オレはこのクラスの頂点だ。
目の前の光景に満足しながら、オレはいつも頭に思い浮かべているフレーズを思い返していた。そう、今のオレの目の前には、人生の落伍者と言っても過言ではない存在――いじめられっ子がいる。
「オラっ! ツクシちゃんよぉ! シャワー浴びせてやるよ!」
「や、やめてよ……」
校舎裏の誰にも見つからないスペースで、オレはクラスメイトたちに動きを封じさせている『ツクシ』に、ホースで水をかけていた。蛇口を全開まで開けているので、水流はかなりのものだ。
シャワーを浴びせているオレに対して、『ツクシ』は弱々しく声を上げるが、それが逆に俺の嗜虐心を焚きつける。こいつの本名は『筑波大樹』なのだが、オレが『ツクシ』と名付けたのだから、こいつは『ツクシ』なのだ。オレの決定は、このクラスにおいて絶対なのだ。
「ははっ、『やめて』だと? オレが折角お前の身体を綺麗にしてやってんだから、感謝するべきだろ? 違うか?」
「そ、その……ぷあっ!」
「はい、やり直し~。水をかけてやったら、『ありがとう』だろ? この前教えたのに、本当に覚えの悪いヤツだよなこいつ。なあみんな?」
「は、はは……」
オレが『ツクシ』を押さえさせているクラスメイトたちに声をかけると、引きつった笑顔を浮かべた。コイツらはオレに逆らうことはできない。なぜならオレに逆らえば、その瞬間からコイツらのスクールカーストは地に落ちるからだ。
だがその一方で、オレのカーストが落ちることはない。なぜか?
それはカーストを決めているのは他ならぬオレだからだ。だからオレが落ちることはない。オレはクラス内における上下関係を決めることができる。オレが気に入らない相手は最底辺の存在となり、オレに気に入られれば、高い地位にいることができる。
だがこのクラスの頂点に存在するのはオレ。それは変わらない。どんなに他のヤツが努力しても、オレを超えることはできない。そんなことをしようとすれば、たちまちオレから最底辺の存在と見なされ、懲罰を受けることとなる。身の程を知らせるための、当然の罰だ。
『ツクシ』もそうだった。三年生に上がった直後、生意気にもオレに意見したから、自分の立場をわからせるためにこいつを徹底的にいじめたのだ。
「う、ううっ……」
「お、泣いちゃう? 泣いちゃうの? みっともねえなあ。動画録っとくか!」
オレは『ツクシ』の無様な泣き顔をスマホで録り、クラスメイトのひとりに告げる。
「おい、この動画お前のスマホに送るからよ、クラス全員に送っとけよ」
「え?」
「『ツクシ』の無様な姿をみんなに知らせる必要があるだろ? え? それともなに? オレの言うことが聞けないの?」
「わ、わかった……」
クラスメイトはオレのスマホから動画を受け取る。これでコイツが動画を広めた後にオレのスマホから動画を消せば、証拠は無し。そう、オレの地位を脅かすことがあってはならないのだ。
オレは無様に這いつくばる『ツクシ』を見ながら確信していた。オレはこれから先の未来も、こうやって人の上に立ち続けるのだろう。無様な最底辺の存在を見下し続けるのだろう。今までがそうだったのだから、これからもそうなのだ。
そう、このオレ――新方鯨の人生は、人を見下し続ける人生である。そう確信していた。
「う、うーん……」
まだモヤが残る頭を振り、オレは眠気を覚まそうとする。あれ、今何時だっけ……?
