後藤田がバイトを辞めた。
しかしあいつがバイトを辞めることを知っていたのは船木だけでなく、仁美ちゃんや『ツクシ』までもが前々から知っていたようで、知らないのはオレだけだった。
それがどうにも納得がいかない。そもそもオレが一番あいつの世話をしてやったのにも関わらず、あいつはオレにそのことを話さなかった。それどころではない、あいつはオレを散々罵倒し、オレみたいになりたくないとまで言った。なんて恩知らずなヤツなんだ。
まあいい、他人の恩を仇で返すようなヤツが、この先上手くやっていけるはずがない。後藤田はどうせシューカツに失敗し、ニートになるに決まっている。
だがオレはあんなヤツとは違う。今はバイトの身分だが、いずれ本社の人間がオレの才能を見抜き、オレを引き抜くだろう。そうなれば船木や『ツクシ』なんてすぐにクビにして、ここを陽キャの楽園にするんだ。
そう、後藤田はオレを『将来のことをまるで考えてない』と言っていたが、そんなことはない。オレには将来のビジョンがちゃんとあるのだ。
そんなことを考えていると、時間は瞬く間に過ぎ、休憩時間になっていた。休憩は交代で取り、今はオレと数人の店員が休憩を取っている。そういや、こいつらの名前なんだっけ? 後藤田や仁美ちゃん以外のバイトのこと、よく知らねえんだよな。見た感じ陰キャだし。
ま、後藤田がいないわけだし、こいつらにも話しかけてみるか。そう思い、オレは近くにいた陰キャに話しかけた。
「なあ、お前って休日何してんの?」
「え?」
オレに話しかけられた陰キャはあからさまにキョドっていた。まあ、そんなだから陰キャなんだろうが。
「あ……あー、大体家でゲームやってるか、あと古着とか買いに行くかなあ」
「はあ? 家でゲームやってるとか引きこもりかよ? ま、確かにそんな見た目してるもんな」
「え?」
「いやさ、オレってそういうのわかるんだよね。高校の時もそうだったけど、陰キャってお前みたいにゲームやアニメしか興味ないんだよ。それでオレらみたいな陽キャと話合わないんだよね。やっぱオレみたいにカラオケとかダーツとか、イケてる趣味持たないと」
「そ、そうかな……」
「そうそう。お前ってさ、高校時代いじめられてただろ? やっぱりわかるんだよねー。オレくらいになると、目ぇ見りゃわかるよ。『こいつは陰キャだなあ』って一目で。ま、安心しろよ。オレはお前みたいなヤツでも仲良くしてやるから……」
「そういえば、新方くんってこの先どうするの?」
「は?」
『どうするの?』とはどういう意味だろうか。
「いやその……新方くんって学校に通ってるわけでもないんだよね? この先ずっとこのバイトしてるわけじゃないでしょ? なにかやりたいことあるの?」
「ああ? 別にやりたいことなんてねえよ。ま、このままここで働いていれば、オレの才能が本社に見込まれて、オレがここの店長になるだろうな」
「え? あのさ、そういう前例ってあるの?」
「は?」
「いや、だからバイトの店員が社員として引き抜かれたっていう前例だよ。あんまり聞いたことないんだけど……」
「はあ? そんなのいらねえだろ。オレはお前みたいな陰キャとは違うの。オレは上手くやれる人間なんだから、本社が放っておくわけねえだろ」
「……」
陰キャはオレの言葉に目を丸くしている。なんだこいつ。
「ああ、そういやお前って名前なんだっけ……」
「あ、もう休み時間終わるから、ボクはもう行くね。それじゃ」
陰キャはそそくさとオレの目の前から離れていった。ちっ、やっぱりあんな陰キャとは話が合わねえ。仁美ちゃんみたいな陽キャじゃねえとダメだな。
その日のバイトが終わり、オレは仁美ちゃんをメシに誘おうと事務所に入った。だがそこには仁美ちゃんだけでなく、『ツクシ』もいた。なんだこいつ、邪魔だな。
しかし二人の会話を聞いていると、驚くべき内容だった。
「筑波さん、明日は何時に集合にします?」
「そうだね……映画が午後二時に上映だから、余裕持って一時半に集合しようか」
「はい! 楽しみです」
え? なんだこれ? 仁美ちゃんが『ツクシ』と一緒に映画館に行くのか? まさか二人きりで? いや、そんなわけねえ。だってあの『ツクシ』だぞ?
