意識が覚醒したとき、目覚まし時計は七時ちょうどを示していた。休日とはいえ、二度寝はできない性格なので、僕は体を起こす。
「……ふう。ちゃんと眠れたみたいだな」
空は変わらず曇天だ。雨は降り出しそうでまだ降ってこない。
私服に着替えると、僕は一つ、深呼吸する。
「……よし、今日は色々と覚悟しないといけないな」
昨日より、頭はスッキリしている。準備はできている。
どんな事実も受け止めてみせる。そう心の中で呟いて、僕は一度、ピシャリと頬を叩いた。
部屋を出て、階段を下りていくと、玄関の方でガラガラと戸が閉まる音がした。玄関前には母さんが立っていて、どうやら今しがた、誰かを見送ったような感じだった。
「おはよう、母さん」
「あ……ああ、おはよう。ヒカル」
「……誰か来てたんだ?」
「ええ、まあ……」
母さんは、少し狼狽しているようだった。つい先ほどの来訪者が、何か関係しているのだろうか。
「さ、朝ご飯を食べましょ、ヒカル」
「う、うん。そうする」
いよいよ動き出した。直感でしかないけれど、僕はそのとき、そう確信した。
*
青野家は、僕もそうだが家族全体が、平日も休日も同じような生活リズムで動いている。
だから、朝食をとる時間も、平日とさして変わらない。
改正道路交通法についてのニュースが番組内で読み上げられている中、
「……まさか、こうなってしまうとはな」
「でも、まだ決まったわけじゃありませんよね?」
「……だといいが」
お祖父様と父さんが、二人して真剣に話をし始めた。
「何の話を?」
答えてくれるとは思っていなかったが、念のため僕は聞いてみる。
すると、父さんはまた、あえて何でもないような口振りで、
「村がやっぱり、どうにかなってしまうかもしれないっていう話さ」
「どうにか……ね」
「そう」
大人たちの知る事情を、子どもにはなるべく教えたくない。どうやら、そういう考えが浸透しているようだ。村の大人たちは異変に気付き始めていて、それを子どもたちは知らずにいるのだろう。
僕らは、そうはならない。
でも、大人達が当たり前のように知っていることを、どうして子どもは誰一人として知らなかったのだろう。大人たちから盗み取るようにしてしか、知ることができなかったのだろう。
ひょっとすると、それも何か、関係のあることかもしれない。
「……借りたものは返す。その道理はもちろん分かってはいる。が……そうしない方が良いときもあると、わしは……そう思うのだがね」
湯のみの底を見つめながら、お祖父様は静かに、そう呟いていた。
*
電話の呼び鈴が鳴り響いたので、近かった僕が受話器を取った。
「はい、もしもし」
『……もしもし、ヒカルか。俺だ』
「ワタル? どうしたの」
僕宛に電話がかかってくるならタロウからだと思っていたので、何の用だろうと僕は首をかしげる。
『……俺も、混乱しててちゃんとは説明できないんだけどさ。この村が……なくなるかもしれないんだ』
「村が……なくなる?」
どういうことだろう。ワタルの口からそんなことを告げられるなんて、想像もしていなかった。
僕が村のことを調べていたのと同じように、ワタルもまた、村について何かを見知ったのだろうか。
「どういうことさ」
『佐渡コンツェルンって知ってるか? ……その企業がさ。この村の土地を、買い取るそうなんだ。まだ確定ではないけれど……そうなるだろうってことらしい』
佐渡コンツェルン。ここ数日で、何度か名前は出てきたが。
あんな大企業が、今更この村、いや島にどんな価値を見出したというのだろう。
そもそも、佐渡コンツェルンが不動産売買のような事業をメインに行っていたのは、バブル期前後だったはず。
今この島に、巨額のお金をかける理由とはどんなものだというのか……。
「……信じられないな、色々と」
『……ああ。……だろうな。でも、本当のことらしいんだ』
電話の向こうの声は、意外に冷静な声で淡々と告げる。
『明日。何か発表とか、されるんじゃないかと思う』
「明日発表? 鴇祭の日に? ……タイミングが悪い気もするけどな……。正式に村が解体される日とかは、決まっていたりするの?」
