したウィルは、ミツカとともに野営地に駆けもどった。
ニーニヤの寝ていた場所には彼女の使っていた毛布が残されていたが、争ったような形跡はない。寝込みを襲われたのだから、抵抗すらできなかったのだろう。
「他にいなくなってるのはホドロって人たち。きっと、その人たちが犯人ね。レムトさんたちも探してくれてる」
ホドロ――名前は記憶になかったが、たぶんあの連中だろうという顔は思い浮かぶ。小汚い身なりをした死骸漁りのパーティだ。メンバーは、彼を入れて五人。
目当てはおそらく〈億万の書〉だ。
外界から隔絶された〈幽霊船〉では書物自体が貴重だが、中でも〈億万の書〉は特別と言える。一冊しかないことに加え、ニーニヤ曰く、「それ自体が強力な魔法具」なのだとか。
船の外から書物が持ち込まれたり、ダンジョンで発見された場合、もっとも安全かつ高額で買い取ってくれるのが〈図書館〉である。
〈図書館〉は人の「叡智」を保存し、要請があれば写本を制作して貸し出す。そのとき、謝礼というかたちで支払われる代金が〈図書館〉の主な収入源となっている。
しかし、仮に〈億万の書〉が売りに出されれば、どれだけ金を積んででも手に入れたいと望む好事家は多いだろう。
「本だけ……かな?」
ミツカが不安そうに訊ねた。
言わんとするところはわかる。ニーニヤを生かしたまま連れていけば、特定の店に高く売れるのは間違いない。
だが、検疫を抜ける際のリスクを考えれば、殺してしまったほうが話は簡単だ。
連中がニーニヤを始末するつもりにも関わらず、その場で殺さなかったのは、自分たちで愉しむためだろう。
いまある情報で判断するなら、可能性は五分五分といったところか。
「とにかく、急がないと」
「う、うん。でも……」
ミツカが樹々に目を向けた。
ラムダによれば、荷物を抱えたホドロたちは、ジャングルに踏み込んでいったらしい。
見ていたなら止めろよと思ったが、ともかく連中は、迂回路を取りつつ船を目指していると思われる。
「どうする?」
夜のジャングルは、昼間とは比べ物にならないほど危険だ。
「おれたちは元来た道をいこう。奴らだって、なるべくはやく道にもどりたいはずだ。うまくすれば、先回りできるかも」
ウィルは松明をかかげ、昼間通ってきた道を逆行した。
「ま、待ってってば!」
ミツカが追いかけてくる。
つきあってくれるのはありがたいが、だからといって歩調を合わせるつもりはない。
気が急いているのだろう、自分でもかなり速いペースだとわかる。気持ちとしては、全速力を出したいくらいだった。
足を動かしながら、ウィルは注意深く観察をはじめた。
(焦るな……焦るなよ……)
焦ったところで事態はひとつも好転しない。
与えられた役割を――ニーニヤを守るという使命を果たしたいと思うなら、なによりもまず、落ち着くことが肝要だ。
いまだ未熟な自分にできることなど、そのくらいしかないのだから。
途中、獣の遠吠えや、茂みがガサガサ鳴ったり、ザキザキ……ザキザキ……というような得体の知れない音を何度も聞いた。
存在を隠そうともせず疾走するウィルたちは、ジャングルの住人からすれば格好の獲物だろう。
だが、いまは恐怖に竦んでいるヒマはない。悪い想像を頭から締め出し、ひとつのことにだけ集中する。
「あった!」
突然立ち止まったウィルの横に、困惑顔のミツカが並んだ。
あそこだと示すほうを見てもすぐにはわからなかったようで、目を眇め、顔を近づけたところでようやくなにかに気づいて「あっ」と声をあげた。
「これ、人の通った跡?」
森と道の際――そこに生えている樹の幹についたわずかな傷。
それから折れた枝と、道に入って船へと向かう足跡。
どれも、熟練の狩人か野伏でもなければ見落としてしまいそうな、ごくわずかなものだ。
「よくわかったね」
「かたちがちがうんだ……来たときとは」
「えっ?」
ウィルは素早く呼吸を整えると、すぐに追跡を再開した。ここで道にもどったとすれば、もうすぐのはずだ。
「憶えてるの?」
「そう。それが、おれの能力」
「え……だ、だって――」
ミツカは口ごもった。あのときの顛末を思い出したのだろう。
モールソン一家の見習いとして〈天啓の詞〉参りを済ませたウィルたちは、イグラッド・モールソンの前で発現した能力を披露した。
他の少年少女は、おおむねイグラッドを満足させ、やがてウィルの番になった。
精神の力を引き出され、フルーリアンとなった者は、教えられなくともなんとなく、手に入れた能力がどんなものかわかるものだ。
だからウィルも、直感にしたがって、できると思ったことをやってみせた。
それは、「自分が現在いる座標がわかる」ということだった。
日々増築と改装とその他の要因によって変化を続ける居住区では、外出の際、現在地を把握するコンパスが必須アイテムとなる。
必須ということは、それだけ需要があるということであり、技術者集団〈ギルド・ガラニア〉有する工場で大量生産され、安価で出回っている。
具体的には、だいたい十分の一パールだ。
つまり、ウィルの手に入れた能力とは、子供の小遣いで買える程度の道具で代替が利くものだった。
イグラッドが大いに失望し、その場で一家からの追放を決めたのも当然といえる。
しかし、それがすべてではなかった。
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