通りの店で購入した間に合わせの暗色生地のタキシードで正装した青年ジャックは、住居としてメアリ・フンネルスから借りている借家から、待ち合わせ場所の並木の遊歩道を備えている広場まで足を急がせた。
彼が広場に着いてすぐ、彼の前に一台の四輪馬車が停まる。
馭者台の後ろに繋がれるキャビンの窓内で、金色の髪の少女が外のタキシードのジャックに身体ごと嬉々と振り向いた。
少女は笑顔で手招く。
ジャックは一つ頷き、ワゴンに乗り込んだ。
彼が腰かけるなり、馬車はフンネルス邸に向けて動き出す。
「ジャックさん、見てくださいこのドレス」
窓から手招いた少女シャロットは座席から立ち上がり、向かいに座ったジャックにクリーム色のワンピースドレス姿をよく見えるように両腕を開いた。
「シャロットちゃんにはぴったりでとても似合ってるよ」
「似合ってるですか、ありがとうございます」
顔を綻ばせて礼を言った。
ジャックの隣に腰をかけている、背中のあいたビロードのイブニングを身に着けているメアリがいつもの通り上品に笑う。
「ふふ、シャロちゃんとライちゃんのドレスは私のおさがりなの。私が着ていた時より断然似合ってるわ」
「メアリさんだって、負けてませんよ。二人とはまた違う華やかさがあります」
「褒めるのがお上手ね」
「いえいえ」
謙遜するジャックをシャロットの隣で、例のごとく頬杖をついて凝視する暗赤色のフレアスカートドレスのライリーがぼやく。
「ジャックお兄さんのお世辞なんかに、シャロちゃんもメアリお姉さんも二人して喜んでやがるっす」
「お世辞? 僕は本心で褒めてるんだよ」
「表現が回りくどいっす」
「そうかな?」
ジャックは首を傾げる。
そうなんす、とおざなりに返してライリーはぷいと窓外に視線を移した。
程なくして、鉄格子の門を隔てて内庭を有するコの字型の邸宅の前で馬の脚が止まった。
キャビンから四人が降車すると、馬車は来た道を引き返していった。
門を開けて、執事服の初老の男性が出てきた。
四人の顔をそれぞれ眺めて、「メアリ様にシャロット様にライリー様、それからジャック様で間違いないでしょうか」と確認をとる。
「この方はジャック・ケイトさんで間違いないわ、ルアンジ」
メアリが執事服の男性に頷いて請け合う。
男性はジャックに向き直り一礼した。
「わたくしフンネルス家執事の、ルアンジ・アドラーと申します。ご要望がありましたら、いつでも呼んでくださって構いませんのでなんなりと」
「ええと、ジャック・ケイトです」
ジャックはしゃちこ張って、ぎこちなく挨拶を返す。
メアリがルアンジに言う。
「ジャックさんは私が案内するから、ルアンジは調理場に戻ってて」
「かしこまりました、メアリ様」
ルアンジは庭を横ぎり、左の翼棟の窓のないドアを開けて中に入っていった。肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきたので、ドアの内側が厨房とわかる。
メアリがシャロット、ライリー、ジャックに振り向いた。
「お父様が部屋で私達をお待ちしているから、今からお父様のところに行かなくてはいけないの」
「いつものお喋りをするですか?」
シャロットが尋ねる。
「そんなところじゃないかしら。お父様ジャックさんをすごく気に入ってるから、お喋りの虫が騒いでるみたい」
というわけで、四人は本館の煌びやかな客人向きの玄関から本館中央の大宴会場前の廊下を渡って左の翼棟へ。
その棟の最奥に、クラウド氏の書斎がある。
ドアの前に来てメアリがノックすると、中から低い声の返事が返ってくる。
「メアリか」
「ええ、お父様。シャロちゃんにライちゃん、それにジャックさんも一緒です」
「おおおお、今すぐ入るんだ」
クラウド氏の高く調子の上がった声がドア越しにも響いた。
メアリは動じもせずに、ドアを開け室内に踏み入る。
「お父様、静かにしてくださる」
「おおお、メアリ。新調したそのドレスはどうかね」
「声量を落としてください、邸の外にまで響いてしまいますわ」
「そうかそうか、とりあえず適当に座ってくれ」
四人を書斎内のテーブルを挟んで向かい合った質の良いソファへ促す。
ジャックはふとドアの脇に目を留めた。その壁には鋭利なサーベルが二本の掛け釘を渡す形でかけられていた。
「ジャック君、そのサーベルが気になるかね」
「サーベルが気になるというより、何故こんなところにこんなものがあるんですか?」
「装飾でもあり、護身用でもある。そこにかけておけば部屋を出る時に持ち出しやすい」
「だから、ドアの近くに」
ジャックは納得した。
クラウド氏はおもむろに彼の肩に手を置いた。
「サーベルのことより、お喋りを楽しもうじゃないか」
「もしかして僕たちと談笑するためだけに、この部屋に呼んだんですか」
「そうだが、いけなかったかね」
「いけなくはないですけど」
先日に孤児院で会った時、大事な話があるからとパーティーに招待されたジャックからしたら、クラウド氏が他愛もない雑談のために自分を呼んことが残念だったのである。とはいえ彼は微かだがほっともした。
めいめい自由にソファに腰かけ、主にクラウド氏のシャロットとライリーを褒める賛辞だったが、割合に話は弾んだ。
和気藹々と弾んでいた歓談は、部屋の時計を見たメアリの一言で打ち切られる。
「お父様、そろそろ招待客がお越しになる時間じゃありませんの」
