老爺の木箱探しは落着し、シャロットとライリーに帰途に就いた。
ジャックは少女二人で夜道は危険だと、孤児院まで付き添うことにする。
「すっかり暗くなっちゃいました。メアリお姉ちゃんに怒られちゃいます」
シャロットが歩きながら肩を落として言った。
通りの街燈が灯り始め、人通りも少なくなってきている。
ジャックがシャロットの呟きを聞き、メアリの淑やかな印象から目くじらを立てる姿が思い浮かばず質問する。
「メアリ・クラウドさんは怒ると恐い人なのかい?」
「そんなことはないですけど、夕飯を減らされるんです」
苦り切った顔でライリーがお腹をさすった。
「いつも歩き回るから、お腹ペコペコっすよ」
「二人を心配してるんだよ。夜の街では悪酔いしてる人がたまにいるから、突然殴られることがあるからね」
「ジャックさん、そんな痛いことされたですか?」
「他の町の通りでだけどね。ここは通りが静かだから、そう心配しなくて大丈夫だろうけど」
「ジャックお兄さんは、なんでこの町に来たんすか」
ライリーが不思議そうに尋ねる。
「下宿を探してたんだ。近くに安い下宿があるって聞いてたから」
「下宿すか、安い場所があるってのはあたしも聞いたことあるっすけど、評判悪いっすよ。部屋に何もない物置小屋らしいっすから」
「物置小屋か、さすがに嫌だなぁ」
物置小屋に寝泊まりする自分を想像し、好もしくない表情をする。
「そのことなら、メアリお姉ちゃんに相談してみるといいです」
「どうしてだい、シャロットちゃん」
「この前にメアリお姉ちゃんが、この部屋を借りてくれる人がいないかしらって言ってたんです」
「そうなんだ、じゃあ孤児院に着いたら相談してみるよ」
三人は駄弁っているうちにジャックが老爺と知り合うことになった通りまで来ていた。ジャックはふと葡萄畑の沿道を思い出し、あの時の老爺と少女二人の問答をふと思い出す。
「今思い出したんだけど、シャロットちゃんとライリーちゃんは葡萄畑の脇の道でヘルマンさんに質問してたけど、なんで急に通りまでの道の時間を僕に測らせたの」
「太陽です」
「太陽、どういうことだい?」
ジャックはシャロットの思わぬ返答に頭を捻った。
「ヘルマンおじいさんの着ていたガウンの乾き具合っすよ」
ライリーが事も無げに言った。
太陽と乾き具合、二つの関係性がジャックにはどうも結び付かない。
「ジャックさんはヘルマンさんと、一度あの道へ行っていますよね」
「そうだよ。それも何か関係があるのかい」
「ジャックさんはあの道から通りに戻ってくるとき、ヘルマンさんの左を歩いてました」
「あれ、あの時はまだシャロットちゃんいなかったよね。なんで僕がヘルマンさんの左を歩いていたことを知ってるんだい」
「ジャックお兄さんも、案外頭が悪いっすね」
ライリーが冷たい視線を向けて、気軽くそしる。
「そんな言い方しないでよ」
「ダメです、ライリーちゃん。ジャックさんは私達みたいに物によく注意を払っていませんから、わからなくて当然なんですから、悪く言っちゃいけません」
「もっと傷ついただけだよ」
ジャックは二人に聞こえぬ小声で呟いた。
「ヘルマンさんの行動を追いながら、全て説明します」
得意げにシャロットが話し始める。
「まずヘルマンさんはヤルジーキさんの扱う馬車とぶつかりそうになり、後ろに転倒し水溜りに背中から浸かってしまいました。その時に木箱を水溜りの中に落としたんです。ヘルマンさんは木箱を落としたことに気が付かぬまま、道に沿って歩き街に向いました。水溜りに木箱を落ちているのを偶然見つけたヤルジーキさんが箱を開け、中身が宝石がだと見て取り中身をくすねました。きっと中身は服の内側にでも忍ばせたんです。ヘルマンさんはジャックさんと通りで会うより前に、木箱を落としたことに気付きました。この時ヘルマンさんが歩いてきた道は通りまで真っすぐでしたし、街に入らない限りは高い建物はないので南に昇っていた太陽の光は背中に当たっています。太陽の光が直接当たれば乾きも早いはずです。通りでヘルマンさんがジャックさんに木箱を探す手伝いを頼んで、ジャックさんはそれを了承します。そうして二人が最初に行き着いた場所は見当違いだったそうですから、通りに引き返します。
