かつて、天の墓場と呼ばれていたという、森の奥の墓地。その場所を基に作られたこの墓地は、木を十字に組んで作られた墓の代わりに、冷たい墓石が並んでいる。そして墓石には、あの日命を落とした人々の名前が、そして忌むべき日付が刻まれている。
火がじわりじわりと広がり、辺りはもう、赤が支配したような世界と化している。それすらも、過去の忌まわしき日の再現だった。
ただ一人の女性のために、神経質なまでに再現されたこの舞台の上で。
今、あの日を生き延びた者同士が、対峙していた。
悲劇の光景を目にし、生き残った者たちと、殺されていたはずだった者とが。
「……ああ、そうだ。お前なら……分かるだろう? 大切な人を、取り戻したい気持ちが」
炎の中、そぐわない落ち着いた声で、"ワタル"……ゲンキさんは言う。
その言葉に、"ヒカル"……コウさんが、ゆっくりと首を振った。
「僕も、クウを取り戻せるものなら取り戻したいよ。あの日、どうして僕は彼女を守れなかったのか。ずっと、それを悔やんでばかりいる。だけどね。彼女のことを考えるたび、僕の中の彼女は、笑いながら言うんだよ。そんなにくよくよせずに、前を向いてなさい、とね。それは僕の勝手な想像かもしれないけれど。……きっとクウなら、そう言うだろうなと、僕は思ってる。だから僕は、あの日を悔やんでいたとしても、前に向かって進んでこれたんだ……今日まで」
二人の対話。それを横で見つめているのは、"ツバサ"……カエデさんだ。けれどやはり、その瞳に生気は感じられなかった。
彼女の心は、深い深い場所へと、沈みこんでいるようだった。
「コウさん!」
僕らは、コウさんの元へ駆け寄る。彼は僅かにこちらへ視線を向けると、黙ったまま小さく頷いた。
「……君らは……」
ゲンキさんは少しばかり驚いた様子で、
「……そうか。俺の意思以上に、似てしまうんだな。お前も、クウも、詮索好きなところがあった。あのときも……」
ゲンキさんは、昔を懐かしむように話す。
その目には、クウがさっき危惧した通り、この先を生きる気力のようなものが、感じられなかった。
ここが最期の場所だと、決めているかのような。
「ヒカル。お前はきっと、諦められたんだろう。どうしようもない現実を、受け入れられたんだろう。だが……俺はそうはいかなかった。俺の隣には、ずっとツバサがい続けた。心が抜け落ちても、それでも自分の意思で、彼女は俺のそばにいてくれたんだ……!」
ゲンキさんは、そこで初めて、抑えられていた感情を露にして、声を荒げた。
そんなゲンキさんの言う通り、カエデさんは、ゲンキさんの服の裾を手で掴んでいて、確かに自らの意思でそばにいるように思えた。
――たとえ、記憶が、心が抜け落ちても。
暗闇の奥深くで、まだ彼のことを感じている。
「何も喋れなくなっていって、何の表情も浮べられなくなっていって。そして全てを失ってしまっても、まだ俺のそばに、寄り添ってくれる……そんな彼女のことを! 俺は決して、諦めることなんかできないんだよ……!」
「ゲンキ、さん……」
僕らには、彼がどれだけ苦しんできたか、理解することなどできない。
その苦しみを想像することしかできない。
だから、どんな言葉を返したとしても、それはゲンキさんの言葉よりも、軽いものにしかならないと感じた。
……それでも。
僕らには僕らにしか伝えられない、何かがあるはずだ。
「……ゲンキさん。僕らは、あなたの作った島で、今日まで生きてきました。沢山の思い出ができた。楽しくて、悲しくて、かけがえのない思い出です。それが全部、脚本のあるものだったとしても。幸せな、生活でしたよ。それは……感謝しています」
「……」
「僕らが生きたのは、昔の鴇村の脚本。それなら、あなたたちが生きた鴇村も、幸せだったんですよね。幸せな毎日を、仲間たちと過ごせていたんですよね」
「……そうだよ。ヒカルくん。……あの日までは」
「その日を繰り返して、あなたは本当に、幸せを取り戻せると信じていますか? あなたを、ツバサさんを、他の多くの人を絶望させた最期の日を繰り返すことで、あなたは戻れるのだと信じているんですか……? 僕は……そうとは思えません。あなたのそんな顔を見て……信じているとは思えないんです……」
「……」
ゲンキさんは、自分が辛そうな表情をしていることに気付いていなかったのだろう。片手で頬を触り、目を見開く。
しかし、静かに目を閉じると、やはり感情を殺したような声で、言葉を返した。
「……戻れるなんて、信じてはいないさ。だけど……取り戻せるとは信じている。たとえ最期の一瞬であっても……あの日の彼女を取り戻せるのだとしたら、それだけで俺は……俺たちは幸せになれるから。約束を果たして、二人で……飛び立てるから」
「……二人で、飛び立つですって……?」
それまで何も言わなかったクウが、その言葉に反応して、口を開く。
「ワタルさん、あなたはそれでいいの? ツバサさんが全てを思い出せれば、二人で死んでしまっても? あなたは……あなたにとってはそれだけが全てでも! ……それって本当に、幸せなんですか? 私たち村人は? あなたたちの子どもは? ……ツバサさんは? あなたは、その望みを達成して、本当に鳥になって飛んでいけると、思ってるの……?」
天の家に見送られる者は、鳥になって飛びたてる。地の家に囚われた者は……鳥にはなれない。
罪を犯した者が地の檻に閉ざされるのだとすれば……彼は鳥になど、なれはしない。
もちろん、言い伝えを信じるも信じないも、その人の自由意志だ。
ただ、都合のいいことだけを信じるような彼に、クウは怒りをぶつけたのだった。
「父さんっ!」
そのとき、背後からワタルの声が響いた。
振り返ると、そこにはワタルとツバサちゃんの姿があった。
二人とも、意を決したような鋭い表情で、自分たちの両親を見据えていた。
「お前たち……」
「……ねえ、父さん。本当に……それでいいの? 父さんは……母さんの記憶が戻ったら、もう他には何も、いらないの? そんなのは……嘘だよ。それしかないんだって、そう思ってる、だけだよ」
ワタルの言葉に、ツバサちゃんも自身の思いを続ける。
「私は……私は、もっとお父さんと、お母さんと、一緒にいたいよ! 二人だけで、どこかへ行こうとなんてしないでよ! お父さんとお母さんのために、頑張ってきたんだよ? なのに最期だなんて、そんなの駄目だよ……!」
「……それは……」
子供たちの涙ながらの訴えに、ゲンキさんは声を詰まらせる。
そう、彼も本当は、それだけが望みだったわけではないはずだ。
本当は、もっと多くのことを叶えたかった。
幸せな家族を、取り戻したかったはずなのだ。
だけど、追い詰められた彼には、一つの望みしか残せなかったのだ……。
――そんなとき。
「――あ……」
「……ツバサ?」
虚ろな表情をしたままだったけれど。
確かに、彼女は言葉を発した。
そして、
「――めん、ね。ご……めん、ね……」
「ツバサ! お前、何か思い出したのか……?」
ゲンキさんは、カエデさんの肩を押さえ、激しい口調で問う。
体を揺さぶられた彼女は、その虚ろな瞳から、一筋の涙を零していた。
「……ワタ、ル……ツバサ……ご、めん……ね……」
「……!」
それは、記憶ではなく。
彼女の今の、思いだった。
涙ながらに訴えかける、子供たちへの、謝罪。
「……ツバサ、お前は……」
「……たとえ、記憶がなくなっても。心が蝕まれても。ツバサさんには……分かっていたんだと、思います。自分が理由で、苦しんでいる人がたくさんいることが。涙を流す人が、たくさんいることが。
……ねえ、ワタルさん。あなたは……考えたんですか? 同じ光景を見て、同じ約束を刻んだツバサさんの、思いを。その思いが、本当にあなたと同じであるかどうかを……」
僕にだって分かる。カエデさんの気持ちが。
それを分かれない程に、ゲンキさんは盲目になっていたのだ。
「……めん、なさい……ごめん、なさい……」
ただ、何度も。
彼女は、謝り続ける。
自らを思ってくれる者たちへ。
その者たちが苦しめてしまった、罪無き人々へ。
「……どうして、お前が謝らなくちゃいけないんだ」
ゲンキさんが、声を震わせる。
「違う……悪いのは全部……俺なんだよ……! お前を苦しめてきたのも、子供たちを苦しめてきたのも、他の全部も! 全部……俺がやってきたことだったんだよ……」
ゲンキさんは、手で目を覆い、叫ぶようにそう言った。
それは、目を背け続けた現実を、諦めてきた望みを、再び直視した彼の、心の叫びのようだった。
「ごめんな……ツバサ……ごめんな……お前たち……」
カエデさんを抱き締めながら。ゲンキさんは、彼女と、そして子供たちに謝罪する。
その懺悔は、長い間封じ込めてきた彼の、奥底にある本心だったのだろう。
ゲンキさんは体を震わせながら、カエデさんの謝罪を引き継ぐように、何度も、謝り続けた……。
「……ワタル。君はまだ、やり直せるんだよ。そしてきっと……取り戻せるはずだ。君のとなりには、ずっと……大切な人が、そうやって、いてくれたんだから」
ゆっくりと。
コウさんが、ゲンキさんの元へ、歩んでいった。
そして、しゃがみこんで。
彼の肩に、そっと、手を置いた。
「ワタル。今まで君が信じてきたのは、きっと自分自身だけだ。自分の行いが、ツバサちゃんを救うのだと、だから頑張るしかないんだと、そう信じて生きてきたんだと思う。だけど……それは違うんだよ。もう……分かるだろう?」
ふっと微笑んで、コウさんは、カエデさんを、そしてワタルとツバサちゃんを見る。
そう。きっと、彼にも分かっているはずだ。
「俺は……俺は……もっと、信じてやればよかった……。ツバサの思いを……子どもたちの……思いを……。
馬鹿だ……俺は、馬鹿野郎だ……! 自分だけが彼女を救えるんだって、自惚れて、こんな馬鹿げたものを作って。何も、何一つも……ちゃんと考えられてなんか、いなかったんだ……」
……長い長い、計画の果てに。
その計画が辿り着いた、最後の時に。
彼はようやく、自分が見てこなかった幾つもの思いに至り。
そして、あの日と同じ炎の中、ただただ慟哭し続けるのだった……。
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