『ツクシ』がバイトに入ってきて一ヶ月が経ち、オレは僅かながらも不愉快さを抱いていた。なぜなら『ツクシ』のヤツが調子に乗り始めたからだ。
「筑波さん、おはようございます!」
「うん、おはよう神野さん」
仁美ちゃんに挨拶されて、浮かれた顔で挨拶を返す『ツクシ』。それだけではない。なぜか他のバイトも、陰キャであるはずの『ツクシ』に対して好意的だった。
「おはよう、新方くん」
「……」
そんな『ツクシ』が気に入らないため、オレは自分の方が格上であることを示すため、あえて挨拶を返さず、仕事を命じた。
「ツクシ、ぼやぼやしてねえで、溜まってる洗い物済ませとけ。そろそろ混んでくるんだからよ」
「うん、わかった」
オレの命令に、何も抵抗することなく応じる。なんだよ、もっと嫌な顔しながら、しぶしぶ仕事しやがれ。『ツクシ』の分際で。
「筑波さん、洗い物は私たちが残してた仕事なんですから、私がやりますよ」
「いや、大丈夫だよ。神野さんはフロント業務やってもらっていい?」
「でも……」
「任されたのは僕だからさ。それに神野さんがフロント業務やってた方がお客さんの入りもいいみたいだし、ここは任せておいて」
「……わかりました」
なぜか仁美ちゃんは『ツクシ』を庇うような行動に出た。全く、仁美ちゃんが優しいのはわかっていたが、あんなヤツにまで優しくする必要ねえのに。
「仁美ちゃん、ツクシもああ言ってることだし、オレたちはフロント業務やってようぜ」
「……新方さん、洗い物やってなかったのって、そもそもあなたでしたよね? 何も思わないんですか?」
「はあ? あんなのオレがやるような仕事じゃないっしょ。オレはオレでやることあんだからよ」
「やること? 例えばなんですか?」
「だからフロント業務だって。オレたちみたいな陽キャはツクシみたいな陰キャに雑用任せて、表に立たないと。客入りもその方がいいだろ?」
「……」
仁美ちゃんはまだ納得していないようだったが、まあいいさ。仁美ちゃんみたいなギャルだったら、いずれオレに共感する。だってオレたちは人の上に立つ人間なのだから。
三十分後、オレは『ツクシ』の様子を見に、厨房に向かった。
「おいツクシ! お前まだ皿洗いやってんのか!? おせーよ!」
なんと『ツクシ』は、三十分も経つのにも関わらず、まだ皿洗いをしていた。オレだったら十五分で終わる作業だから、倍以上かかっている。やはりこいつはダメだ。
「ああ、新方くん。君に言われた食器ならそこに置いてあるから、順次注文来たら出してくれよ」
「なに? じゃあなんでまだ皿洗いやってんだよ!?」
「いや……なんか洗い終わったっていう食器があったんだけど、見たら全然汚れが落ちてなかったからさ……改めて洗ってたんだよ」
「洗い終わった皿?」
そう言えば、さっき俺が洗って流しの横に置いておいた皿や食器がなくなっている。じゃあ今『ツクシ』が洗っているのは、それか?
「んなもん、オレが洗ったんだからいいんだよ! なにムダな作業してんだよ! 使えねえな!」
「ええ……? 全然汚れとか落ちてなかったよ? あんなのまたお客さんに出したら、クレーム来ちゃうでしょ」
「てめえ、オレの仕事にケチつけるのか? 陰キャらしい陰湿さだなおい?」
「いや、そういう問題じゃないでしょ。お客さんに提供する料理乗せるんだから、ちゃんと洗わなきゃ」
この期に及んで無駄な言い訳を繰り返す『ツクシ』にイライラしてくる。出しゃばってんじゃねえよ。
「もういい、お前はドリンクとか作ってろ! ここはオレがやるから!」
「……わかった。じゃあ頼んだよ」
『ツクシ』はオレの言葉に素直に従い、客からの注文に応対してドリンクを作り始める。全く、使えねえヤツがいると困る。
「新方さん、とりあえずこの食器はどうします?」
後藤田が『ツクシ』が洗っていた皿を見ながら聞いてくる。
「あ? そんなのテキトーにゆすいで、棚に戻しとけ。どうせ洗い終わったヤツなんだからよ」
「え? 大丈夫ですか?」
「ああ? オレが大丈夫って言ったら、大丈夫だろ。大体、ツクシのやることに意味なんてねえだろ? お前はオレとツクシ、陽キャといじめられてた陰キャ、どちらを信用すんの?」
「……」
オレとしては、答えが分かりきった質問をしたつもりだったが、なぜか後藤田は黙って皿を拭いて戻していった。
その日のバイトの終了後、オレたちは事務所でタイムカードを押していたが、突如船木が店員たちを集めた。
「じゃ、ちょっと筑波くん、こっちに来てくれる?」
船木はなぜか『ツクシ』を自分の横に呼び出し、満面の笑みを浮かべる。
「えーと、皆さんに集まってもらったのは、他でもありません。先月入った筑波くんの仕事ぶりが非常に優秀だということをお伝えしたいからです。ありがとう、筑波くん」
「い、いえいえ。そんな大したことはしてないですよ」
