青年は幼女二人と探し物をする

青キング
青キング

老人に頼まれる

公開日時: 2020年11月7日(土) 23:23
更新日時: 2020年11月7日(土) 23:24
文字数:5,706

 通りの敷石に降り注ぐ太陽の下、ライン河沿いの町を地図を片手に歩く青年ジャック・ケイトは、小ぶりな山高帽を被り、すりきれたトレンチコートとツイードのズボンに身を包んでいる。

 彼は地図を見る目を凝らした。


「おかしいな、この辺に安い下宿があるって聞いたんだけど」


 途中で道を間違えたのだろうか、とジャックは町の地図で現在地を確認しているが、通りの左右は商店ばかりで、地図上での自身の現在地を知るのに目ぼしい建物はない。


「もう少し、歩いてみるか」


 ジャックが地図から顔を上げ歩き出そうとした時、うっ、としわがれた声がお腹の辺りから聞こえた。

 軽い杖が敷石を叩く音に彼ははっとする。

 老爺が足元で尻もちをついていた。


「すいません、お怪我は?」


 ジャックは慌てながらも老爺の背中を支えて身体を起こしてあげ、心配げに腰を下げ老爺を見た。

 老爺が辺りを忙しく眺め回している。


「どうかされました?」


 老爺はジャックに目もくれず、絶えず焦った様子で左見右見する。

 ジャックもつられて、辺りを眺め回すが杖以外何も落ちていない。


「何か無くしてしまわれたのでしたら、弁償しますけど」

「ああ、君」


 ようやくジャックの存在に気が付き、痩せて皺くちゃの手の指で彼を指した。


「この町の方でしょう、息子へのプレゼントを探してください」

「は、はい?」


 わけがわからず、ジャックは尋ね返した。

 老爺は杖を拾うのも忘れて、ジャックにすがりつく。


「どうか、息子へのプレゼントを探してください」

「僕はこの町に昨日来たばかりで、何がどこにあるのかすら全然知らないんです」


 すがりつかれてびっくりして、ジャックは手にしていた地図を手から落とした。

 老爺の目が地図に向かう。


「あなた、地図をお持ちで……なおさらです助けてください」

「わかりました、わかりました。一緒に探しますから、すがりつくのはやめてください」


 道行く人達が足を止めて、好奇の視線を彼と老爺に送っている。

 老爺があああ、と神に祈るかのように両手の指を組んだ。


「ありがたや、ありがたや」

「探すなら早く探しましょう。はい、立ってください」


 ジャックは道に転がった杖を老爺に持たせてやる。

 老爺は杖をついて立つと、地面に落ちた地図を指さす。


「地図を見れば、落とした場所がわかるでのう。見せてくれんか?」

「いいですよ」


 ジャックは地図を拾い手渡す。

 地図を受け取って、老爺は顔をかなり近づけて熟視する。


「土手と川があっての、葡萄畑らしいのもあったわい」

「わかるのはそれだけですか?」

「そうじゃ、年取ると目が悪くなるでのう遠くは見えんのじゃ」


 ジャックは情報量の少なさを嘆いて、後ろ頭に手を当てる。


「聞いて回るしかないですね」

「そうかの、早く辿り着きたいわい」


 老爺は必要なくなった地図をジャックに突き返した。



 ジャックと老爺は商店の立ち並ぶ通りで、土手と川と葡萄畑があるところを聞き回った。

 何人目かで場所を知っている人から、正確な位置を教えてもらい歩いて向かったのは良かったのだが、


「対岸じゃないか」


 老爺の歩く速さに合わせてようやく教えてもらった場所に来たが、そこはライン河の対岸に土手と葡萄畑が見える林の隅っこだった。

 ジャックは、隣の老爺に訊く。


「あなたが物を落としたのは、あの対岸ですか?」


 老爺は精一杯目を凝らしたが、横に首を振った。


「違うんですか?」

「目が悪くて見えん」

「……聞き込みからやりなおしましょう」


 溜息を吐いてジャックは、老爺とともに林を出た。

 


