僕らはまた、コウさんに先導されて、細い山道を進んでいた。
一度村まで戻った後、その足で今度は北側、つまり墓地のある山道の方へと向かったのだ。
僕もクウも流石に足が痛くなってきたのだが、コウさんは全くスピードを落とさない。おまけに、スーツを着込んでいるというのに汗一つかいていないようだった。
雑草の茂る道をしばらく歩いていくと、分かれ道が、その真ん中に立つ大木が見えてくる。僕とクウはそれを見て、二人で顔を見合わせた。……コウさんが気付かないように。
幸いにも、コウさんは大木に少し目を向けただけで、そのまま左の道を進んでいった。僕らはそこで二人してほっと溜息を吐き、そのタイミングが同じだったことに笑った。
進む道は、どんどん細く、どんどん雑草だらけになっていく。この先にあるのは村の共同墓地だ。コウさんは洞窟があると言ったが、墓地の近くに、本当に洞窟などあるのだろうか。
そう思っていると、コウさんは墓地に続いているらしい上り道から外れ、その右側にある、獣道のような下り坂を進み始めた。僕とクウはそこでまた顔を見合わせたが、今度の顔は互いに、露骨に嫌そうな表情だった。
墓地の側面を下りていく獣道。先に何かがあるとはとても思えない、草の生い茂る道のりだったが、三分ほど歩いたところで、急に草の壁はなくなり、開けた場所に着いた。
「ここだ」
スーツについた葉を払いながら、コウさんは到着を告げる。そして、指さした先。
そこには確かに、ぽっかりと黒い口を開く洞窟が存在していた。
「こ……これは」
「ひえー……。でっかい洞窟だなあ……」
「ここは『地の檻』と呼ばれていた場所でね。鴇村では、犯罪者なんかを隔離する場所として機能していたんだ」
「え?」
さも当然のように、さらりとコウさんが言うので、僕は間抜けな声を上げてしまった。
「犯罪者を……隔離?」
「そう。これは警察のいない村での、平和を守るための手段だった」
「そ、そんな……」
警察がいないなら、代わりは必要なのかもしれない。だけど、それがこんな山奥の暗い牢への隔離だなんて信じられなかった。
そんなことが、本当に行われていたのだろうか。
コウさんの作り話ではないと、言い切れるだろうか……。
「この役目を背負っていたのは、地の家だった」
「地の家って……ツバサちゃんの家が、ここで犯罪者を閉じ込めてたってこと……?」
「そうなる。犯罪者も、それ以外の人もね。だから地なんだ。……まあ、今はそれはいい。とりあえず中へ入っていこう」
「は、はい」
コウさんの話は驚くべきことばかりで、もっと詳しく聞き出したかった。しかし彼は、詳しく話している時間がないと感じているのか、さっさと洞窟の中へ入ってしまう。
仕方がないので、僕らも続いて洞窟の中へ進んでいった。
……そして、数分と経たずに。
僕たちは行く先に、小さな人影があることに気付いた。
「あ……!」
僕はその姿を認めたとき、ただただそんな感嘆詞しか出てこなかった。
それはクウも同じだったようで、僕と同様に固まってしまっている。
そんな二人の心情など、気にすることもなく、無邪気な少年は、こちらに駆け寄ってきた。
もう二度と会えないのだと思っていた、少年は。
「ヒカルくんだー! クウちゃんだー!」
幼い子供らしい甲高い声で、彼は僕らの名前を呼ぶ。
「久しぶり! とーっても寂しかったよ!」
「ジロウ、くん……」
黄地次郎。二日前に病気で亡くなったはずの少年が、目の前にいた。
いつもと変わらない、無邪気な笑顔を浮かべて。
「夢……じゃ、ないよね?」
「うん……引っ張れる」
「痛いよー! 僕で試さないで!」
混乱しすぎたのか、嬉しさ余ってしまったのか、クウはジロウくんの頬っぺたを引っ張って、彼の実在を確かめた。当たり前だ、これは夢じゃない。
間違いなく、ジロウくんは生きている――。
「……悪かったな、不安にさせてしまって。申し訳ないがジロウはこの通り、ちゃんと生きているよ」
そう言いながら、暗がりからタロウが現れる。その顔には、二日前にはなかった温かみがあった。
「……本当に心配したよ。亡くなったんだと思って、お葬式でお祈りまでして、そしたら棺桶に遺体が入ってないのを見せられて。何がなんだか分かんなかったんだから」