俺は思わず、怒鳴り込んだ。
「おいツクシ! てめえなにやってんだよ!」
「え、新方くん? どうしたの?」
「どうしたのじゃねえよ! お前、仁美ちゃんを無理矢理デートに誘おうとしてんだろ!? 迷惑なんだよそういうの!」
「は……?」
『ツクシ』は驚いたような表情をしているが、オレは容赦しない。
「大体、映画館デートなんていかにも陰キャみたいなイベントに仁美ちゃんが付き合うわけねえだろ。そんなこともわかんねえのか? 仁美ちゃんはな、オレみたいなカースト上位の人間なんだよ。お前には……」
「いい加減にしてくれます?」
しかしその時、オレの言葉を遮る冷たい声が響いた。その声の主は、その大きな目を細めながらオレを侮蔑するように見ている。
そう、他ならぬ仁美ちゃんが、なぜかオレを制止した。
「なんだよ仁美ちゃん。仁美ちゃんだってツクシなんかとデートするとか嫌だろ? だからオレが……」
「私が筑波さんを誘ったんですよ。一緒に映画館に行きましょうって。見ててわからなかったんですか?」
「はあ!? 仁美ちゃんみたいなギャルが、こんな陰キャと遊ぶっての!? もしかして君、男の趣味悪いの!?」
「……あーもう!!」
オレの言葉に対して、仁美ちゃんは呆れたように怒鳴った。一体どうしたというのだろうか。
「まだわかんないの!? 陰キャとか陽キャとかスクールカーストとかさあ! 20歳にもなった大人が言ってて恥ずかしくないの!? そうやって他人にレッテル貼って、周りを見下してるから、誰もアンタの相手しないんでしょ! 気づかないの!?」
「ちょ、ちょっと、神野さん、落ち着いて……」
『ツクシ』のなだめる声で、ようやく仁美ちゃんは口を閉じたが、尚も息を荒くして怒りを抑えている様子だった。
「新方くん、悪いけどこの場は外してくれないかな?」
「はあ? なんでだよ! お前にそんな権利ねえだろ!」
「……じゃあはっきり言うよ。今の君がここにいるのは、神野さんにとってよくない。だから出てってよ」
「てめえ、誰にそんな口きいてんだよ! ツクシの分際でよお!」
オレは我慢ならずに、拳を振り上げて『ツクシ』の顔面を殴った。
「ぐっ!」
「てめえいつからそんな偉くなったわけ? なあ仁美ちゃん、こいつは高校時代ずっといじめられてたんだぜ? そんなヤツがオレに偉そうな口きくなんて、許せねえよなあ? 仁美ちゃんだって自分より下の人間が生意気だったら許せねえだろ?」
オレは仁美ちゃんを見るが、次の瞬間――
「いてっ!?」
仁美ちゃんの平手が、オレの頬に叩きつけられていた。
「いい加減にしてよ……私をアンタみたいないい加減な人間と一緒にしないでよ!」
「は、はあ?」
「私は真剣に生きてるの! この仕事だってバイトだけど手を抜いたことなんて一度もないし、アンタみたいに陰キャとか陽キャとかそういう価値観で他人を見てないの! アンタ、いつまで高校生の気分でいるつもりなの!?」
仁美ちゃんは興奮のあまり、両目から涙を流し始めていた。
「前からずっと、アンタと同類だと思われているのが嫌だった! この髪だって、いつも着ている服だって、ただ単に自分が好きで、オシャレとして選んでいるだけで、アンタみたいな幼稚な人間だと思われているのが嫌だった! そんな時に筑波さんが私に声をかけてくれたの! 『君がちゃんと考えて行動している人間だと僕は思う』って! でもアンタは私の表面だけ見て、アクセサリーみたいな扱いしかしなくて! それがずっと気持ち悪かった!」
気持ち悪い? オレが?
……ふざけるな。オレが気持ち悪い? オレにそんな言葉は似合わない。その言葉を浴びせられるのは『ツクシ』のはずだ。
だけど現実は、今目の前の現実は、仁美ちゃんが汚物を見るような目でオレを見ている。
「新方くん、お互い熱くなっているから、今日はもうみんな帰ろう。お互い殴られたことは忘れよう」
「ふざけんなよ! てめえ何様のつもりだよ! 勝手に決めんな!」
オレは『ツクシ』を腕を掴もうとしたが、ヤツはそれを振り払って言った。
「……みっともないよ」
「……!!」
なぜだ、なんでこいつが……
オレを哀れむような目で見ているんだ。
オレは他人を見下す人間なんだ。そういう資格をもった人間なんだ。そう思って生きてきた。しかし……
今のオレの周りには、オレを見下す人間しかいなかった。
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