 通りに戻って次に場所を尋ねた人が運よくワイン屋の店主で、その場所はよく知っているという。

 望みを持って二人は教えてもらった場所に向かった。

 地図で確認しながら着いたそこは、土手を下りると農家の用水となる小川がある広大な葡萄畑の沿道だった。沿道は昨夜の雨で所々、大小の水溜りができている。

 老爺が口を開けて呆然と景色を眺めて、


「ここじゃ、ここで落としたんじゃ」


 ジャックは自分のことでないのに老婆に微笑んだ。


「よかったですね。でもこんなとこで落とすなんて、何を落とされたんですか?」

「木箱じゃよ、わしから息子への形見を入れとった」


 老爺が道で首を巡らして、落とし物を探す。


「どうです、あります?」


 老婆は巡らしていた首を残念そうに横に振る。


「仕方ありません、諦めましょう」

「それはできんのう」


 落ち込んでいた老爺が突っぱねた。

 杖の握りにある手に力が入る。


「妻を亡くしたわしが男手一つで育てた息子への、最後のプレゼントかもしれんのじゃ」

「最後のってどういう?」

「よかったら老い先短い老人の願いを叶えてくれんかのう、ごほっごほっ」


 老人は急に咳き込み、手のひらで口元を覆う。

 口元から手が退くと、掌にねっとりと赤い血が溜まっていた。


「大丈夫ですか、って大丈夫なわけないですよね」

「結核じゃ。わしの心配はいい、プレゼントを早く見つけ出すぞい」

「はい」


 道で会った時に何故あんなにも縋ってきたのか、わけを知ったジャックは突然胸が痛く感じた。この人の探し物をなんとしても見つけ出そう。


「近くに住んでる人に訊いてみましょう、もしかしたら預かってくれているかもしれません。でも、周りが畑しかありませんね」


 二人の周囲には葡萄畑ばかりで、探し物するには人気がなさすぎた。


「また街に戻って、聞き回るしかなさそうですね」

「そうじゃのう」


 慣れない土地で二人はとぼとぼ、来た道を逆に歩き出した。

 


 街に戻ってきた二人は、通りの商店を軒並み聞き回る。


「ダメですね」

「そうじゃのう、拾ってわざわざ持ち主を探す親切な人はいないんじゃな」


 老爺の白髪頭が寂しそうに俯く。

 なんとかして見つけてやりたい、とジャックは老爺を見て思う。

 食品売りの店から、無精な髭面の店主の通行人の気を引こうとする張りのある掛け声が、彼と老爺の耳に届く。


「もう一軒、聞いてみましょう」


 ジャックは提案して、食品売りの店の前に立った。

 彼と同じく掛け声に引かれたのか、色艶美しい黒髪を肩で切り揃えた若い女性も店の前に来る。


「あの」

「おいくらですか」


 ジャックと若い女性の声が被さった。

 店主が困ったように店前の二人を交互に見た。


「同時に喋るな、どっちから買うんだ?」


 ジャックが、え? と女性の方を見遣る。

 女性の方もジャックに目を移す。

 意味もなく見つめ合ったまま、ジャックは女性の視線に堪えられず顔を逸らして一歩下がった。


「すいません、お先にどうぞ」

「私はいつでもいいのよ。あなたこそ、お先にどうぞ」


 朗らかに微笑んで女性はジャックに店主の前を譲った。

 どうもすみません、と女性に会釈してからジャックは店主に尋ねる。


「あの、葡萄畑の辺りで木箱を見ませんでしたか。もしくは拾った人をご存知でしょうか?」

「木箱? 知らねぇな」


 店主はぶっきらぼうに答えた。


「そうですか」

  