「……なにそれ? 私もさっぱり分からないよ、その説明」
一部始終を目撃していないクウには、分からないのも無理はない。僕でさえ、あのときは状況が呑み込めなかったのだから。
「……まあ、ヒカルが混乱するのも無理はなかった。あの葬儀は、家族にとっても村にとってもしなければいけないことだったし。……それに、下手をすれば本当にジロウは殺されていたかもしれないんだ」
「……本当にって……」
ジロウくんは今、クウの腕の中で天使のような笑顔を見せている。
そんな彼が、殺されていたかもしれないとはどういうことだろう。
そう、思えばジロウくんは、重い病気のはずなのに、あまりにも元気すぎるではないか。
クウも病弱だったはずのジロウくんが、こんなに元気そうにしているのを疑問に思ったのか、タロウとコウさんを交互に見つめる。そこでコウさんは、
「……また同じ言葉を言わないといけないけれど、それは設定なんだ」
「設定って……」
「謎のようだが、この人の言葉が一番的確だと俺も思う。これは……設定だ」
設定。その言葉にどんな意味があるのかと、疲弊気味の頭で考えてみる。
……設定という言葉を言い換えれば、ルールとも言えるのではないか。
鴇村には古くから、家ごとの役割や伝承など、色々なルールがある。設定というのはつまり、そのルールを守っていくための環境設定という意味なのではないか……。
やや強引な考え方だったが、今の僕にはそんな想像しかできなかった。
「難しい顔してる」
瞑っていた目を開いたとき、目の前には心配そうにこちらを見つめるジロウくんの顔があり。
「あ、ああ……ごめん」
「頭痛くなるよ、ヒカルくん?」
「はは……そうだね」
「もー、ジロウくんは癒しだなあ」
クウは久々のジロウくんとの対面がよほど嬉しいのか、彼を抱きしめて離そうとしない。
ジロウくんにちょっとそこを代わってくれと言いたい、なんてことはない。決して。
……じゃなくて。
「村が村であるために、その設定はあるんですね」
「まあ、端的に言えばそうだが、それ以上に理由があるんだ。そもそも何故村が村でないといけないのか、という理由が……ね」
「……そこまでの話をするには、今日は短いんじゃないかな、コウさん。俺もジロウもヘトヘトだ」
そういえば、タロウはきっと葬式の日からずっと、家に戻らずここに潜伏しているのだ。僕たち以上に疲れているのは間違いない。
「……あと二日しかないが、休む時間もくれると嬉しい。その方が落ち着けるし」
「僕も休みたい! 何日もお風呂入ってないしさ」
「何ですと!」
風呂に入っていないというのを聞いた途端、殆ど突き放すようにしてジロウくんを離すクウ。そのリアクションが面白くて、僕は噴き出してしまった。
「笑い事じゃないぞー!」
「ははは……いいな、久々に人の世へ戻ってきた感じだ」
クウとジロウくんのやりとりに、タロウの顔に久々の笑顔が戻る。
「コウさんも……あんな感じでしたか?」
「……まあ、否定はしないよ」
「……そうですか」
「何の話です?」
僕が会話に割り込むと、
「……ふふ、秘密だ」
コウさんは口に人差し指を当て、そう囁いた。
「うわー、渋いおじさんが言うと何か格好良いな!」
「……おいおい」
色んな男に目移りするな、クウ。
「ところで、休む場所はどうなったんですか? ここへ来るときは、拠点が見つかったときってことでしたが」
「……それについてだけど。どうやら君は両親の好意を勘違いしていたようでね。元々ご両親は、内緒で君たちを島の外へ逃がすつもりだったそうだよ」
コウさんの言葉に、タロウは目を大きく見開いた。
「……なるほど。ふふ、俺も馬鹿なことをしたということですね」
「……仕方ないさ」
「お兄ちゃん、車から飛び降りたんだって!」
「え、そんなスタントマンみたいなことを?」
「おかげでしばらく右腕が痛かったよ」
「ほえー、そんなもんですか……」
そういえば三日前、トラックで帰ってきたタロウたちの父親とクウの父親が、不安げな様子でなにやら話していた。
それは、トラックからタロウが抜け出したことが原因だったわけか。
