僕らは式が終わってから、少しだけ座ったままジロウくんの遺影を見つめていた。
結局、タロウは最後までここへ来ることはなかった。
人が殆どいなくなってから、僕は立ち上がる。つられて、クウも立ち上がった。
もうそろそろ、帰ることにしよう。
堂内を見ると、まだワタルとツバサちゃんは座っていた。沈痛な表情で、俯き加減に話し合っている。声を掛けるのも躊躇われたし、クウも行こうと袖を引っ張ってきたので、僕らはゆっくりとしたペースで本堂を出て行った。
「届けられなかったな……千羽鶴」
「……思いは、届いたはずだよ」
「でも……駄目だった。私に出来る、精一杯のことだったのに……」
「仕方ないよ。……喜んでくれてると思う。ジロウくんはありがとうって、言ってくれてるよ」
「そんなことないよ。……何をするにしたって、手遅れでさ……」
そこまで言うと、クウは首を振り、
「……ごめん。そんなこと言ったって、ね。……ありがとう、慰めてくれて」
「……ううん、いいんだ」
これくらいのことしか言えない。それで、クウの心が少しでも晴れるのなら、全然構わない。
クウの家の前まで送る。彼女は別れ際、
「じゃあ、また明日ね、ヒカル!」
無理に明るい声で言い、僕に手を振った。僕も胸の前で小さく、手を振った。
クウが家に入るのを見送ってから、僕も自分の家への帰路につく。
そうして、家の玄関までやってきたとき。
ふと、足音が聞こえた。
塀から少しだけ顔を出して、覗いてみると。
その視線の先には――タロウの姿があった。
「タロウ……」
僕は何故か塀の影に隠れ、彼を見送ってしまった。どうも彼の表情が、翳りのあるものだったからだ。
それは、弟を失くした絶望感からくるもの、というよりかは、何か他に理由があるような風に感じられる。
タロウはどうやら、式場の方へと向かっていた。
僕は少しだけ悩んでから、彼の後を尾けることにした。
人目を気にするようにしながら、タロウは式場へ入った。中は無人だったらしく、僕も恐る恐る足を忍ばせて入る。
音のない堂内に、タロウは一人で立ち尽くしている。
目の前には、ジロウくんの遺影。そして……棺。
すると、驚いたことにタロウは、棺の蓋を乱暴に開いてしまった。
「タ、タロウ……!」
僕は慌てて近寄る。棺は顔の辺りに蓋があり、それを開けば顔だけは見ることができる。にも関わらず、タロウは蓋そのものを開けてしまったのだ。普通はありえない。知らないはずもないことだ。
「……何が葬儀だ。……こんな……」
「タロウ……?」
だんだんと僕の歩みは緩やかになっていく。タロウの背中に、一歩、また一歩近づいていく。
「……なあ、ヒカル」
タロウは、振り返りもせずに、僕に声をかけた。
「お前は……ここをどう思っているんだ」
僕は、タロウのそばまで、やってきた。
「どうって、……え、」
ふと、棺の中を見ると。
「……え?」
そこに、ジロウくんはいなかった。
「……な、なんで……空っぽなんだ?」
いや、正確には空っぽではない。僕らが半日掛けて作った千羽鶴が、棺の中には入れられている。
だが……それだけだ。
呆然と、僕はただタロウを見るしかない。するとタロウは、僕から目を逸らしながら、
「……ヒカル」
僕に呼びかけ、それから踵を返し、出入り口の方へと向かう。
相変わらず背中を向けたまま、彼は、
「お前には、この場所をもっと知ってほしい。そして……できれば、抗ってほしいんだ」
「抗うって、どういう……」
「すまん」
それだけを言って、彼は足早に立ち去っていく。
後には、僕だけが取り残された。
そう、本当に僕だけ。
棺の中には、誰も入っていないのだから。
「……何なんだ、一体……」
蓋を元通りに直す。そして、遺影を見つめる。
「どこにいっちゃったんだ……ジロウくんは……」
冷たい棺に手を触れる。
空っぽの棺。不在の箱。
湧き上がる疑問の数々に頭を悩ませていると、タロウの父親がやってきた。
「……君は……ヒカルくんか」
「は、はい……」
「ここで何を……」
「いえ、別れが辛くて……また、来てしまって」
「そうか……ありがとう」
咄嗟の嘘だったが、彼は信じてくれたらしい。気弱に微笑むと、
「千羽鶴を……折ってくれたんだってね」
「ええ。僕じゃなく、クウの……緑川クウちゃんの、提案ですけど。それに……届けられませんでしたけど」
「いいや、届いたさ。その中に……鶴を入れさせてもらったからね。だから、空へ飛んでいったジロウに、ちゃんとみんなの思いは、届いた」
「……そう、ですか……」
本当に、そうなのか?
ジロウは本当にこの鶴を、思いを受け取れたのか?
僕には、分からなかった。
けれども僕には、何も訊ねることができなかった……。
*
その日の食卓は、重い空気が流れていた。恐らく、村のどこの食卓でだって、同じような沈黙が降りているのだと僕は思う。
こんな小さな村では、一人ひとりの存在がとても大きなものなのだ。
だから、その一人が欠けたなら……それはとても悲しいことで。
テレビでは、車のリコール問題のニュースなどが読み上げられている。
家族はそれに目を向けてはいるものの、ちゃんと聞いているかどうかは分からなかった。
いや……聞こえてなどいないだろう。
「……ジロウくんは、ちゃんと空に飛んでいけたのかな」
僕がそう呟くと、
「……古い言い伝えか。鳥になるという表現がどうかはともかく……明日には、ゲンキくんが全て終わらせてくれるはずだ」
「まあ、心配しなくても大丈夫だよ、ヒカル。ジロウくんが飛んでいけないはずがないさ」
そんな風に、僕を慰めるような言葉をかけてくれる。
「……うん。ありがとう、お祖父様、お父さん」
僕は力なく笑って、お祖父様と父さんに感謝を告げた。
*
お風呂上がり、僕はそのままベッドに倒れこむ。
今日はあまりにも色々なことがありすぎて、もう何も考えずに眠り込んでしまいたかった。
けれども、暗い部屋で目を閉じれば、浮んでくるのは黒い枠に収まったジロウくんの笑顔。
そして、その下に置かれた棺。空っぽの棺。
どうして……棺に入るべき遺体が、不在だったというのか。
ジロウくんの遺体は、既にどこかへ運ばれたのだろうか。だが、どうして葬儀よりも早く運ばなければならなかったのだろうか。そこに、何か理由があるのだろうか……。それにお祖父様の、明日には全て終わらせてくれるという言い方も、少し気になる。
それに……もう一つ、後から考えて気にかかったことがあった。
父さんの言ったこと。ジロウくんが飛んでいけないはずがないという台詞。
それを、逆に考えてみる。
飛んでいけない者がもしいるとすれば。
それは一体、どんな人間なのだろう――。
そして、僕の六月五日が終わった。
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