ジャックがパーティー場に入ると、ステージまで設えている場内にいくつかクロスのかかった丸テーブルが置かれている。フンネルス家の長女と仲良し少女二人は、テーブルのうち入り口手前の卓に席を取っていた。
会場に入ってきたジャックに、仲良し少女二人の金の髪色をしたシャロットが嬉しそうに顔を向ける。
「クラウドおじさんと、なにを話してたんですか。パーティーのことです?」
「うん、そうだよ」
クラウド氏から告げられた事々は伏せて、ジャックはそう返した。
シャロットが彼に片手を差し出す。
「シャロットちゃん、この手は?」
「ダンスの練習をしたいです」
「ふふっ。シャロちゃん、今晩のパーティーにダンスは予定されていないわよ」
笑みを漏らしてメアリは言った。
シャロットが笑みを漏らしたメアリを振り向き、ぽかんとする。
「ダンスしないんですか?」
「小さなパーティーだもの。ダンスの時間を取れないのよ」
「ジャックさんと踊りたかったです」
差し出していた手を下ろして、肩を落とす。
落ち込むシャロットに、ジャックが慰めの声をかける。
「ダンスパーティーの時には、一緒に踊ろう」
「はい、その時はお願いします」
「ジャックお兄さん。シャロちゃんのダンスパートナーは苦労するっすよ。へたっぴすから」
ライリーが意地悪く言った。
シャロットはライリーを不服の目で見る。
「へたっぴなんて言わないでくださいです。ジャックさんがパートナーなら、私でもきちんと踊れるです」
「それはないと思うよ」
ジャックが苦笑いで否定した。
「どうしてです?」
「僕、一度も舞踏会とかで踊ったことないんだ」
「へぇー、意外です」
シャロットが驚いた目でジャックを見た時、折しも場内に一人入ってきた。その者は若く無髭だがあか抜けない面貌で、目に映える真っ白なタキシードを着た浮浪人じみた茶色いちぢれ髪の男だった。
男は入り口を潜ったところで突然立ち止まり、瞳孔が開かんばかりに目を瞠った。視線の先にはメアリがいる。
恍惚とした吐息が男の口から漏れる。
「誠にお会いしたかった。愛しき、メアリ・フンネルス」
呟いて男はつかつかとメアリの前に歩み寄り、気取った風に微笑んだ。
「お久しぶりです、未来の我が嫁よ」
「あら、冗談すぎますブライン・ベントさん」
メアリが口にした男の名に、ジャックは頭の隅に名前が引っ掛かりブライン・ベントをじっと眺めた。
ジャックが頭を捻っている間に、ブラインがメアリに向って両手を一杯に広げた。
「メアリさん、ぜひ受け止めてくださーい」
ちぢれ髪の男は重心を前にかけて、広げた両手でメアリに抱きつこうとする。
しかし当のメアリは一歩脇へ退き、飛んできた抱擁をひらりとかわした。
男は絨毯敷きの床に抗力なく顎をぶつけて、うつ伏せで大の字になる。
しばしの沈黙の後、ううう、と涙混じりに男は唸り声を出した。
「またしても受け入れてもらえなかった、ううう」
「あの人が誰なのか知ってるかい。名前を聞いたことがあるような気がするんだけど」
ジャックがうつ伏せの男に注視したまま、今の光景を見慣れた様子のシャロットとライリーに訊く。
少女は二人揃って、わからないんですかと反問したげに彼を見返した。
「ジャックさん、ブライン・ベントと聞いてピンとこないですか」
「今、物書きの世界じゃすごい有名っすよ」
「物書き、うーん」
ジャックはさらに頭を捻った。
一人の合致する人物を思い出し、途端にはっとする。
「ブラント・ベントって、新人作家の」
「やっと思い出したかね、少年」
ブラントは先程までの落胆ぶりから一転、きりりしゃんと背筋を伸ばして立ち直っている。
「ところで少年」
「な、なんですか」
「我が未来の嫁メアリさんが目当てではあるまいな」
ブラントはジャックに敵意を込めた目で見る。
「違いますよ。僕はクラウドさんに招待されたんです」
「いかにして、メアリさんのお父上に呼ばれたのですかな」
「僕の口からはちょっと言えません。でもとにかくメアリさん目当てで来てるわけじゃありません」
「そうでないと困る。メアリさんの婿の座は我一人で充分ですからな」
