予定より数十分遅れて、また一台の馬車が管理局の外で停まり馭者が入ってきた。今度はジャックと年のほぼ変わらぬ若い相貌をした気弱そうなハルンブルト・アンガスだ。
ハルンブルトは一行を見て、局員に尋ねる。
「ここにおられる方達は?」
「ハルンブルト、お前に訊きたいことがあるそうだ」
ヤルジーキの時と同じく、ライリーが質問する。
「ハルンブルトさん、道の途中で木箱拾ったすか?」
「木箱、拾ったよ。あれは君の物だったの?」
「わしの物じゃ」
老爺がハルンブルトに言った。
「警察署に届け出ようと思ってたんですが、そういうことならお返しします」
「なんじゃ、持っとるのか」
ハルンブルトは上着の内側から、片方の掌に載るくらいの蓋つきの木箱を取り出した。
「これですよね。少し湿ってますけど」
「そうじゃ」
老爺が安堵と歓喜に笑みを見せる。
ハルンブルトから木箱を赤子を抱くように受け取ると、ううむと眉を顰めてうなった。
「どうかされました」
ジャックが老爺の状況とそぐわない表情の変化に、思わず尋ねる。
「軽すぎるのじゃ」
疑心を覚えた老爺が木箱の蓋を開けると、中身は空であった。
シャロットがハルンブルトに振り向く。
「ハルンブルトさん、この木箱はどこで拾いましたか」
「南にある葡萄畑の傍の道だよ」
「水溜りに落ちてましたか」
「水溜りのずいぶん外に落ちてたよ」
「やられましたぁ」
シャロットが弱々しく叫んだ。
局員が突然発したシャロットの少女らしい叫びに、何事か訊く。
「やられたとはどういうことだ、金髪のお嬢ちゃん」
「さっきの人です。ヤルなんとかさんです」
「ヤルジーキだよ、シャロちゃん」
ライリーがシャロットのうろ覚えを訂正する。
「そうです、ヤルジーキさんです。その人が中身を盗っていったんです」
「ヤルジーキのやつ、せっかく前科を不問に付してやったのに」
局員が受付台上でヤルジーキの悪行に憤然と無骨な拳を固めるが、老爺の怒りは局員とさえ比べ物にならないほど一気に沸点に達していた。
「あの下郎、とっ捕まえてやるわい」
怒りに駆られて、老爺が杖を武器のように手に持って街路に走り出た。
「私達も追いかけましょうです」
シャロットが決然と持ちかける。
「でもシャロットちゃん。ヤルジーキさんここを出て行ったのは、一時間も前だよ。街中を探したら。もう遅いんじゃ」
「大丈夫です、当たりはついてますしハルンブルトさんがいますです」
僕が何をすればいいんですか、とハルンブルトは自分を指さして訊いた。
ライリーが彼を肘でせっつく。
「すぐに馬車が出られるよう準備するっすよ」
「どうして」
「ヤルジーキを追いかけるからに決まってるっすよ。理解力のない男っすね」
「わ、わかったよ」
やっと事態を把握して、ハルンブルトは通用口を引き返していく。
「俺も着いていっていいか。ヤルジーキのやつに説教しなきゃならない」
局員がその場にいた三人に申し出た。
「いいですよ」
「いいっすよ」
「だそうです」
少女二人は強く頷き、青年一人はただ同調した。
四人は通用口を抜け、すぐ傍まで乗り付けていたハルンブルトの繰る馬車で街路へと進み出た。
すぐ近くで血眼になっている老爺も同乗させ、一行が乗った馬車はガス灯で照らされる目抜きの街路を驀進する。
シャロットがキャビンから、御者台のハルンブルトに指示する。
「ハルンブルトさん、一番近い質屋まで向かってください」
「わかったよ」
頷いて、馬を走らせる。
走らせること十数分で、馬車は減速を始め、表通りからは外れた路地に入ってきていた。
「着いたよ」
ハルンブルトが馬車を停めて、顔を振って質屋の方向を示した。
老爺と局員が真っ先に降りて、質屋に駆け込む。少女二人の身体にはキャビンが大きいのかシャロットとライリーはおぼつかなく降りた。ジャックは少女二人の傍に降車した。
「ヘルマンさん、すごく興奮してます」
「そうっすね。でもあんだけ動けりゃ長生きするっすよ」
質屋の入り口付近で蝶番のひしゃげる不穏な音がして、ドアを押し破いて馭者姿のヤルジーキが仰向けに転がり出てきた。
恐れおののくヤルジーキに、質屋から出てきた局員が腕を伸ばす。
腕はヤルジーキの前襟を掴んで、上体を持ち上げた。
「おい、ヤルジーキ」
局員が鬼の形相で睨みつける。
「お前を雇った時の条件はなんだ、言ってみろ」
「も、もう、ぬ、盗みはしません」
「お前が売ろうとしていたのは、あのお爺さんの物なんだぞ。どうしてお前が持っていた」
「それは、あの、道で拾いまして」
「物を拾ったら、持ち主が見つかるまで局で預かる決まりだろっ」
「へへ、へい。知ってますぜ」
「たわけがっ」
局員の怒号が路地に反響する。
御者台のハルンブルトが、局員の剣幕に手に持っている手綱ごと震えている。
「ぼくも事故を起こしちゃったら、あんな風に叱られるのかなぁ」
ジャックが局員が行う雇われ馭者への大折檻に、ふうと一つ息をついた。
「さすがに見てられないから、頑張って止めてくるよ」
ジャックは局員に近づき、口頭で宥めにかかった。
彼に顔を向け話を聞きながら、局員が幾度も頷く。
「ようし、わかった」
顔をヤルジーキの方に戻して言い放つ。
「解雇だけで許してやる」
そう告げて前襟を掴んでいた腕を、押し出すように離した。
こんな仕事もう御免だ、と吐き捨てて、ヤルジーキは路地を抜け街路へ走り去っていった。
首を切られた男が去ってしばし、老爺が質屋の壊れた入り口から両手に純度の高そうな宝石を大事そうに抱えて、一行のところに帰ってきた。
「無事に手元に戻ってきたわい。みんなのおかげじゃ」
老爺の皺がある目の端に涙が浮かんでいた。
しんみりと路地裏を感動が占める。
「ヘルマンさん、まだ泣かないでくださいです」
シャロットが老爺に言った。
その場の皆が彼女の方を見る。
「息子さんにそれを届けるまで、涙は残した方がいいと思います」
「そのとおりじゃの、シャロットちゃん。年をとると涙もろくていかん」
馬車の馬がおとなしくいなないた。ハルンブルトが手綱をしっかりと握っている。
「行き先だけ教えていだだければ、僕が息子さんのところまで送りましょうか」
「何から何まで、すまないのう」
老爺の目の端にはまたしても涙が溜まっていた。
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