エンケージ! —Children in the bird cage—【ゴーストサーガ】

青春×恋愛×ミステリ。友情と愛と仕組まれた七日間。
至堂文斗
至堂文斗

九章 ワタル五日目

支配 ①

公開日時: 2021年3月18日(木) 23:21
文字数:3,520

 朝が来て、俺は乱暴にカーテンを開く。

 結局、一睡もできなかった。あれから俺は心配になって、常に隣の部屋の物音に耳をそばだてながら、時計の針の音だけを聞きながら、朝まで過ごしていた。

 血を吐いた父さんは、それから俺に何も説明せず、部屋にこもってしまった。後片付けをしながらも、気が気でなく、家事が終わってから部屋の扉をノックしてみたのだが、返事はなかった。入るのもためらわれ、そのまま自室に戻って交換日記を書いてベッドに転がり、そしてそのまま朝を迎えて今に至る。


「……情けねえな……」


 あれほどいがみ合っていたというのに。

 あの光景を見た瞬間、俺は怖くなった。父さんの身に起きていることが。

 これから起こりうることが。

 今更だけれど、俺にはもう、父さんしか家族がいないということに、気付かされた。

 あの人がいなくなったら。俺はこの家で、一人ぼっちになってしまうのだ。


「……朝ご飯作って、待ってよう」


 悪い方へばかり考えてしまう思考を中断して、俺はベッドから起き上がり、服を着替えて部屋を出る。

 簡単な朝食を作っていると、皿に目玉焼きを乗せたあたりで父さんがやって来た。


「お、おはよう」


 駆け寄りながら俺は挨拶する。心配な俺をよそに、父さんはいつものようにすました顔で、


「ああ、おはよう」


 そう小声で言って、そのまま椅子に座った。

 大丈夫かと声を掛けたいのだが、中々素直な言葉を口にすることができない。父さんも普段と変わらぬ顔色をしているので、ひょっとしたらそんなに深刻なことではなかったんじゃないかとすら思えてきた。

 だけど、吐血するほどということは、何か重い病気に侵されているということではないのだろうか。……それは、素人考えに過ぎないのだろうか。

 料理を運び終え、席に着くと、父さんはこちらを見つめて、


「心配をかけたな。気にしなくてもいい」

「いや、別に……」

「最近、調子が悪いんだ。もう年だからな。緑川の病院で薬はもらっているから、大丈夫だ」

「……そうなんだ」


 薬をもらっているからと言って、大丈夫かどうかは分からないじゃないか。そう言いたいのを、俺はぐっとこらえた。

 父さんが言うんだから、大丈夫だ。

 そう、思いたかった。


「……なあ、父さん」

「……何だ?」


 小首を傾げながらこちらを見る父さんに、俺は真剣な眼差しを送り、呟く。


「……無理すんなよ」

「……」


 ふいを突かれた様子で、父さんは一瞬だけ絶句した後、


「……すまんな、ワタル」


 弱々しく笑んで、謝罪の言葉を告げた。

 そんな父さんの目は、深い、哀しみの色を湛えていた。





 ツバサのそばから離れない。昨日彼女に言ったその誓いのために、今日は学校を休むわけにはいかなかった。

 いつもの曲がり道辺りで、ツバサと目があった瞬間、ツバサはぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。


「おはよう、ワタルくんっ」

「ああ、おはよう、ツバサ」


 可愛らしいのでついつい、俺はツバサの頭に手が伸びてしまう。二、三度撫でたところで、ツバサは照れ臭さからか、やんわりと俺の手を払い除けた。


「もう、ワタルくんってば。……はやく行こ?」

「そうだな。行くか」


 そして俺たちは、並んで歩いていく。


「……そういえばね」


 校門の前までやって来たとき、ツバサが思い出したように口を開いた。


「うん?」

「昨日、帰ってからさ。ウチの村での役割がどんなのなのか、お母さんに聞いてみたんだ。でも、お母さん、答えてくれなかった。……一つだけ言えるのは、嫌な仕事だったみたいだよ」