そう気障に言ってちぢれた前髪をかき上げる。
ブラントの傍から離れて、ジャック達の傍にメアリは疲れた顔で歩いてきた。
「会っていきなり愛しきメアリ・フンネルスですわよ。羞恥で隣にいるのがつらいですわ」
「すごく情熱的な方じゃないですか」
「情熱的というより妄執的ですわ」
「愛故に、ですかな」
二人の間に顔を割り込んで、妄執狂ブラントは言った。
二人はビクンと肝を潰して、割り込んできた顔から距離をとる。
ブラントが不満そうに眉を顰めた。
「四人して我を避けないで戴きたい。我はひとえにメアリさんを愛しているのですぞ」
男が恥ずかしげもなく叫んだその時、場内に駆け込んできた女がいた
その女とは鳶色の髪を三つ編みにして垂らした、中々に容姿の整ったエプロンドレスの年の若い女中だった。
女中は先程まで泣いていたのであろう湿った目から、頬にかけて涙の轍ができている。女中はせわしく場内を見回す。
「どうしたの、アネッタ?」
メアリが近づいて、心配そうに声をかける。
アネッタと呼ばれた女中は、呆然としてフンネルス家の娘を振り向いた。
「ギンステンは来てない?」
「ギンステンさん? まだここにいらしていないわよ。ギンステンさんがどうかされたの?」
アネッタはメアリの問いで我に返ったように首を激しく振った。
「なんでもありません。そ、それではメアリ様お邪魔をしました」
メアリに恭しく腰を折ると、早い足取りで逃げるように場内を退出した。
「先程の女性はお手伝いさんですか?」
ジャックは、女中が出て行った扉を見つめるメアリに尋ねた。
「ええお手伝いさんよ。アネッタというの」
ジャックに向き直って、メアリは答えた。
ふん、とブラントが見下すように鼻を鳴らす。
「少年はあのような薄幸な女が好みなのだな。低俗な趣味だ」
「ブラントさん、ジャックさんになんてこと言うの。あなたよりジャックさんの方がよっぽど優しい心をお持ちですわ」
メアリがジャックを悪く言ったちぢれ髪の作家に、過剰に反論する。
「メアリお姉ちゃんの言う通りです。あなたはジャックさんの優しい心を見習わなければならないダメな人間です」
「正直アンタ、キモいっす。女性を差別しジャックさんを卑下するなんて最悪な男っす」
少女二人もメアリの言い分に付け加える形で、ブラントを面罵する。
三人から罵られ、ブラントは口をぱくぱくさせばつ悪く弁解に入る。
「とと、捉え方次第ですな。我は少年を軽んじてはいません。ここでいう低俗は大衆的なという意味で言っているのだ」
「反省してジャックさんに額づいて謝るまで、私はあなたと口も利きませんわ」
メアリのこの一言が、彼女を烈々と愛するブラントにどれほど心の痛手となったであろう。妄執作家ブラント・ベントはよろよろと場内の隅まで歩いていき、膝を抱えてうずくまった。只今をもって彼は暗鬱作家ブラント・ベントに改称された。
ジャックはうずくまる暗鬱作家の気遣うように見て、「さすがに言いすぎなんじゃないですか?」
と、メアリに温情をもって言った。
メアリは断固と首を振る。
「あの人には反省が必要ですのよ。普段はとても真摯な方ですのけど、たまに他人を蔑むような事を言うのがブラントさんのいけないところですわ」
メアリが唇を尖らして容赦のない態度を示した時、場内にまた一人入ってくる者がいた。その者は入ってくるなり嬉々としてメアリに話しかける。
「やあメアリ姉さん、早速新しいドレス着てるんだね」
「あら、グラン。あなたも新しい正装なのね」
領主クラウド氏の娘であるメアリと親しげに言葉を交わしたグランは、幼さの残る少女二人と三、四歳程しか年齢差のない顔立ちをしている。ぶかぶかと身丈に合わない黒の燕尾服を着ている。
グランはジャックに友好的な笑顔を向けた。
「初めまして、メアリ・フンネルスの弟のグラン・フンネルスです」
「僕の方こそ初めましてグランさん。ジャック・ケイトです。メアリさんにはいつもお世話になってます」
途端、グランは目を怪訝に眇める。
「姉さんから受けているお世話とは例えばどういったことだい?」
突然向けられた疑心の瞳に、ジャックはたじろぐ。だが、ありのままを話す。