……しかし、だとするとタロウの両親だけでなく、クウの両親もある程度の事情を知っていることになる。
この村の秘密を知らないのは、実のところ子供たちだけなのかもしれない……。
「……そういえば」
話も一段落し、そろそろ洞窟から出ようか、という雰囲気になったとき、タロウが奥の方を見ながら口を開いた。
「ここにきてしばらく経つんですが。何度か奥の方から、物音がした気が」
「……物音?」
「僕も聞こえた気がする!」
ここでも十分気味が悪いのに、まだ先があるのか。それに、物音がするというのも怖い。
水滴の音とか、そういうものじゃないのかとは思うのだが……。
「……一度、見に行ってみようか。何もなければそれでいいが、ひょっとしたら、何かがあるのかもしれない」
「……分かりました」
「こ、この人たち怖いもの知らずだよ……」
「クウが言うとは意外だね……」
「私は乙女のような心を持っているのですよ!」
ような、なのか。……とは言わないようにする。
とにかく僕たちは、洞窟の奥を一度覗いてみることになった。
その選択は、実のところ僕たちにとって、非常に重要なものになるのだったが。
*
この洞窟は、地の檻と呼ばれた場所だったと、コウさんは説明した。
だから、奥に向かった先にそれがあることは、考えてみれば当然のことだった。
冷たく、錆び切った鉄の扉。もはや鍵も掛けられていないその扉を開くと、その向こうには。
岩肌を掘り抜いて作られた、牢屋が並んでいるのだった。
「……怖い」
クウが最初に呟いた言葉。それが全てだった。
古びた電燈だけが、それも不規則に明滅を繰り返す電燈だけが唯一の光で。
そんな暗い地の奥に、殺風景な檻がざっと十ほどは、並んでいる……。
かつてここにあった光景。それを想像すると、僕は一気に鳥肌が立つのを感じた。
「おい、誰か閉じ込められてるぞ!?」
それはタロウの言葉だった。見ると、確かに一番手前の檻に、人の足のようなものが見える気がする。
すぐに檻の前まで駆け寄ると、そこには年老いた男性が、壁を背に、頽れるように倒れていた。
「大変だ、大変!」
「ど、どうしてこんなところに……」
「とにかく助けよう!」
檻は木材で出来ていたので、男性陣が協力して体当たりをしたり、衝撃を与えていき、何分かかけて破壊することに成功した。
そして、内側から鍵を開け、老人を運び出す。
「だ、誰なんだろう……このお爺さん」
「六十、いや七十歳くらいか……? かなりの高齢だな」
「こんなお年寄りを閉じ込めるなんて、ひどいよ」
ジロウくんの憤慨に、僕たちもそうだね、と頷く。
「かなり消耗してる。……すぐどこかへ運ばないと」
「ヒカルくんの言う通りだ。とにかく、外へ運ぼう。そうだな……緑川家の病室をお借りした方がいいね」
「あ、それがいいですね!」
その手があったか、とばかりに、クウが手を打つ。どうも自分の家が一応は医院だというのを失念していたらしい。
それからすぐ、僕たちは謎の老人を、なるべく村人たちに見つからないように、緑川家に運んだ。洞窟から村までの搬送はかなりの重労働だったが。クウの両親には、コウさんが簡単に事情を説明したらしく、僕はその説明を聞きたかったけれど、とにかくクウの両親は納得したようだった。
老人は相当弱っているらしく、緑川家では到底処置ができない状態らしかった。そのため、コウさんは何か手立てを考えるとだけ僕らに言った。
コウさんは、その老人に何らかの心当たりがあるようにも見えたが、今日は何も聞かないままにした。
応急処置はクウの両親に任せ、僕たちは緑川家を辞去することとなった。
タロウたちとコウさんは、黄地家を拠点にすることにしたという。僕らは明日、黄地家に行って、彼らからより詳しい話を聞くことになっていた。
帰り際、もう一度だけ老人の様子を見に行ったとき。
老人はうわ言のように、しわがれた声で誰かの名前を呼んでいた。
それは、こんな名前に聞こえた。
……トキコ、と。
そして、僕の六月七日が終わった。
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