ジャックがヘルマン老爺の探し物に協力した日から、二週間が経っていた。この町での生活にも大分慣れてきたジャックは、この町に住み着いて以来、職を探す傍らフンメルス孤児院を足繫く訪れシャロットとライリーの元に依頼される探し物の手助けをして過ごしていた。
外套が手放し難くなる季節で、町の広場に屹立する一本の巨大な菩提樹は、枝の葉を全て散り落としてしまっている。
ジャックはこの日も孤児院に訪れたのだが、シャロットとライリーの少女二人と談笑する珍しい男性の先客がいた。
玄関で敷居を跨いでいいものか逡巡するジャックに、ティーカップを載せたトレイを両手に運んでいたメアリが声をかけた。
「ジャックさん、今お父様が来ているわ」
「メアリさんのお父様、ということはクラウド領主が。またどうして」
「私も詳しいわけは知らないのよ」
その時、メアリの横のドアが中から開けられる。
ドアの内から高価な紺の背広を身に纏った中背の紳士が姿を現した。半白の頭髪をポマードで固めた髪型は紳士に気品を付加している。
「メアリ、お茶はまだか」
「お父様、ジャックさんがいらしたわ」
「おおおおおおお」
紳士はジャックを見ると、唐突に歓声をあげ両腕を限りなく開いた。
「君が、ジャック君かあ」
両腕を開いたままジャックに歩み寄り、彼を強く抱擁した。
ジャックは目が白黒させる。
「な、なんですか」
「ジャック君、私は今猛烈に感動している」
「あなたの感動のことなんか、知りませんよ」
「お父様、ジャックさんが困ってます。離れてくださる?」
メアリが紳士に厳しく言った。
不承不承ジャックを解放し、不服そうに紳士が自分の娘を振り返る。
「男同士の友情表現じゃないか。何が不満なんだ」
「ジャックさんはお父様と一度も顔を合わせたことがないのよ。一方的な友情じゃないの」
母親に似て差し出口が多いな、とわざとらしく残念がってリビングに戻っていった。
メアリが溜息を吐く。
「自分の親ながら世話が焼けるわ」
「メアリさん、クラウドさんはいつもあんな感じなんですか?」
「ええ、嬉しさを表現する時はいつも人に抱きつくの。あんな友情表現されても、困りますよね」
「はい、とても驚きました」
「お父様、シャロちゃんからジャックさんの話を聞いて、ぜひ会ってみたいって、ここに来たのよ」
「クラウドさんが僕に会いたいと。何故なんでしょう」
「多分、シャロちゃんとライちゃんのことだと思うわ。ジャックさん最近、よく二人に会いに来てるから」
「そうですか、では挨拶も兼ねてクラウドさんとお話してみます」
ジャックがリビングに入ろうと、ドアに手をかけて半ば開ける。
「ジャックさん、よかったらこれ持ってってくれない」
メアリはジャックにトレイごと差し出す。
構いませんよ、と快く彼は受け取った。
肩でドアを押し開けて、中に入る。おおおおおお、と先程と同じクラウド氏の声が響いた。
「ジャック君、お茶まで運ばせてすまない」
「メアリさんについでにと頼まれまして」
ソファに腰を沈ませるクラウド氏は、呵々大笑してテーブルにトレイを置いたジャックの背中をばしばし叩いた。
「いたっ!」
「ジャック君、まだまだ身体が成ってないな。これじゃうちの子二人を守り切れないぞ」
「クラウドおじさん、ジャックさんが痛がってます。やめてあげてくださいです」
クラウド氏の真向かい、長い金髪の少女シャロットが言った。
ははは、とクラウド氏は快活に笑う。
「俺以外に二人を守れる男がいるのが嬉しくてな」
「私達を襲う人なんているんですか?」
「そりゃいるだろうな。例えば」
「例えば、どんな人ですか」
「こーんな人だっ」
「ひゃっ」
急にクラウド氏がテーブル越しに前屈みになってシャロットに顔を近づける。シャロットは反射的に両腕で顔を覆った。
その様子をシャロットの隣、赤茶色の髪の少女が、膝に腕を置き頬杖をして眺めていた。
「シャロちゃん、また同じ手にひっかかってるっす」
「クラウドさんはいつもさっきの脅かしをしてるの?」
ソファの横に立つジャックが、背中の叩かれた箇所をさすりながら訊いた。
「そうっすよ。シャロちゃんがなんで毎回ひっかかるのか不思議っす」
「俺はシャロちゃんの驚く顔が見たくて来るたびに脅かしてるんだ」
さぞ満足した表情でクラウド氏が言った。