「いいや、君の接客態度や仕事の丁寧さは私から見ても群を抜いているし、お客様からも君の評判はいいんだ。だから皆さんも、筑波くんを見習って、更なる勤務態度の向上を目指してください。もし勤務態度の向上が見られて、売り上げに貢献すれば、特別手当の支給も検討します。頑張ってください」
船木は皆の前で『ツクシ』を褒めちぎり、仕事に戻っていった。オレはそれを見て、笑いを堪えるのに必死だった。なにせ、陰キャの船木が陰キャの『ツクシ』を褒めていたからだ。陰キャ同士慰め合って、情けねえ。
「なあ後藤田、ちょっとメシに付き合えよ」
オレはこの笑えるネタを、早く後藤田と笑い合いたかった。
いつものファミレスに入ったオレは、後藤田とさっきの船木の話について早速話した。
「いやさ、笑えたよなさっき。船木のヤツ、自分と同じ陰キャだからツクシを優遇してんだぜ。なさけねー」
「そうですね」
「しかもさ、ツクシが仕事できるわけねえじゃん。つーかどっちかというと、褒められるのはオレでしょ。ま、あんなヤツに褒められたって嬉しくねえけど」
「はあ……」
「ツクシの仕事なんて、オレだったら片手間で出来るね。あーあ、こんなんだったら、オレがもっと本気出してりゃよかったかなー」
「……」
夢中になって話していたが、だんだんと後藤田の口数が減ってきているのに気がついた。なんだこいつ、今日はノリ悪いな。
「おいおい、今日はどうしたんだ? めずらしく無口じゃねえか」
「……そんなことないですよ」
「そんなにノリ悪いと、陰キャだと思われちまうぞ? お前だっていじめられてるようなヤツにはなりたく……」
「新方さん、実は言っておくことあるんですけど」
オレの言葉を遮り、後藤田は珍しく真剣な表情で切り出してくる。なんだか調子狂うな。
「おいおい、なんだよ? バイトの時給上げて欲しいから、オレに船木を脅せとでも言うのか? 別にやってもいいけど、オレもいそがし……」
「俺、今月でこのバイト辞めるんで」
「……え?」
「もう船木店長には言ってありますし、了解は得ています。ロッカーとかはもう片付け始めてるんで」
後藤田が、このバイトを辞める? なんで?
「なんで辞めるとか言ってんの? まさか、船木とツクシがのさばってるのが気に入らねえからか? そんなん今だけだぜ? オレがあいつらをちょっと叩きのめせば……」
「いや、それは関係ないです。もう金は貯まったし、高校最後の夏休みは遊び尽くしたいし、そろそろ就職活動の準備しなきゃいけないんで」
「はあ? シューカツなんて今から考えてんの? んなもん、年内に始めりゃいいっしょ」
「そんなわけにはいかないんですよ。だって俺……」
すると後藤田は、見たことのないような目で、オレを見た。
「あんたみたいな20歳には、絶対なりたくないんで」
オレを心底、軽蔑しているような目で。
「て、てめえ! そりゃどういう意味だコラ!」
オレは当然キレた。だってそうだろう、オレが散々面倒を見てやった後輩が、こんな失礼な態度を取ったのだから。
だが後藤田は、オレの怒りにも平然としていた。まるで予想していたかのように。
「どういう意味? あんたみたいな、高校時代の話でしかできずに将来のことなんてまるで考えてない大人には絶対になりたくないって意味ですよ」
「てめえオレに散々面倒見てもらいながら、その態度はなんだよ!」
「面倒? あんたに面倒見てもらった覚えはないですよ。仕事だって他の先輩に教わったし、正直あんたの仕事、すげえいい加減じゃないですか。みんな言ってますよ」
「みんな言ってる、だと?」
「そうですよ、気づかなかったんですか? 今日の食器洗いだって、あんたが洗った食器が全然汚れ落ちてなかったから、仕方なく筑波さんが洗い直したんですよ」
後藤田は『ツクシ』と同じことを言っている。この野郎、オレに文句つけようってのか。
「お前、いつの間にツクシに丸め込まれたんだよ!? あんな陰キャの言うことが信用できるわけねえだろ!?」
「そうやって、他人を高校時代のスクールカーストにしか当てはめられない考え方が幼稚だって言ってるんですよ。あんた、船木店長や筑波さんを『情けねえ』とか言ってましたけど、あんたの方がずっと情けないですよ」
あまりの後藤田の豹変に、オレはあっけに取られてしまった。まさか、こいつはずっとオレに対してこう思っていたというのか。
「ま、あえてバイト先の空気を乱すこともないかなって思ってたからあんたにも表面上合わせてましたけど、もうバイト辞めるんで、関係ないですよね」
そう言って、後藤田は鞄を持って立ち上がる。
「じゃあ俺はもう帰るんで。あ、ここの会計はあんたに任せていいっすよね、『先輩』?」
オレは後藤田を引き留めようとしたが、ここで引き留めて金を払わすのは、さすがにプライドが許さなかった。
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