メアリの言葉を聞き、気だるそうにクラウド氏も時計を見る。
「もうお別れか。寂しいね」
「寂しいだなんて大袈裟よ、お父様。会場ですぐに会えますわ」
「そうか、やむを得ん」
クラウド氏は仕方なく寸時の別れを受け入れた。
メアリと少女二人は、すでにソファから立ち上がり部屋を出ようとドアに歩み寄っていた。ジャックも腰を上げる。
その折、クラウド氏が俄かにジャックに言った。
「ジャック君、君はまだ少しここに残ってくれ」
「どうして、ジャックさんだけ留めますの」
留まるように言われたジャックよりも、メアリが不思議そうに尋ねる。
「男同士の話がしたいんだ、結構破廉恥な内容だぞ」
「やだ、お父様。いやらしい」
「そう思うなら、男以外はこの部屋から出てくれ。聞いただけで全身が茹で上がるかもしれんぞ」
「言われなくても出ていきますわ。行きましょう、シャロちゃんライちゃん」
破廉恥な話とは何かなどと論議を始めた少女二人の手をとって、メアリはふくれ面で歩き去った。
部屋の外から三人の足音が聞こえなくなると、クラウド氏はしっかりドアを閉めてから、テーブルを挟んでジャックの正面に座り直す。
三度息を吐いて吸う沈黙を経てのち、クラウド氏は向かいの青年を真っすぐに見据える。
「ジャック君」
「なんでしょうか」
ジャックは気構えが出来ていた。室内に二人きりの時点で、他の人に聞かれてはまずい話だと予想がついたからだ。
クラウド氏が尋ねる。
「君はシャロちゃんとライちゃんを裏切ったりなどしないかな?」
「僕があの二人にそんな無慈悲な態度をとると思います?」
「思わんな」
クラウド氏は鼻から息を漏らして笑った。
「君になら、俺の願いを託せるかもしれん」
「不躾でなければ、その願いというものを教えてください」
「それは構わんが、先に俺の話の続きをしていいかな」
「ええ、構いません」
『願い』がどういうものかは後に回し、クラウド氏は臍を固めるようにテーブルの上に手を重ねて置いた。
「聞いて大声を出さないでくれ」
「わかりました」
ジャックが頷くと、壮年の領主は切り出した。
「実はこのパーティーを催した理由に、メアリの婚姻がある」
「メアリさん、結婚されるんですか?」
「まだ結婚にはいたらんが、このパーティーで婚約を成立させるつもりだ」
「メアリさんはそのことを知ってるんですよね?」
クラウド氏は首を横に振る。
「いいや。まだ知らせておらん」
「いきなり婚約をさせられたら、メアリさん怒りますよ」
「仕方がないんだ。時間がないから」
クラウド氏の言葉にジャックはただならぬ事情を察して真摯に問い返す。
「仕方がないとは、どうしてです?」
「もう命が長くないんだ」
ある程度の事情は慮って訳を訊いたジャックだったが、この答えにはさすがにたじろいだ。
クラウド氏は腹部の真ん中辺りを、慰撫するように触れる。
「胃癌、なんだ。治る見込みはないそうだ」
「癌のこと、メアリさんには……」
クラウド氏はこの問いにも首を横に振った。
ジャックは、クラウド氏が病気の事を家族にさえ口を閉ざしているのが、歯がゆく鼻に皺を寄せる。
「どうしてそんな大事なことをメアリさんに話さないんです。そうなるとシャロットちゃんとライリーちゃんにルアンジさん、そして奥さんにも話してないんでしょう」
「ルアンジには話してある……」
顔が俯き、突如クラウド氏の顔が悲壮に強張る。
「妻は前の大戦の時に死んだ、列車でこっちに帰ってくる途中だった」
「……さっきからお聞きしているのがつらいです」
ジャックは次々と聞かされる辛い身の上話に、心苦しくなってテーブルに視線を落とした。
クラウド氏は努めて顔を上げる。
「妻は帰りの列車に乗る前日、うちに電話をかけてきたんだ。俺が出たと知ると、あいつはいきなり言ったんだ。孤児院を建てたいって、滞在先で孤児を何人も見たんだろうな。妻が滞在していたそこは、実際戦中に兵火にさらされた町だったからな」
過去の辛い情景を思い出しながら、クラウド氏は誰に促されるでもなくそう溢した。
ジャックは一言も挟まず耳を傾ける。
「妻の乗った列車が爆破にあったと聞かされた時は、どうにも生きた心地がしなかった。大戦が終結した後、当時の女中の後押しもあって、妻が最後に残した切願である孤児院を建てることにしたんだ。そうして建てたのが、今シャロちゃんとライちゃんの住む孤児院なんだ」
「でもどうして、そのような過去の出来事を僕に話すんです」
「心残りなく、逝きたいんだ」
クラウド氏は穏やかに笑って、真っ直ぐジャックを見つめる。
「シャロちゃんとライちゃんの将来を君に託したい。孤児院を継げとまでは言わない、ただ二人の友達であってほしい」
「クラウドさんに頼まれる以前から、僕は二人の友達のつもりでしたよ」
「そうかね、ジャック君がいれば二人も喜ぶ」
クラウド氏は感極まって、俄然涙を瞳に湛える。
感涙でさえも面目が立たないと思ったか、口を引き結んで後に続く涙は押しとどめた。
「ジャック君、これで話はお終いだ。他の客も来てるだろう、先にパーティー場に行っているといい」
「メアリさんの婚約は……踏み込みすぎですね」
ジャックはそれ以上の質問をやめ、ソファから腰を上げた。ドアノブに手をかけたところで、クラウド氏を振り返る。
「それではクラウドさん、後程パーティー会場で」
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