「クラウド叔父さん、意地悪です。次はやらないでくださいです」
シャロットが情けない顔でクラウド氏を見た。
わかったやらんやらん、と壮年の紳士は軽く受け流して気にしていない。
「ジャック君」
ひとしきり笑ったあと、クラウド氏が立ちっぱなしのジャックに顔を向ける。
「なんでしょうか?」
「私の横に座りたまえ」
クラウド氏は自身の座る隣を手で軽く叩いた。
促されて、ジャックはクラウド氏の横に遠慮気味に腰を降ろす。
クラウド氏から、早速質問が投げかけられる。
「まずジャック君に聞いておきたいのだが、二人の事のことを可愛いと思うか」
突飛な質問にシャロットとライリーの肩が強張る。
ジャックは本心から答える。
「可愛いと思いますよ。二人は依頼された探し物を真剣に探して、とても健気です」
「そういう見方もあるか。じゃあシャロちゃんとライちゃん、どっちの方が可愛い?」
「どちらとも言えません。二人は協調し合ってこそですから」
生真面目な答弁をするジャックに、クラウド氏はしばらく考えてから次の質問を決めた。
「メアリはどうだ、口うるさい嫌いはあるが中々の美人だろう」
「はい、おっしゃる通りお綺麗な方です」
「だろう、自慢の娘だからな。それでジャック君、明後日は空いてるか」
質問の趣旨が一変する。
「明後日ですか、空いていますけど?」
「そりゃ丁度いい」
「どうしてです」
「それはだな……」
意味ありげな間をおく。
「パーティーです」
「おい、シャロちゃん」
シャロットがクラウド氏の機先を制して言った。
クラウド氏は非難がましく金髪の少女を見、今一度笑顔でジャックに向き合う。
「そういうことだ、ジャック君。クラウド家のパーティーにぜひとも君を招待したいと思ってる」
ジャックは驚いた顔をする。
「僕をパーティーに招待? 何故です」
「そりゃ、シャロちゃんライちゃんと仲良くしてくれているお礼にだよ」
「行きたいのは山々ですが、僕なんかがおこがましい気がします」
「パーティー主催の俺が招待してるんだ。遠慮はいらん。それにだな」
クラウド氏は一拍言葉を切って、俄かに表情を引き締める。
「二人きりで、君に話さなければならないことがある」
「他人に聞かれてはまずい話、というわけですか?」
クラウド氏の真剣な表情に、ジャックも抜き差しならぬ事情を察した。
シャロットとライリーが、厳しい顔を突き合わすジャックとクラウド氏を不思議そうに眺める。
「今から何か大事な話をするんですか」
「私達、邪魔なら出てくっすけど」
クラウド氏は少女二人に向き、笑いかけて首を横に振る。
「その必要はないよ、二人とも。おじさんはこれから役場の方で仕事があるからね」
「おじさん行っちゃうですか」
「すまないシャロちゃん、パーティーの時はもっとお喋りしよう」
クラウド氏の台詞に、ライリーがうえー、と露骨に嫌そうに唇を歪める。
「お喋りって言ったっす。気持ち悪いっす」
「ほんとにライちゃんの毒舌は冴えてるな」
クラウド氏は笑って受け止めた。立ち上がりざま背広の内側に手を入れて何かをジャックに差し出す。
「ジャック君、招待状だ」
ジャックが一枚のカードを受け取る。カードには男性らしい太い字で、パーティーの場所と日時が記されていた。
「それでは、パーティーで会おう」
鷹揚にそう言って、陽気な紳士は孤児院を去っていった。
シャロットはクラウド氏が去ったいったリビングのドアから、ジャックに視線を移す。
「ジャックさん、パーティーに来るです?」
ジャックは頷く。
「もちろん行くよ。でも、クラウドさんのパーティーだから有名な方々がお見えになるんじゃないかい?」
「それはわかりません」
ジャックは目を丸くする。
「わからない、か。招待客は前もって他の招待客の名前を知らされるのが、常識じゃないのかい」
「気を張ることないっすよ」
そう言って、ライリーが口の端を上げて微笑む。
「パーティーと言ってるっすけど、親しい知人だけでやる小さいパーティーっすよ」
「そうなんだ。じゃあ少しは気を緩めても大丈夫かもしれないね」
ジャックは内心安堵した。パーティーが楽しみにもなってきた。
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