『いや。……俺もそこまでは』
「……そっか」
ワタルも、情報を耳にしてすぐ、伝えなければならないと思い電話してきたのかもしれない。
「伝えてくれてありがとう。とりあえず、気にしておくことにするよ。そんなことにならなければいいけど……ね」
『……そうだな』
「じゃあ……また鴇祭で会おう」
『……ああ。じゃあ、また』
通話が切れるのを確認して、ゆっくりと受話器を置く。
「……」
ワタルの話を疑いたくはないが、今の話は本当のことなんだろうか。
買収の話も突然すぎるし、今この土地が買われる理由が思いつかない。
リゾート地にでもするのか。いや、たとえ昔成功していたとしても、この時代にそこまでの大開発は無謀な気もする。
それに、この村で起きていることの中心が、買収騒ぎだというのは、どうもしっくりこないような気がするのだ。
何か……ズレがあるような。
電話の前でそんな風にあれこれ悩んでいると、また呼び出しの音が鳴り響いた。
「はい、もしもし」
『ああ、ヒカルか。黄地太郎だ』
「タロウ。……呼び出しかい?」
『そうだ、俺の家に来てくれないか。……もうすぐ俺は出かけないといけないけどな』
「うん? まあ、了解したよ。これから向かわせてもらうね」
『ああ、待ってるぞ』
そしてまた、僕はゆっくり受話器を置いた。
「……ふう。目まぐるしいけど、とりあえず出発しよう」
鴇祭の日に向けて、村のあらゆる場所で動きが起き始めている。
僕らもそれに対抗して、動き出さなくてはならない。
軽く身だしなみを整え、家族に挨拶をしてから、僕は家を出た。
すると、家の敷地のすぐ先に、クウが立っているのが見えた。
「ようっ」
「お、おはよう、クウ」
「うんうん、おはよう。私の方が、タロウくん家には近いけど、迎えに来てやりましたよ」
朝から元気なクウは、そう言うと警察官がするみたいに、ビシっと敬礼をする。彼女もタロウから連絡を受けたらしい。
「はは……ありがと」
「いつもの逆だね。やってみたかったんだー」
「早起きはいいことだ。……それじゃ、行こうか」
「うんうん、行きますか」
静かな朝の村を、僕らは二人、引っ付きそうなくらいの距離で歩く。
手を繋ぎたい、なんて衝動にも駆られたが、それは自重した。
簡単に許してくれそうでは、あるのだけど。
「なんかさ、タロウくんから電話が来る前に、ワタルからも電話があったんだけどさ」
歩きながら、クウが言う。
「ああ、クウも?」
「ってことはヒカルもか。……ワタル、とんでもない話してたよね」
「そうだね……」
「ワタルの言ってたこと、本当なのかな。村が買収されるってさ……」
「……それも、タロウたちが話してくれるかもしれない。とにかく、全てはタロウたちに会ってからだ」
「ほいほい」
何も教えられていない僕らがあれこれ考えたところで、それは推測の域を出ない。
タロウたちから全てを聞けると信じて、僕らはただ彼らの元に向かうしかないのだ。
「……ねー、ヒカル」
「うん?」
「もしも本当に、この村がなくなっちゃうとしたら、そのときはどうするの?」
「……なんか、前も同じような話題をした気がするね」
「だね」
これまでは、村がなくなるという前提ではなかったけれど。
この不思議な、小さな村を出ていきたいかどうかという話は、何度か二人でしていたな。
「……とりあえずは、一緒にどこかで暮らすんじゃない?」
「ほえ!?」
全く意図せずに口にした台詞だったのだが、クウの大声で彼女がどう受け取ったのかに気づいて、慌てて補足する。
「あ、ああいや……みんなでね、こう集合住宅とかで」
「……な、なるほど。分かってましたよ?」
「まあ……それから先のことは分かんないよ」
クウの勘違いのせいで、無駄に心臓がドキドキした。
そういうことは軽々しく言えないに決まってる。
「……でも、そうだね」
それでも照れ隠しのように、僕はもう少しだけ、付け足す。
「この村の言い伝えは、忘れずに生きていきたい……かな」
「……うん。えへへ」
……照れ隠しになってないな。
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