「……やべっ!!」
スマホの時計で確認すると、もうバイトに行かないとならない時間だった。このままでは遅刻だ。急いで顔を洗い、服を着替え、階段を降りて玄関に向かった。
「ちょっと、朝ご飯は?」
「ああ!? んなもん食ってるヒマねえよ!」
玄関で靴を履き替えていると、母親が声をかけてくるが、そんなもんに気をかけてはいられない。つーかオレが今日バイトなの知ってるんだから起こせよ。
飛び出すように家を出たオレは、自転車に乗ってバイト先に向かった。
結局、オレがバイト先であるカラオケ店に到着したのは、始業時間の五分後だった。
「新方くん、また遅刻かい? まったく、君ももう20歳になったんだからさ、しっかりしてくれないと頼むよ」
「……」
バイト先のクソ店長の小言を聞き流し、オレはさっさと更衣室で制服に着替えた。クソが、たかがカラオケ店の店長のクセに、偉そうにしやがって。
制服に着替えたら、オレは一階にある厨房に向かった。厨房と言っても、カラオケ店で出す食事などほどんどはレトルトみたいなものなので、まともな調理はしていない。
「おーう、おはよう」
「あ、新方さん、おはようございます」
厨房にいたのは、バイトの後輩であり、オレがいた高校の後輩でもある、高校生バイトの後藤田準だった。同じ高校のよしみで、こいつのことは何かと世話してやってる。
「おう後藤田。お前もう、試験は終わったのか?」
「あー、はい。ただその、ちょっとヤバい教科はありますね……」
「そうなのか? まあ、赤点取りそうだったらオレに言えよ。オレ、まだあの高校の教師と顔なじみだからよ、ちょっと頼めば赤点なんて帳消しにできるんだぜ」
「はあ……」
後藤田は曖昧な笑顔を浮かべて返事をする。まあ、こいつもオレの手を焼かすことはしたくないのだろう。
「そういや後藤田よ、お前、髪染めたりしないの?」
「え?」
「お前もオレみたいによ、金髪に染めた方がイカすぜ? お前だって顔はいいんだからよ、黒いままじゃもったいないし、陰キャだと思われちまうぞ」
「はは、まあ高校卒業したら考えますよ」
そういや、後藤田はもう高校三年生だったかな。
「新方さん、手が空いてたら、5号室にドリンク持ってってもらえます?」
そう言って、オレにかわいい声をかけてきたのは、バイト仲間の神野仁美ちゃんだった。専門学校生で、ギャルみたいな見た目をしているが、ぱっちりした目と薄めの化粧がかなり似合っていてかわいい。
「ん、仁美ちゃん、オレが持ってくよ」
「早くしてもらえます? 今日は日曜ですから、混んでるんですよ」
「わかったわかった。そんな怒んないでよ。オレ頑張るからさ」
「……」
仁美ちゃんはわざわざオレに仕事を頼んできた。やはり仁美ちゃんみたいなスクールカースト上位にいそうな女の子は、同類の男に惹かれるのだろう。オレにはわかるのだ。
オレは仁美ちゃんから渡されたドリンクの乗ったお盆を持ち、5号室に向かった。
六時間後。
今日の分のシフトが終わり、解放された気分になったが、店長がオレたちを引き留めた。
「あ、昼シフトの人たち、ちょっと話があるから3分ほどいいかな?」
なんだよ、やっと終わったんだからさっさと帰らせろよ。心の中ではそう思いながら、オレは後藤田たちと事務所に向かった。
事務所に入ると、店長の横には典型的な陰キャと呼ぶべき、長い前髪に黒縁メガネでガリガリのオッサンがいた。
「えーと、この間も話した通り、私は今月でこの店の店長を退き、本社へ異動となります。それで、来月からはこちらの船木さんが店長となります。では、自己紹介をお願いします」
そういや、そんなこと言ってたかな。んで、このガリガリのオッサンが店長になるのか。
「……船木始と申します。この店が店長としての最初の職場となりますので、至らぬところもあるとは存じますが、一日でも早くこの店の柱となるよう努力しますので、どうぞよろしくお願いします」
船木と名乗ったオッサンは、その見た目通りボソボソとした小声で自己紹介をした。うわ、こんなんが店長かよ。こりゃこれからサボるのも楽そうだな。
「後藤田です。よろしくお願いします」
「神野です。まだアルバイトに入って日が浅いですが、よろしくお願いします」
「新方ッスー、ま、よろしくー」
自己紹介は適当に終わらし、オレたちは更衣室に戻った。男子更衣室で一緒になった後藤田と、新しい店長について話し合う。
「なあ後藤田、あの船木ってオッサン、どうよ?」
「まあ、寡黙な人なのかなとは思いましたね」
「はあ? そんな立派なもんじゃねえだろあれ。ああいうのは陰キャって言うんだよ。陰キャ」
「そ、そうですかね?」
「そうだよ、オレくらいになると、見ればそいつの過去がわかるんだよ。あいつ、絶対いじめられてたぜ。そうに決まってるよ」
「まあまあ、新しい店長ですから、とりあえず様子見ましょ」
ふん、様子なんて見るまでもねえ。船木が店長なら、実質この店はオレがトップみたいなもんだ。あんな陰キャの下についてられるかよ。
そんなことを考えながら、上機嫌で俺は家路についた。
翌日。
「うーす、おはよ……」
「新方くん、十分の遅刻だよ」
いつも通りバイト先にやってきたオレを待ち受けていたのは、新店長である船木の叱責だった。なんだこいつ、生意気にオレに注意する気かよ。
「すみませーん。ちょっとお腹痛かったもので……」
「そういう理由があるなら、どうして先に連絡を入れないんだい? 事前に君の体調が悪いことを知っていれば、私も君を待たずに済んだ。君が遅れることで、前のシフトのみんなが余計に仕事する気になるんだよ」
そんなこと知ったことかよ。夜シフトのヤツらなんか、根暗なザコしかいねえんだから、むしろ仕事しろよ。
「すみませーん、今度からそうしまーす」
適当に挨拶をして、オレは更衣室に向かおうとした。
「それと、今日は新しいバイトの子が入ったから、君も教育係をやってくれよ」
「はーい……え?」
新しいバイトとして、船木の後ろから現れたのは……
「あ、新方くん?」
オレを高校時代にたくさん楽しませてくれた、『ツクシ』だった。
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