――あれは、小学五年生あたりだったと思う。
あの頃の俺らはスマホを持っていなかったので、手紙でやり取りをした。
手紙で夏咲が話す学校生活がとても楽しそうだったのもあって、俺は少しずつ学校というものに興味を持った。
だから一度だけ、勇気を出して学校に行った。その頃は夏咲も俺のことを気にかけていて、相談をしたらすぐに了承してくれた。
とはいえ、自分の足で学校まで行くのはまだ力が入らなくて、夏咲が教室の前まで登校をしてくれて、俺は教室のドアの前で目を覚ました。
手は震えているし、足もなかなか踏み出せなくて、しばらく突っ立っていたのを覚えている。
すると、後から登校してきたクラスメイトから、「黒葉、何してるんだよ? 教室入らないのか?」と、肩と叩かれた。とても親しそうに。
「……ぁ」
誰? なんて言えばいい?
テンパって戸惑って、とにかく酷い有様だった。それでも、意識が落ちなかったのは、それだけ頑張ろうと思っていたんだと思う。
名前も知らないクラスメイトが教室に入ったので、俺もおそるおそる教室に入る。教室には既にたくさん人がいて、みんな和気あいあいとしていた。俺にとっては始めてのクラスだったが、みんなにとってはそうじゃない。俺がこの教室にいることは、当たり前なんだ。
だったら堂々としていよう。そう深呼吸をしたとき。
「あー黒葉、遅かったじゃーん!」
「寝坊でもしたのかよ? てか顔色悪くないか?」
「黒葉くんおはよー! あ、今日の宿題やった?」
次々と、話しかけられた。名前も、顔も、記憶にないクラスメイトから。
そんなことは重々承知していた。だから、俺はもう一度深呼吸をして、「おは、よう」とぎこちないながらも挨拶をした。
挨拶ができた……!
今まで学校にすら通えていなかった俺が、挨拶をした。それは自分にとって、大きな一歩だと思っていた。
だから――。
「おい黒葉、大丈夫か?」
「今日の黒葉くん、黒葉くんらしくないよ?」
ここが俺のいるべき場所じゃないと知って、絶望した。
俺がどんなに頑張っても、今求められている「高松黒葉」は、俺じゃない。
黒葉くんらしくない?
らしくない。って、なに?
違う。俺は、やっと勇気を出して、学校に行きたいって思えるようになったから、がんばったのに。
黒葉は俺だ。俺が黒葉だ。
そいつは、おまえらが言ってる「黒葉」は、俺じゃないのに!
「なんで……。なんのために……」
なんのために、夏咲が学校に通ってくれていたんだ? 本気でわからなくなった。
ああ、俺を、学校に通わせるためじゃなかったんだ。
外に、俺の居場所なんてなかった。
「おーい黒葉、平気か? 保健室行く?」
「…………」
「黒葉くん? どうしたの? 大丈夫?」
「……。っ⁉ あ、ええと、みんな、どうした?」
「いや、黒葉、すごく気分悪そうだから……あれ?」
「あー……。ごめん! ちょっと昨日徹夜しちゃってさ! ぼーっとしてた!」
「なんだよー! 心配させるなよ!」
「黒葉くん、本当に保健室行かなくて大丈夫? さっきまですごく辛そうだったけど……」
「へーきへーき! 心配かけてごめん! 改めておはようみんな!」
意識を失う直前、曖昧だった意識の中、俺はそんな会話を聞いた気がした。
※ ※ ※
〈――それで、ゆうきがゴールを決めて、オレたちの負け! くやしかったなあ〉
〈夏咲、その話、もうやめてほしい。学校の話はもう、書かないでほしい〉
〈え? なんで? いつも聞きたがってるじゃん!〉
〈夏咲にはわからないよ〉
手紙のやり取りは、それから一週間くらい、途絶えた。
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