次にヘルマンさんとジャックさんは水溜りのある葡萄畑の道に着いたそうですが、二人が着く前にヤルジーキさんが通過した一時間後に同じルートを運行しているハルンブルトさんが、木箱を見つけて落とし物として管理局に持ち帰ることにしました。なので二人があの道で木箱を見つけることはありません。木箱を探し出せず再び通りへと引き返す道中では、太陽が西に傾きつつあったはずですから、ヘルマンさんの背中に当たる太陽の光は左側に強く当たるはずなんですが、ライちゃんが調べた服の乾き具合は、左側だけ乾きが悪かったんです。なのでジャックさんがヘルマンさんの左側を歩いていたことがわかります。歩いて二人は通りに戻ってきて、どこかでメアリお姉ちゃんに行き会い、私とライちゃんのところに来ました。その時にはヘルマンさんが木箱を落としてから二時間ぐらいが経っていました。二人がそれまでに移動した時間は全部で大体一時間半を少し超えるくらいだと思います。そのことを踏まえて私とライちゃんはヘルマンさんがぶつかりそうになった馬車を特定するために、つゅじ馬車管理局に向うことにしたんです。私とライちゃんはヤルジーキさんがてっきり木箱を拾ってくれたのだと思っていたんですが、実際は後のハルンブルトさんが木箱を空の状態で拾っていました。そこで中身だけをヤルジーキさんが盗ったのではと疑いまして、急いで追いかけたんです。これで推理を全て言い起しました」
いたいけな少女には不似合いの長広舌を聞き終え、ジャックは一つ疑問を覚えた。
「あのさ、話を聞いて気付いたんだけど僕がヘルマンさんの左側を歩いていた事実は、木箱を探し出すことと、なにも関係しないんじゃないかい」
ジャックの重箱の隅をつつくような問いに、シャロットはちょっと不機嫌に言い返す。
「発見した事実は全て発表したいんです。関係ないかどうかは、調べてる時には判別できません」
「そうっすよ。順序立てて話してるっすから、結果的に直接関係のないことも明かすことになるっす。異論は認めないっす」
ライリーが補足する弁論で締めた。
そうこうして孤児院まで着くと、この町の領主クラウド・フンネルスの娘メアリが目角を立ててドアの前に手を腰に当てて立っていた。彼女の端整な顔が、シャロットとライリーを見下ろして母性的怒りに歪む。
「こら、二人とも。また刻限を破った。暗くなる前に帰ってくるのよっていつも言ってるでしょ」
「ごめんなさいです、メアリお姉ちゃん」
「すまないと思ってるっす」
人差し指をピンと伸ばして、メアリは少女二人の顔の前に突きつける。
「シャロットちゃんもライリーちゃんも、誰かの探し物に協力するのはえらいことだけど。暗くなる前に帰ってこないと、夜はどんな危ない人がいるのかわからないのよ。夜は私だって仕事があって毎日ここにいられるわけじゃないのよ」
少女二人は肩をすぼませて、見るからに元気がなくなった。
メアリは二人の後ろに静かに立っているジャックに顔を向ける。
「あなたも、この二人に振り回されて大変でしたでしょう」
「僕ですか、いいえ」
ジャックは微笑して答えた。
目をぱちくりとさせてメアリがジャックを見つめる。
「あなたは、シャロットちゃんとライリーちゃんの際限ない好奇心についていけるんですか」
「シャロットちゃんもライリーちゃんの行動に最初は疑問だらけでしたけど、先程話を聞いてみたら、行動に全部意味があって、それを聞いていると楽しくて振り回された感じはありませんよ」