 話を聞いていた黒髪の女性が、落胆するジャックの肩をトントンと叩く。


「お話聞いてましたけど、あなたは探し物をしてるんですか?」


 ジャックは急に話しかけられ驚きつつ、女性を振り返る。


「はい、僕の持ち物じゃないですけど、このお爺さんが無くされた物で、探すのを手伝ってたんです」

「あら、あなた優しいのね」

「そういうわけじゃないですよ」


 謙遜するジャックに口に、女性は手を添えて上品に微笑む。


「探し物や落とし物を見つけ出したいなら、私に着いてきてくださる? 探し物が得意な知り合いがいるけど紹介してあげるわ」

「探し物が得意な人がいるんだそうですけど、どうします?」


 ジャックは傍の老爺に訊く。

 老爺は見つかるなら何でも構わん、と承諾した。


「それじゃあ、ぜひともその知り合いに助力を頼みたいです」

「わかったわ、私に着いてきて案内するわ。でも先に買い物だけ済まさせてね」



 ジャックと老爺が女性に着いて歩いていくと裏通りの一角で、手入れの行き届いて小ぢんまりとした芝生の前庭を白い柵が囲む邸宅が見えてくる。

 白い柵と同材で出来た門柱に、字の彫られた金属板がはめ込まれている。その金属板にジャックが目を留めた。


「フンネルス孤児院?」


 庭の入り口で女性が振り返る。


「そう、探し物が得意な知り合いはここに住んでるのよ」

「その人はここの管理人なんですか?」

「顔を合わせたら、きっと驚くわ」

「なんじゃ、孤児院かの。探偵事務所じゃないのか」


 老爺は期待外れだった、と気を落とす。

 女性がふふ、反応を楽しんでいるように笑い、


「探偵の人より、探し物に関しては私の知り合いの方が優秀よ」

「その人、そんなにすごい方なんですか」


 ジャックが尋ねる。


「ええ、その子なら絶対にあなた達の探してる物を見つけ出してくれるわ」


 女性はそう自信ありげに笑って邸宅のドアを開けた。ジャックと老爺を中に招き入れる。

 ジャックと老爺をリビングまで導いて、リビングの左手にある革張りが一部剥がれた年季物のソファを指さした。


「あそこに二人、女の子がいるでしょ?」


 ジャックはソファを見る。

 一人は真っすぐな金色の長い髪の少女で、小さな身体でソファに腰を据え、うとうとと首を力なく垂らしてまどろんでいる。もう一人は赤みのある茶色の髪を頭の左右で束ね、金髪の子にもたれかかって眠たそうに目を細く開けている。どちらもまだ十、十一ぐらいの少女だ。