「僕はよくシャロットちゃんやライリーちゃんと会いに孤児院を訪ねるので、その時に色々とお話するくらいです」
「なんだ。また姉さんをつけ狙う男が増えたかと思っちゃった。疑ってすみませんでした、ジャック・ケイトさん」
グランは目に見えて態度を穏やかにした。
ジャックは驚いて尋ねる。
「メアリさんをつけ狙う人がいるんですか?」
「ほら、あいつだよ」
グランが場内の隅を指さす。心の沈んだブラントを示している。
「ブラントさんはつけ狙っているわけではでしょう」
「いいや、あれはもうつけ狙ってると一緒だ。姉さんにしつこく愛を語るんだ」
グランは憤慨する。
まあまあ愛情表現は人それぞれですから、とジャックはグランをなだめた。
「愛情表現ですか……」
グランが何故か考えた込んだ様子で繰り返した。次には、ジャックさんあなたの言う通りかも知れません、と聞き入れた。
「ジャックさん、ジャックさん。一つ聞いてもいいです?」
シャロットが手を挙げて言った。
「どうしたんだい」とジャック。
「ジャックさんが愛情を表現する時、どんな仕草で惹きつけようとするです?」
「難しいことを訊くんだね。生憎、僕は愛情を故意に表現できる性格じゃないんだ」
「じゃあ、じゃあ。知らない間にしちゃう仕草とかあるです?」
「それこそ、自分ではわかんないんじゃないかな」
「それもそうです。ジャックさんが愛情を誰に向けているのか気になったんです」
「あたしは愛情の方向なんて、わかりたくないっすね」
傍で会話を聞いていたライリーが、そう意見を差し挟んだ。
「自分の好きな人が、自分以外の人に愛情を向けているのを知った時、悲しいっすから」
「うん、そうだね。ライリーちゃんにも一理あるよ」
その時、折しも場内に一人の紳士が入ってきた。シックな黒のタキシードに色合いを付加させる白のポケットチーフ、端整な相貌、時間をかけて丁寧に撫でつけられた頭髪が似合う二枚目の紳士だ。
二枚目の紳士は場内にいる全員の顔ぶれを眺める。
「参加者はクラウド・フンネルス以外俺が最後のようだな」
ジャックがメアリに尋ねる。
「あの人は?」
「ギンステン・ボガンツさん、私の仕事仲間よ」
二枚目の紳士ギンステンは、初めて見る顔のジャックに目を向ける。
「見ない顔だ。君は?」
「初めまして、ギンステン・ボガンツさん。僕はジャック・ケイトです、クラウドさんに招待されて来ました」
「あの人に招待されたのか。気の毒だな」
「気の毒? 何故です?」
「大した意味はない。クラウド・フンネルスといえば使用人を思い遣れない人だからな。いけ好かない」
矢庭にくそボガンツ、と場内の隅から罵声が飛んだ。
皆が声のした方を向くと、暗鬱作家ブラントが憤然と立ち上がっており、新しく場内に入ってきた二枚目の紳士をこめかみに血管を浮かせて鬼のような形相で睨み据えていた。
ギンステンも眉間に皴をつくって睨み返す。
「またお前か、ブラント。なんだってお前は俺に突っかかるんだ」
「またお前か、は我の台詞よ。貴様は所詮心優しきメアリさんの厚意で招待されているだけだろう。貴様がパーティーに招待されるのは道理に合わない。我はメアリさんの父方のクラウドさんから招待されているんだ」
「クラウド・フンネルスのことなど、俺の知ったことじゃない」
ブラントはギンステンの目前へ踏み込み、胸倉を掴んで引き寄せた。
「貴様も目当てはメアリさんだろ」
「俺がここに来る理由なんか、お前には関係のないことだ」
「少し容姿が優れているくらいでつけあがるな。我はメアリさんのことなら何でも知っているんだ」
「お前が何を知っていようと、俺には関係ない」
刹那、静粛になさってください、と会場の扉付近から威厳のある男性が響いた。
睨み合っているギンステンとブラントを含め、場内の誰もが突然した声の方に黙って顔を向ける。
声を主であるルアンジは廊下と会場の狭間に立ち、使用人が主人に対する時のように燕尾服の前で両手を重ねる。
「お静かになりましたな」
そう朗らかに笑い、重ねている両手を解いた。
