いつもと同じように、目が覚める。
空は昨日と同じように、曇っていた。
このままずっと、太陽は覗かないのではないか。ずっと空は悲しんだまま、やがて世界は雨で満たされる。
起きたての頭は、ふとそんな物悲しい想像をしてしまった。
服を着替え、一階に降りる。少しだけ寝坊したようで、居間には既に全員が着席していた。
いただきますの合掌とともに、朝食をとりはじめる。今日の朝食も美味しかった。
「……昨日、黒いスーツ姿の男を見た者がいるらしい」
突然、そんな話題を切り出したのはお祖父様だった。
三日前に出会い、しかしジロウくんの死によって記憶の片隅に追いやられていた存在が、またにわかに強くなってくる。
一体あの男は、何者だったのだろう。
「……まさか、佐渡コンツェルンの?」
そう言ったのは、父さんだった。
佐渡コンツェルンという会社の名前は聞いたことがある。長い歴史を持つ東京の大企業で、様々なジャンルの事業を手がけているのだとか。
何でも、その勢いをつけたのが一九八五年の開発事業らしい。火事によって消失した森を買い取り、そこを観光施設にした。バブル景気の波に乗ったその施設は忽ち人気が爆発し、有名スポットになったし、社長はバブル崩壊の兆しを早くに見抜いたために、絶頂期というときに、とんでもない額でその施設を売り抜いたという。
今の社長は確か、佐渡一比十という人物だったと記憶しているが――
――カズヒト?
「……佐渡コンツェルンって、この村に関係あるの……?」
それとなく、僕が父さんに訊ねると、
「……ああ。あるにはある。この前お祖父さんが話してくれただろう。鴇村を出て行った男がいるって。その男が佐渡一比十、佐渡コンツェルンの社長だよ」
「……やっぱり、そうなんだ」
村に背き、そして村の外で成功した男、佐渡一比十。正直に言って、村を出て幸せを勝ち取ったというのは、村側にしてみれば不名誉というか、不快なものなのだろう。だからこそきっと、村の者たちはカズヒトという人物のことを、裏切り者というのだ。
「もう古い話だ」
父さんは、それこそ昔話を話すような調子で言う。きっとあまり思い出したくない、記憶の底に追いやったことなのだろう。
「……言わなくてもいいことかもしれないが」
父さんはそう前置きすると、落ち着いた声で、僕にこう告げた。
「佐渡一比十はね。もとは赤井家の人間だったんだよ」
*
「何か、最近ずっとみんなで揃って遊んでないよね」
昼休み。窓の向こうの曇り空を見つめながら、クウはぼそりと呟く。もしも五人が揃っていれば、この昼休みも運動場に出て、体を動かして遊んでいるのが日常だった。
今その日常は、遠い彼方にあるようだ。
「ま、今はどうしようもないよ。時間がかかるものだと思う。僕も正直言えば、まだ立ち直れてないしね。……気にかかることがあって、そっちに意識がいってるから、マシなのかもしれない」
「気にかかることって?」
「んー、まあ色々」
そう言ってはぐらかしてみたものの、
「……黒スーツの男の人、見たことある?」
「え? ないけど。そんな人が村にいるの?」
「見たって人がいてさ。誰なんだろうっていうちょっとした好奇心」
「ほえー。暑苦しいね。六月なのに」
「というかこの村でスーツだよ」
「目立つね」
「だね」
クウも興味を抱いたらしい。だが、やはり目撃はしていないようだ。
「んーでもでも、私最近、ワタルとツバサちゃんの秘密は目撃しちゃったけどね」
「ん? 秘密?」
「そうそう」
何となく下品な笑みを浮べて、クウは小刻みに頷いた。何かオヤジっぽいぞ。
「ワタルとツバサちゃんって、毎日ノートを交換してるみたいでねー。中身は知らないけど、交換するっていったらやっぱり日記しかないでしょ?」
「ああ、交換日記ってやつ?」
「それ! しかも一冊じゃなくて二冊ってところがすごいよね。毎日お互いのこと知りたいっていう愛が伝わってくるなあ」
「あんまり妄想しすぎないように。……というか、交換日記じゃないかもしれないんじゃ」
「いやいや。毎日交換するのは同じ、赤と白のノートなんだよ。学校の帰り道に交換してるみたい。二週間前に気付いてから、たまーに盗み見てるんだけどさ。一昨日も、ワタルくんが赤のノート、ツバサちゃんが白のノートを交換してたんだ。ヒカルは気付かなかっただろうけど」
「気付かなくて悪かったね。あんまりそういうの盗み見るのもどうかと思うよ」
ひょっとして、という思いも頭をよぎるが。
クウも、そういうものに憧れたりするのだろうか。
「でも確かに、罪悪感はちょっとあるかも」
「ん?」
意外にも素直にクウがそう認めたので、僕は拍子抜けする。
「いやさ。なんか照れ臭そうな感じだったらまだいいんだけど、なんていうかなあ」
クウは頬を掻きながら言う。
「けっこうマジメな顔してさ。二人で、明日も頑張ろうとかいうもんだから。なんかこう、付き合いたての恋人というより、もっとこう……深いものを感じたというか?」
「……あんまり妄想しすぎないように」
聞いているこっちが恥ずかしくなってしまう。というか、そう感じてしまう僕も妄想しすぎているのだろうか。いや、そうでもないはずだ。
「んー、いいよなあ、二人の秘密って。青春って感じがする」
「……日記、したいの?」
さりげない口調を意識しながら、僕がそう聞くと、クウは突然顔を赤くして、
「だ、誰がヒカルと日記なんかするのよ。絶対堅苦しい日記になるじゃない」
「いやそんなことはないかと……」
「まあ、日記はワタルとツバサちゃんのものだし」
クウは僕から目を逸らしながら、言う。
「私たちは私たちなりの何かがあれば、それでいいんじゃない?」
思わぬカウンターだ。僕はその言葉に、照れ臭くなりながらも、頷いた。
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