「孤児院の子ですか?」

「ええ、そしてあの二人が探し物が得意な私の知り合い」

「信じられません」


 女性はそうでしょうね、と驚くことを想定していた表情をする。

 ほんとに信じられんのう、と老爺もジャックに同じ感想を口にする。


「シャロットちゃん、ライリーちゃん、お客さんが来たわよー」


 黒髪の女性が呼びかけると、うにゅうにゅう、と金髪の少女が眠りから半ば目覚め、唇をうねらせた。

 赤茶色の髪の少女は女性の声に、驚いた様子で素早く目を見開いた。


「起きたようだし、お二人も向かいに座って」


 女性はジャックと老爺に少女二人の対面のソファの席を促す。

 促されたジャックと老爺は、戸惑いを感じながらもソファに腰かけた。

 青年と老人の男性連れに目の前にして、金髪の少女が初対面で緊張した顔でソファに座ったままお辞儀した。


「シャロット・ベルナーです」


 続いて赤茶色の髪の少女も物慣れた笑顔でお辞儀する。


「ライリー・カヌエルっす、お兄さんとお爺さんは私達に何かご用でもあるんすか?」


 先程まで眠りかけていたとは思えない溌溂さで、興味ありげに目の前のジャックと老爺を見た。

 ジャックも倣って少女二人に頭を下げて名乗る。


「僕はジャック・ケイト。こちらは……そういえば名前まだ聞いてませんでしたね」


 老爺に向き、ジャックは苦笑いする。

 老爺がゆっくり名前を言う。


「わしはヘルマン・ジードルスじゃ」

「ジャックさんとヘルマンさんだってシャロちゃん」


 わかりましたですと、シャロットは頷く。


「ジャックさんとヘルマンですね、覚えておくです。それでご用件はなんです?」


 ジャックが老爺の代わりに用件を話す。


「ええと、このヘルマンさんが息子さんへの贈り物の入った木箱を葡萄畑の辺りで落としたわけなんだけど、そこには見当たらなくて木箱を探してるんだ」

「大体の理解はできましたけど、ジャックさんはヘルマンさんの付き人なんですか?」


 シャロットがジャックの顔を不思議そうに見て尋ねる。


「付き人じゃないよ。通りでたまたま会って、探すのを手伝ってるんだ」

「優しいんすね、ジャックのお兄さん」


 ライリーが頬杖をついたまま上目遣いに、ジャックをニヤニヤして見つめる。

 そんなことないよ、とジャックは謙遜した。


「ジャックさんのお話を聞きますと、無くされたのはヘルマンさんの方みたいです。ヘルマンさん、いろいろお尋ねしてもいいです?」

「構わんよ、木箱が見つかるならなんでも協力するでのう。でもほんとに君たちは探し出せるかのう?」


 ヘルマン老爺の不安の混じった問いに、シャロットとライリーは見合ってから強く頷く。


「はい、見つける自信がありますです。これまでの何回か人の探し物を見つけて褒められましたです」

「私もっす、シャロちゃんと組めばどんな物でも探し出すっすよ」


 ソファの傍でやり取りを聞いていた黒髪の女性が、ジャックと老爺に請け合う。


「そうよ、シャロットちゃんとライリーちゃんはこれまでに十数件の探し物を見つけ出してるの」

「メアリお姉ちゃんにも協力してもらってます」

「メアリ、お姉ちゃん?」


 ジャックは女性の方を窺って、首を傾げた。


「シャロットさんとあなたは姉妹なんですか?」

「姉妹じゃないわよ。私はこの町の領主でこの孤児院を経営してるクラウド・フンネルスの娘でメアリ・フンネルス。ここの管理人でもあるのよ」

「この町に来たばかりだから、クラウド・フンネルスさんがどういう人なのか知りませんでした。すみません」

「わしも知らんのう」

「ジャックさんにヘルマンさん、話を戻しましょうです」


 シャロットが横道に逸れた話題を修正する。


「葡萄畑の辺りで木箱を落としたと言いましたけど、詳しい場所わかります?」


 ジャックが地図を取り出して、ソファの間のテーブルに広げて指の先で示す。


「ここの道で落としたらしいんだ」

「そうじゃ、土手と川と葡萄畑があるのう」

「ヘルマンさんはその道で転倒しましたです?」


 老爺が思い出したようにおお、と息を漏らす。


「そうじゃった。すっかり忘れておったが、この道を歩いとる時に向かいから来る馬車にぶつかりそうになって後ろに転んだの」


 地図を見ているライリーが、老爺に目を上げ尋ねる。


「その道に水溜りできてなかったっすか?」

「そうじゃった、転んだ時に水溜りに背中からはまったの」

「立って背中向けてもらっていいっすか?」


 老爺はわけもわからず、緩慢な動きでライリーにガウンの背中を向けた。

 ライリーが老爺のガウンの背中側の生地を念を入れて手で触る。


「まだ少し濡れてるっす。でも左右で乾き具合にムラがあるっすね」

「ヘルマンさん、私とライちゃんをあなたが転んだ場所まで連れて行ってください」

「それで探し出せるなら、一向に構わん」

「僕も着いていったほうがいいの?」

「はい、ジャックさんも一緒に来てください」

「それじゃ、行くっすか」


 ジャックと老爺は新たに二人の少女を伴って、再び葡萄畑の沿道へ向かった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート