二週間後、僕はゲンさん、細谷、その他ホールバイトの面々と大井競馬場へ来ていた。
大井競馬場は夜に馬が走るナイター競馬、トゥインクルレースというのがあり、テレビのCMでWinkが歌っていたりしていて無知な僕でも知っているくらいメジャーになっていて、デートスポットとしても注目されているようだった。
いつか行ってみたいと思っていたが、実際に来てみると昼とは違いライトアップされたパドックやコースを馬が歩く光景がとても幻想的雰囲気を醸し出していて、なるほど注目されるのも納得といった感じであった。
「夜の競馬場もまたいいもんだろ?」
「はい!」
「ここはすげえ競馬場でさ、騎手の防止の色分けとかゴールの写真判定とかもここが初めてやり始めたんだよ。スターティングゲートももここが初めてなんだよな」
「おおー、すげー」
「だろ? ほかにもサンタアニタ競馬場がさ」
主催者のゲンさんをホールのバイトたちが取り囲み、ゲンさんがバスガイドのようにあれこれ説明をしている。ゲンさんはニコニコ顔でとても楽しそうだ。
僕と細谷はそのグループの光景を眺めながら少し後ろを雑談しながら歩いていた。
「ちうかカワっちよぉ、なんでゲンさんいるとこで競馬の話すんだよ。目の前で話すから真っ先に捕まっちまったじゃんよ」
「あー、ごめんごめん。まさかゲンさんがいるとは思わなくてさ」
「まあ、今回はホール連中が相手してるからいいけどよ」
「この前はあれこれ大変だったけどこんな感じならいいかもね」
細谷はぶーたれてはいるが元々競馬好きなせいか表情はまんざらでもなさそうだ。
「細谷さん川村さん! 遅いですよ! はやくはやく!」
ホールに最近入った栗原さんという子がピョンピョン跳ねながら手招きをしている。
ホールはいつの間にか僕が働き始めた頃から何人も増えていた。手招きをしている小柄でやけに明るい感じの栗原さんに、どこからどう見ても日本人なのに着ていた服にBOBと書いてあっただけで細谷に命名されその名前で周りに認知されてしまったボブ。同じくラグビーをやっているというだけで細谷に命名され拡散されてしまったラガーマンのラガー。ほかにも名前はわからないが何人か増えている。共通して言えるのは男も女も皆ルックスが並み以上という事だ。おそらくは採用担当の青ヒゲが選り好んでいるのだろう。僕の面接の時はホールのホの字も出なかったのが少し気になるところだが、大貫さんを採用してくれたのでよくやったと頭の中で褒めてやった。
「細谷さん川村さんは競馬は得意なんですか?」
「ああ、そこそこね。トータルではプラスだぜ」
「ほんとですか! すごい!」
「誰にも教えられねえんだけど、必勝の計算式があるんだよ」
「ええ! なんですかそれ! 教えてください!」
「いやいや、だから教えられねえって……」
栗原さんと細谷が盛り上がり始めたので僕はその場をそっと離れ、ホール連中と歩いている大貫さんの近くに忍び寄った。
「大貫さん」
「あ、川村くん」
「夜の競馬場もなかなかいいもんだね」
「そうだね、競馬場って初めてだけど、こんなキレイな感じだとは思わなかった」
「ほんと、すごくキレイでいい感じだよね。昼間の競馬場はもっと新聞持ったおっさんばっかたくさんいて騒々しい感じなんだけどねえ」
「あ、そうそう、そんな感じをイメージしてた!」
なんというか、店や電車以外の場所で大貫さんと会えて話をできる事がとても嬉しい。大貫さんや他の皆がどれほど楽しんでいるかはわからないが、ゲンさんに頼んで人を集めてもらって良かった。
みんなでゲンさんの講義を聞いたり、馬券の買い方を知らない人に教えたり、当たった外れたで盛り上がったり。
最近では毎日のように誰かしらと遊んでいて、それはそれで楽しいのだけれど、それでは得られない何かが満たされる感覚があった。
前泊して朝一で乗り込んだ前回の過酷なツアーとは違い、今回は夕方に来たので数時間で最終レースまで終わった。
レースは初めてや経験の少ない人に合わせて少しだけしか賭けていなかったので当たり外れは気にならなかった。必勝の計算式があると豪語していた細谷は散々な結果だったらしくすこぶる機嫌が悪い。ただでさえチンピラみたいな恰好をいつもしているのに動きもオラオラといった感じでチンピラそのものだった。ゲンさんはプラスになったのかとてもご機嫌で、ニコニコしながら皆と会話をしている。
