カナエさんが挨拶をして、今日も学校での一日が終わる。
来週から、元気にまた遊ぼうとクウに約束しておいてから、俺はツバサのもとに向かう。
「ツバサ。お願いがあるんだけど」
「うん?」
「今日、ツバサの家に行ってもいいかな?」
「えっ……ええと。……うん、いいけど」
そう答えたときの、ツバサの頬が明らかに赤らんでいたので、俺は慌てて、
「あー……まあ、変な意味でじゃなくてだな。カエデさんに、俺から話をしてみたいってのがあってさ」
「あ……ああ、うん」
合点がいったのか、彼女は一つ頷いて、
「話せるような感じじゃないかもしれないけど……そうだね。ワタルくんからも、聞いてみてもいいかもしれないね」
「無理なら、それはそれでいいんだ。俺だって、話すのが嫌なことくらいはあるし。そういう話を強引に聞くわけにもいかないからな」
もし聞けなければ、そのときは他に方法を見つけるまでだ。どこかにヒントくらいは転がっているだろう。
タロウの思いに応えるためにも、俺はそれを見つけ出し、辿っていかなくてはいけないのだ。
学校を出て左に曲がり、いつもツバサと合流する丁字路で、もう一度左に曲がる。あとは真っ直ぐ進めばすぐ、ツバサの家が、庭が見えてくる。
何度も遊びに来ている家だとは言っても、女の子の家だと意識すると、やはりどんな場面であっても、多少は胸が高鳴ってしまうようだった。
玄関の開き戸をガラガラと開け、ツバサが先に中へ入る。ただいま、という声の後に、俺が続き、
「……おじゃまします」
奥にまでは届かないだろうが、とりあえずそう呟いた。
「……お母さん、あんまり歩けないから、和室で休んでると思う。行こっか」
「あ、ああ」
やや上ずった声で返事をし、俺はツバサの後ろについて進んだ。
和室への扉を開くと、ちゃぶ台の向こう側で座っているカエデさんがいた。以前会ってからどれくらいになるだろうか。家からほとんど出ることのないカエデさんとは、冗談でなく、二年くらいは会っていなかったような気がする。その頃のカエデさんと今のカエデさんを比べると、やはり病弱さが増しているように感じられた。
「こんにちは、カエデさん。お久しぶりです」
「……ワタルくんね。久しぶりだわ」
カエデさんの笑みはとても弱々しく、声も少ししわがれている。話を続けてもいいのかと、気にしてしまうほどだった。
しかし、聞くだけは聞いておきたい。そのためにここに来ているのだから。
「ごめんね、お母さん。ワタルくんが来てくれたのは、昨日のことがあったからなの。私、昨日ウチの仕事について聞いたよね。それは、ワタルくんが知りたいって言ったからなんだ」
「……そうなの」
「話しにくいことだというのは聞きました。その上で、押しかけてきたのは申し訳ないです。でも……知りたい理由ができてしまった。知らないままで、この村で過ごし続けるのは嫌だと、思ってしまったんですよ。……ウチの仕事のことを、知ったせいで」
「……ええ。いつか、来ると思ってたの」
カエデさんは、ポツリとこぼす。
「いつか赤井家の仕事が受け継がれるときに、また、こんな日がくるんだろうとは……」
「……お母さん?」
様子がおかしいことをすぐに感じ取り、ツバサは母の顔を覗き込む。けれど、カエデさんは彼女の声も動きも気にせずに、
「……地の檻のことを、聞いたの?」
「……いえ、見ました。この目で直接。詳しいことはまだ何も知らない。ただ、それがそこにあるということを知っただけです」
俺はそこで一度、言葉を切り、
「だから……知りたくなったんです」
カエデさんの淀んだ瞳を見つめながら、そう告げた。
「……聞かないでと言えば、それでワタルくんは帰ってくれるのかしら? 良いことなんて一つもない、あの場所のことを。聞かずに帰ってくれる……?」
言いながら、カエデさんは顔を伏せるように俯く。見えなくなったその表情は、きっと悲しみか、苦しみの表情なのだろうと思えた。
「……やっぱり、嫌なことですよね」
自然と、俺は苦笑している。
「いいんです。カエデさんから必ず聞き出そうとまでは、思ってなかったんで。どこかで知ることができればいいと、そんな風に思ってるんで」
他のどこで知ることができるのかは、さっぱり分からないけれど。
「だから――」
「……私は、謝ることしかできないのよ……」
俺の言葉を遮るように言った、カエデさんの一言に、俺はドキリとする。
「……謝る?」
隣を見ると、ツバサも呆気にとられたような顔で、
「どういうことなのかな、お母さん……」
「それが……地の家の仕事……憎まれるしかない仕事だった……」
また、ツバサの声を無視して、カエデさんは続けた。
「……あの人がいなくなって、……残された私には到底担えるはずがない仕事だったのよ……」
カエデさんの言葉は、だんだんと独白めいてくる。
それを、俺とツバサは、不安げに見つめることしかできない。
「ごめんね……ワタルくん……」
絞り出すような声で、俺にそう謝ると、カエデさんは突然咳き込み始めた。
「お、お母さん!」
苦しそうなカエデさんのそばに寄り、ツバサは背中を優しく擦った。
そんな介抱を受けながら、なおもカエデさんは謝り続ける。
「ごめんなさい……あの日……あんな、ことになるはずじゃ……」
「どういうことなんです……カエデさん」
カエデさんは、体を震わせる。
そして。
「……私が……私が、あの人を殺してしまったのよ……!」
カエデさんは叫ぶようにそう言って、ツバサの腕の中から崩れ落ちた。
*
ツバサの部屋に引っ込んだ俺たちは、ただじっと、黙り込んだままでしばらく過ごした。
カエデさんはあれから、苦しそうに胸を押さえて倒れこんでしまったので、もう話は聞けそうになかった。ツバサが布団を敷き、カエデさんを寝かせて、二人でこちらに引っ込んだという経緯だ。
「……ごめんな。やっぱり、聞きに来るんじゃなかったんだな。ツバサにも話してくれなかったこと、なんだもんな……」
「……ううん、それはいいんだけど」
ツバサは緩々と首を横に振ると、
「むしろ、私よりワタルくんにこそ関係のありそうなことを、言おうとしてたよね……」
そう。カエデさんは恐らく、俺の母さんのことを言おうとしていた。
それも、あまりにも衝撃的なことを。
「あの人っていうのは、俺の母さんのこと……だよな……」
「……わかんない、けど……」
「どういうことなんだろう。あの人を殺したって。カエデさんが、そんなことを言うなんて……」
言葉通りに受け取っていいのか。そこから既に、判断できなかった。
「何かの、間違いなんじゃないかな。記憶も、ちょっと抜け落ちてるみたいだからさ……」
「記憶?」
うん、とツバサは頷き、
「記憶障害が出始めてるみたいで。……結構忘れっぽくなってるんだ、色々」
「そう、なのか……」
どうなんだろう。それが何らかの間違いに繋がっているのだろうか。
殺したというのは、何かのマチガイなのだろうか。
「でも……」
その言葉を言わしめた理由というのは、彼女の頭の中にあるはずなのだから。
それは、一体何なのかと、気になった。
何故だろう。何故、カエデさんは俺の母さんを殺したと思い込んでいるのだろう。何か、心当たりがないかと、俺は記憶を辿ってみる。
母さんが死んだのは、病気のせいだ。少なくとも、俺はそう聞いているし、村でもそう認識されている。
だから、病死なのは間違いないと思うのだけど。
……病死と真白家を繋ぐ何か。そんなものがあるのだとしたら。
……何だろう。奇妙なことに、比較的最近その何かを耳にしたような気がして……。
「……あ……」
突然、あのときのクウの言葉が、脳裡をよぎった。
――隔離者。
隔離者は、どうなるって言ってたんだっけ……?
確か。
確か……。
真白家と、連携する。
真白家によって、隔離される……?
たった一つだけ、全てが説明できる可能性が、俺の頭に浮かぶ。
けれど、まさか。
「それが……」
――それが、答えだと、いうのか。
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