ルアンジの隣に、エプロンドレスの女性アネッタも並ぶ。アネッタは涙の痕など微かにもなく、ちらとギンステンに視線を向けてすぐに戻した。それから場内の全員に告げる。
「パーティーのお食事の支度が調いましたので、皆さんここでお待ちになってください。今からルアンジさんがクラウド様をお呼びに行かれますので」
ルアンジが継ぐ。
「クラウド様にわたくしがパーティーの準備が済みましたことをお伝えしてお連れしてまいりますので、皆さんはそれまでお寛ぎください」
ルアンジは場内の全員に告げて、クラウド氏の書斎のある方へ去っていった。
その後、各々が自由にルアンジがクラウド氏を連れて場内に入ってくるのを待っていた。
ジャックやシャロットとライリーの三人と談笑していたメアリがふと異変に気が付く。
「ルアンジとお父様、いつもより遅いわ」
訊いてみるです、とシャロットが扉の傍に立つアネッタに尋ねる。
「アネッタさん、ルアンジさんはクラウドおじさんと何かお話するとか言っていたです?」
「いえ、そのようなことは聞いておりませんが」
アネッタも訳がわからぬようで、首を傾げて答えた。
「ご様子を見て参ります」
アネッタがそうして背後の会場出入口の扉を開けた時、ルアンジが血色を失った顔で場内に駆け込んできた。
「クラウド様が、クラウド様が、クラウド様が」
ルアンジはひどく錯乱していて、主人の名前ばかりを無意味に繰り返した。
場内の皆が緊張する。
ルアンジの最も近くにいたアネッタは執事の錯乱ぶりに、何事かと尋ねる。
「クラウド様がどうかされたのですか?」
「クラウド様が、殺されております」
瞬間、場内の緊張がどよめきに転じた。
メアリがどよめきの中、可笑しそうに笑みを浮かべて言う。
「ルアンジ、お父様が殺されただなんてパーティーの余興にしては大袈裟な演出じゃありませんの。私もグランも騙されませんわ」
「メアリ様、余興などではありません。この目で見たのです、クラウド様がナイフで刺されておりました」
「そんなわけがない!」
ギンステンがどよめきを圧する大声で叫んだ。
「ボガンツ様。私は嘘などついておりません」
「信じられるわけがない。実際に俺が見てくる」
ギンステンはルアンジの言葉が腑に落ちず、会場をクラウド氏の書斎がある左の翼棟に繋がる廊下へ駆け出して行った。
異様な事態に場内は不安に包まれる。
程なくして、クラウド氏の書斎の方から、割れんばかりのギンステンの悲鳴がパーティー会場まで聞こえてきた。
「ギンステン……」
呟いたアネッタが弾かれたように廊下へ出て、ギンステンの後を追った。
「ジャックさん、ギンステンさんに何があったのかか心配です。私達も行きましょうです」
シャロットが状況の把握に努めるジャックに不安顔で持ちかけた。
ジャックは頷いた。
「クラウドさんが心配だし、ギンステンさんにも何か起こったのかもしれない」
「そうですねジャックさん、さっきギンステンさんの叫び声が聞こえましたから」
グランも同行する意で首肯した。
事態が呑み込めず廊下をそぞろに見つめるメアリに、ライリーが声をかける。
「あたし達はクラウドさんのところに行くっすけど、メアリお姉さんはどうするっすか?」
「お父様は殺されたの?」
「それを確かめに行くんす」
「私も行くわ。お父様はもしかしたら、私を心配させて部屋に来させたいだけかもしれませんもの」
ジャック、シャロット、ライリー、メアリ、グランの五人も悲鳴のあった場所へと足早に向かった。
クラウド氏の書斎付近に五人が着くと、開け放されている書斎のドアの反対の壁に、行き止まりで追い詰められたみたいに、ギンステンが背中を接して張り付いていた。
ギンステンの傍に立つアネッタは書斎の中を見つめたまま、魂が抜けたように顔色を青くしている。
五人も書斎を覗き込む。と同時に五人は全身の血の気が一瞬で引いていくのを感じた。
それも道理、クラウド氏はソファの背に身体の重みを委ねたままの姿で、力なくドアにかけてあったサーベルが左胸に刺さって絶命していたのだから。
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