――そして、俺は。
全てが手遅れであることを知った。
再び鴇村に足を踏み入れたとき、そこは最早いつもの村ではなく。
大地の全てが赤く染まったような、恐るべき光景の広がる、村だったもの……。
「……なん、……だよ……何だよ、これは!」
鴇村は、俺が離れた数時間の間に。
真っ赤な劫火に飲み込まれていた。
「……燃え、てる」
目に見えるもの全部が赤く。それは北側にある山肌までも染めていて。
「なんで……どうしてだよ……? 何が、あったんだよ、これ……」
確かにここで起きている現実を、俺は微塵も受け入れることが出来なかった。
理解するのが恐ろしすぎた。
「ああ……あぁ……」
俺の家だったものが見える。
もう二度と戻らないと決めたその居場所は。
ものの数時間で、戻れない居場所になった。
炎が、侵食している。
あらゆる場所に、火は拡がっていて。
その勢いを止めることは、もう不可能に思えた。
「誰か……誰かいないのかよ……」
これだけの大火災なのに、何故か村人たちの姿が見えない。火の手を止めるのが不可能でも、避難しようしたり、状況を把握しようとしたり、とにかく外を走り回っていてもおかしくはないはずだ。
それなのに、村は死んだように静かだった。
「あ……!」
火を避けながら、奥へ進んだ先に、ようやく人の姿を認める。だが、その男性は地に倒れ伏し、ぴくりとも動かない。
「だ、大丈夫ですか!?」
声を掛けながら近寄るものの、すぐに気付かされる。
「……死んで、る……」
その人に、もう命は宿っていなかった。
……理解できなかった。
つい数時間前まで、いつもと同じようにあった村が火に包まれ、村人は倒れていて。まるで地獄のような世界に変貌している。
俺のいない数時間の間に、村で一体何が起きたというのだろう?
分からない。でも……。
「ツバサを……助けにいかなきゃ」
俺は震える足で、走り出す。
ツバサの家は、無残にも焼け落ちていた。
俺は近づける範囲で、ツバサの姿――もし最悪の結果だったら、どんな風になっているかは想像もしたくなかったが――を探した。けれど、人の形をしたものは発見できなかった。恐らくここには誰もいなかったのだろうと、そう思うことにした。
どこへ行ったのだろう。村にはもう、安全だと言い切れる場所はなさそうだ。逃げたとすれば、どこなのか。可能性があるとすれば、まだ火の広がっていない森の方か……。
墓地のある森の方へ逃げたという可能性に賭け、俺は北へ向かう。すると、森への入り口あたりに、女性が倒れているのを見つける。
それは、ヒカルの母、フミさんだった。
「フミさん、しっかりしてください! 何があったんですか……!?」
「……ヒ……カ、ル……」
フミさんは、薄れゆく意識の中、森の方角へ手を伸ばし。
そして、すぐにその手は力を失って、地面に落ちた。
「……フミさん……」
あまりにもあっさりと。命が消える。
怖くて怖くて、たまらなくなった。
俺は、フミさんの体を仰向けにして、胸で手を組ませてから。
溢れてくる涙を乱暴に拭い、森の方を見つめた。
「……森に、ヒカルがいるのかもしれない……行こう」
*
燃え盛る森の中を、彷徨うようにして俺は歩き続ける。
誰か……誰か、生きている人間に会えないのかと、切に思いながら。
そして、あの約束を刻んだ大木の前にやって来たとき。
右手の方で、草がカサカサと音を立てるのが、聞こえた。
その先に、誰かがいるのだろうかと思い、俺は音のした川の方に歩いていく。
そこには、三つの人影があった。
一人は、ヒカル。そして、あとの二人は……。
カズヒトさんと、黒服の男だった。
どうしてヒカルがカズヒトさんと、と訝ったが、そもそもの状況からしておかしいのだ。もう、何がどうなっていようと不思議ではない。
そんな投げやりな気持ちにもなりながら、俺は木陰に隠れ、事態を見守ることにした。
「……どうする気……? これが……これがあんたのしたかったことなのか……?」
「いやあ……兄さんが勝手に暴走してね……とか、後でそう説明する気ではあるけど」
カズヒトさんは、そこで表情を豹変させる。
醜く歪んだ笑みを浮かべる。
「そうだよ? 俺は初めっから、この村を消して土地をいただくつもりだったのさ。ハハッ、あいつもこんな話によく乗ってくれたもんだ。仮にも四十三年間、ずっと暮らした村なんだぜ? それを燃やし尽くすってんだから、流石というか狂ってるというか……なあ」
「ゲンキさんの、ことか……。あんたが焚きつけたせいじゃないのか」
「まあ、それもあるんだろうな。だが、あいつはずっと、この村に復讐がしたかったのさ。それに手を貸してやった。俺も利益を得る。素晴らしいじゃねえか」
「……それこそ、狂ってる……お前が、みんなを……みんなを……!」
「……別に、俺が手を下したわけじゃあないけどな。あいつと……まあ、それから俺の優秀な部下たちがやってくれたわけだが」
くっくと喉を鳴らせて笑い、そしてカズヒトさんはヒカルを睨んだ。
「そうだな……じゃあ、俺も一つくらいは、背負うか」
あっと声を上げる間すらもなかった。
彼は――カズヒトは、急にヒカルに近づくと、
何の躊躇いもなく、ヒカルを蹴り飛ばした。
ヒカルの姿は、地面の向こう側へと消える。あいつが立っていた場所は、崖のそばだったのだろう。
だから、ガラガラという音と、数秒してからの、ドボンという水の音とが、ヒカルの末路を示していた。
……呆気なかった。あまりにも。
――ウソ、だろ。
体が震えて、身動きすらとれなかった。
助けに行かなければと思ったのに、指一本、動かせなかった。
ずっと……ずっと一緒に、時を過ごしてきた大切な仲間が。
たった今……殺されそうになっていたのに。
いや、違う。
もう……。
俺はようやく、この村で何が起きたのかを、おぼろげながら理解する。
全て、あのカズヒトの言う通りだとしたなら、これを計画したのは、俺の父親に違いない。
そうだ、これは――村を巻き込んだ、壮大な心中劇なのだ。
父さんは、村を道連れにして、死のうとしている。
それに、カズヒトが便乗し、土地を乗っ取ろうとしているのだ……。
俺は、できることならカズヒトを打ちのめしてやりたかった。
あんな風に、軽々とヒカルの命を奪ったあの男が、許せなかった。
今まで隠し続けてきた仮面。その奥にあった悪を、どうして見抜けなかったのかと、それが悔やまれて仕方なかった。
……だが、俺一人が立ち向かったところで、結果は見え透いている。
だから、俺は何もできなかった。
なんて弱虫なのだろう。そんな思いもよぎったけれど。
せめて、ツバサだけは救いたいと、そう願う気持ちが一番、大きかったのだ。
……俺は、音を立てないようにして、ゆっくりと後ろに振り返る。
そして、まだ立ち入っていなかった、森の墓の方へと向かっていった……。
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