「……嫌な仕事だった、か」


 そのツバサの言葉は、とても的確だ。


「……ありがとな。聞いてくれただけでも十分だよ」

「う、うん。ごめんね」

「いやいや」


 これは、ツバサに頼むには重過ぎるものだ。彼女が聞いた以上のことは、俺が直接聞こうと思った。

 教室のスライドドアをゆっくりと開く。前日のことがあり、少しだけ緊張したものの、扉の先にある二つの顔を見て、俺は何とか、いつもの調子で声をかけることができた。


「おはよう。ヒカル、クウ」

「おーっ、ワタルだ!」


 俺の姿を認めるなり、二人は近づいてくる。クウなんかは、小走りになって。


「おはよう、ワタル。元気そうでなにより」

「ツバサちゃんさまさまだね」

「クウちゃん、言い過ぎだよ……はは」

「あー……なんだ。心配かけてたみたいで悪い。もう大丈夫だから」


 正直言って、まだ心の中はぐちゃぐちゃだ。それでも、そんな本心は見せたくない。

 ……父さんと俺は、そういうところで似ているな。

 ふと、教室を見回してみる。けれどやはり、そこにタロウの姿はない。……ひょっとしたら、彼はここに戻ってくることがないんじゃないかとすら思えてきた。

 カズヒトさんという前例もある。この村にいるのが嫌になって、外へ出て行ってしまうということもなくはないのだ。

 ……まあしかし、村を変えていかなければと口にしたのはタロウなのだから、そこまでのことにはならないか。


「ねえねえ、どうやってワタルを元気付けたの? ひょっとして、アレですか」

「あ、アレってなにかな?」

「いやーほら、熱い抱擁とか、色々ですね……」

「も、もう、クウちゃん!」


 俺がぼうっと考えている間に、クウがそんな詮索でツバサを困らせていた。

 困り顔のツバサも可愛いが……って、何を考えているのやら。


「お前こそ、二人でバードウォッチングとか行ったりしてないのか? きっとこっそり後を尾けたりしてるんだろ」


 仕方なく俺が首を突っ込むと、


「えっ」

「見てきたかのように言うね……」


 それが図星だったらしく、二人はそれぞれ驚きの表情を俺に見せた。


「おお?」


 それを聞いたツバサが目を輝かせ、期待に満ちた表情で二人を見つめるのに、


「いや、そうかどうかは言わないけど」

「言わないけど!」


 と、温度差はありながらも、ヒカルたちが揃って否定の言葉を述べるのは面白かった。しかし、こちらも分かりやすいカップルだな。


「多分、誰もヒカルの撮った写真、見たことないだろう。そのうち現像したの、見せてくれよ」

「……気が向いたら、ね」

「ちぇっ、ケチだな」


 ヒカルが写真を撮っているのは有名だ。何度かカメラを提げた姿が目撃されているから。けれど、実際に写真を撮っている所を見たのは数えるほどだし、写真そのものは一度も見たことがなかった。

 趣味に関してあまりオープンでない性格なのだろう。親にカメラをせがんで買ってもらったらしいので、相当好きなのだとは思うけれど。

 会話のキリがいいところで、チャイムが鳴り、カナエさんがやってくる。彼女は俺の姿を見つけるなり、


「あら、おはよう、ワタルくん。待ってたわよ」


 と、ウインクを飛ばしてきた。

 皆に心配をかけすぎたな、と思う。これ以上は、心配をかけられないなと思う。

 とりあえずは、ここで笑ってみせていよう。まだ何の整理もついていないけれど、とりあえず。





 授業の合間の休み時間。俺はそっとクウに声をかける。


「なあ、クウ。ちょっといいか?」

「ん? どしたの」

「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」

「……ふむ」


 頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいるのは明白だったが、それでもクウは大人しく、俺について教室の外に出てきてくれた。


「こんなところに誘い出して、どうするつもりでしょう」

「馬鹿、反応に困るだろ」


 ツバサとはタイプが違うので、そういう台詞をぶつけられると、本当に返事に困る。だが、今はコントみたいな会話を楽しみたいわけではなかった。


「……聞きたいのはさ。父さんのことなんだけど」

「……」


 俺が切り出すと、クウは一瞬だけ呆然としたような顔をしてから、


「ワタルのお父さん? ゲンキさんがどうしたのよ」

「いや……そのさ。最近父さんが、調子悪そうだから。たまにそっちに行ってるんだろ? 何か聞いてないかなって思ってさ」

「えーと、そうだなあ……。何度か来て、薬を持って帰ることはあるけど。それ以上は、ちょっとね」

「……そっか」


 クウは、本当は詳細を知っているようにも思える。

 だけど、どうなのかは分からないし、無理に聞いて知らなければ迷惑極まりない。

 あまり、深く問い詰めることもできなかった。


「ありがとな。聞きたいのはそれだけだ」

「う、うん」


 俺が言うと、クウは泣き笑いのような曖昧な顔になって頷く。

 それから、少しだけ間をおいて、


「……あのさ、ワタル」

「……ん?」


 彼女は少しためらいがちに目を伏せてから、


「……大丈夫。きっとまた、いつも通り楽しい日々に戻るよ。……だから、楽しく遊ぼう。これからもさ」


 クウらしい、励ましの言葉をくれた。


「……ああ。ありがとうな、クウ」


 俺はもう一度感謝の思いを告げ、いつもツバサにそうしているように、そっと、クウの頭を撫でようと手を伸ばした。

 流石にその手はあっさりと、払われてしまったが。

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