シャロットとライリーも、ジャックの思わぬ言葉に彼の方を向き呆気にとられていた。
だが段々と少女二人の表情に、こみ上げる嬉しさがありあり表れてくる。
「そんな風に言ってくれるの、今までクラウドおじさんの他にいませんでした」
シャロットが満面で笑った。
「ジャックおにいさん、心が広いっすね。憧れるっす」
かたやライリーは口の端を吊り上げて笑った。
メアリが少女二人とジャックを交互に見て、何かを見抜いた様子で口元を緩ませた。穏やかにジャックに言う。
「これからも、二人と仲良くしてあげてね」
「ええ、二人がよければぜひ」
「メアリお姉ちゃん、ジャックさんは安い下宿を探してるらしいです」
シャロットがメアリの怒りがおさまったとみて、彼の身の上について伝えた。
それは丁度よかったわ、とメアリは我が意を得たりと頷いた。
「下宿よりも安上がりで人並み以上の生活ができる部屋を、あなたに紹介してあげるわ」
ジャックは帽子を摘まんで頭を下げる。
「ありがとうございます、メアリさん。それでその部屋の場所は」
「着いてきくれるかしら、すぐ近くだから」
メアリはドアの外に立つジャックの横に並んだところで、少女二人に言う。
「二人とも、台所に夕食が用意してあるからちゃんとテーブルの上で食べるのよ。いい」
「はいです、メアリお姉ちゃん」
「承知してるっす」
二人の少女は健気に従う意を示した。
ジャックはメアリに案内されるまま孤児院の外塀に沿う脇道を進むと、小作りな木組みの一軒家が眼前に見えてくる。
ジャックが傍らのメアリに訊く。
「こんな立派な一軒家にを貸しちゃっていいんですか? 僕一人では身にあまりますよ」
「ここ、誰も住む人がいないのよ」
メアリは寂し気な色を横顔に浮かべる。
「なぜです。外からは見えない欠陥でもあるのですか」
「構造にはなんの問題もないわ。ただ、前に住んでいた人がすごい人だから、皆遠慮しちゃうのよ」
「すごい人って誰です」
ジャックに顔を向け、メアリは告げる。
「私のお母さん」
「メアリさんのお母さん。ということはクラウド領主の奥様でもあるんですね」
「そうですけど、私はお父様と血は繋がっていないの。ごめんなさいね、余計なお話をしてしまって」
メアリは小声で消え入るように言った。ジャックは一軒家の外観を眺めるばかりで、メアリが何を言ったのか聞きとっていない。
声の調子を上げ、表情を明るくし、話題を戻す。
「それでどうするのかしら、家賃ナシよ」
「家賃がいらないというのは、願ってもない好条件ですね」
「よければ貸してあげる。でも、約束してほしいことがあるわ」
「なんですか」
「家の改装をしないことと家具の買い替えや配置替えをしないこと」
「その条件なら呑み込みますよ。僕は家賃が安く済んで、住む場所さえあれば充分なんです」
「欲のない方ね」
「贅沢はいけません、そう思ってますから」
ふふ、メアリは口に手を当てて上品に笑った。
「あなたって面白い方ね」
「そうですかね」
「名前は確か、ジャック・ケイトさんでしたわね」
「そうですよ」
「ジャック・ケイトさんね、覚えておくわ。何か困ったことや訊きたいがあったら孤児院に来てくださいね。昼間なら大体いるわ」
「わかりました。それではメアリさん」
別れ際に、礼を言ってまたも頭を下げる。
「ええ、シャロットちゃんとライリーちゃんが、あなたのことを気に入ったみたいで、よかったら二人に会いに来てくださいね」
それだけ言い残し、メアリは来た道を戻っていった。
ジャックは新居のドアを押し開けて中に入った。
ライン沿川の町の夜は、せせらぎのように静謐に満ちていた。
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