帰りも行きと同様に京急で横浜まで戻ったが、京急組はそのまま乗って帰る為電車で別れる事になった。
「ゲンさん今日はありがとうございました! 楽しかったです!」
「おう! 楽しかったな! って川村くん降りないの?」
「ゲンさん、こいつ裏切者なんすよ。スカ線組は寂しく帰りましょ」
「えー、マジかよー、つれねえなあー」
「すんません! 申し訳ないっす!」
ゲンさん、細谷のスカ線組に笑顔で謝罪し別れ、その後各駅で栗原さんやラガーといった他の京急組とも別れつつ乗り換え駅で僕と大貫さんは降りた。買っておいた物を渡すには良いタイミングか。
「大貫さん、これ、ちょっと過ぎちゃったけど……」
そう言って僕はバッグから小さい紙製の袋を取出し差し出す。
「え? なに? どうしたの?」
「この前誕生日だったでしょ?」
「……覚えててくれたんだ……ありがとう!」
「中見てもいい?」
「うん」
袋の口をとめてあるシールを剥がし、中にあった小さな箱を取出して開いた。
「わぁ! キレイ!」
「こんな高そうなのもらっちゃっていいの?」
「大したものじゃないけど、もらってくれたら嬉しいな」
「ありがとう! じゃあ、さっそくつけてみるね」
箱に入っていたネックレスを取出した大貫さんは留め具を外し、左右それぞれの手で端を持って僕の前に差し出してきた。
「つけてみてくれるかな」
「へ? お、おれが?」
「うん」
「……わかった」
そう言うと僕は大貫さんと同じように両手を差し出し、大貫さんの手の指先にある留め具を指先でつまみ受け取った。
「……じゃあ、後ろ向いてくれるかな」
「わかった」
くるっと後ろを向く大貫さん。
僕は受け取ったネックレスを首に回す為、大貫さんに近づく。
艶やかなストレートの髪が眼前に広がり、後頭部を若干見下ろす形になる。彼女はこんなに小さかったのか……普段では分からない背の高さの違いを感じ驚く。
僕はあまりの至近距離に緊張しネックレスを持つ手を微かに震わせながら、ネックレスの両端を持って輪っかのようになった手を大貫さんに上から被せるようにして胸前へまわした。
少し輪っかを小さくすれば抱きしめてしまえる態勢になり、大貫さんに音が聞こえてしまうのではないかと思うほどに心臓がバクバクと音をたてる。
(このまま……抱きしめてしまえたらいいのに……)
そのまま抱きしめてしまいたくなる衝動を必死に抑えながらネックレスの端と端を首の後ろに持っていくと、髪が邪魔でネックレスを留められない事に気づく。ネックレスというのはこういう時髪の上から留めてしまうものなのだろうか……
どうしたものかと悩み始めたところで、大貫さんが髪をたくしあげ、留めやすくしてくれた。
フワッといい匂いが広がり、いつも髪に隠れていて見た事が無かったうなじが現れた。
(なんてキレイなうなじなんだろう……)
僕は美しいうなじに目を奪われていた。
「つけられそう?」
「あ、うん! 大丈夫!(髪を上げてくれて)ありがとう」
大貫さんの言葉にハッと我に返り、慌てて留め具を留めた。
「どう? 似合う?」
こちらに向き直った大貫さんがそう言いながら僕を見上げてきた。ふと目が合って驚いたせいか固まってしまって、見つめ合う形になってしまった。
「うん……とても……」
「……ありがとう……」
同じ感覚だったのだろうか。恥ずかしさが襲ってきてたまらず目を逸らして俯くと、大貫さんも俯いているようだった。
「あ! 電車乗らなきゃ!」
大貫さんに言われふと横を見ると電車が停まっていて発車のメロディが流れていたので二人は慌てて飛び乗った。
「危なかったね!」
「うん、ギリギリ!」
二人が乗ると電車のドアが閉まり動き出した。
「あれ?」
「あ!」
「これ逆だ!」
電車が横浜方面に向かって進み出す。乗る電車を間違えてしまったようだ。
「ぷっ……あはははは!」
二人で声を揃えて笑い出す。
「ちょっと川村くん! これ逆じゃない! なんで教えてくれなかったのよー」
「え? いや、大貫さんが何の迷いもなく乗るから……まさか行き先見てなかったとは……」
「ぷっ……あはははは!」
何が可笑しいのかわからないがとにかく可笑しくて笑いが止まらなかった。
「あははは! あーおなか痛い!」
ひとしきり笑ったところで大貫さんがひと呼吸つき、そして言った。
「川村くん、私ね、バイト辞めようと思ってるんだ」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!