スタジオでの音合わせが始まってから数時間後、僕らは部屋を出て待合場所に戻ってきた。メンバーは部屋に入る時のようにガヤガヤとだべっていたが、僕は演奏の大音量で耳がおかしくなっていて皆が何を喋っているのかさっぱり分からなかった。坂本さんがこっちを向いて何か話しかけてきたが何を言っているのだか分からない。
「え? なんですか?」
「へ?」
「全然聞こえないっす!」
たぶん僕は相当大きな声を出しているのだろう。自分の声の大きさもさっぱり分からないが、坂本さんがお前声がうるさいみたいなジェスチャーをしている。自分の耳が聞こえなくなるとこんなにも声の大きさがわからない状態になるのか。
「あー、やっと聞こえるようになってきました」
「川村くん声でけえよー」
「いやあ、すみません。自分の声の大きさもわからなくって」
「こういうのは初めて?」
ドラムを叩いていた大柄ぼさぼさ金髪マンが声をかけてきた。とは言っても、汗をかいたせいかぼさぼさではなくちょうど良い感じになり、眠たそうだった顔もシャキッとしていてまるで別人だったが。
「はい、すごい迫力でした。カッコよかったです!」
「そっかそっか」
ぼさぼさマンは満面の笑みを浮かべてとても満足そうだ。
「洋楽ばっかだけど、知ってる曲はありました?」
今度はベースを弾いていた黒髪ハンサムマンが訊ねてきた。
「ピストルズとかガンズですよね? 曲名は分からないのもありましたけど、全部聴いた事がある曲でした」
「それなら良かった。楽器とかはなんか出来たりします?」
「楽器ですか……出来るって程じゃ全然ないんですけど、キーボードは遊びでちょっと……」
昔好きだった同級生がピアノ弾きだったから喋れもしないくせして話題を作ろうとわざわざシンセサイザーを買って独学で練習しただなんて恥ずかしくて言えない。
「え? 川村くんキーボード出来るんだ! 何弾けるの?」
坂本さんが横から聞いてきた。
「うーん……遊びでやってただけだから弾けるとは言えないっすね……ロックだと、エックスのライブが好きで小フーガとかエンドレスレインとかアンフィニッシュドとかは真似したりしてましたけど……」
「おお、すごいじゃん。じゃあノーベンバーレインあたりならイケるんじゃねえ?」
「ああ、ガンズのですか、あれくらいならもしかしたらいけるかもしれないですね」
「じゃあ今度一緒にライブやるべ!」
「へ? いやいや、それはさすがに……」
「よぉーお前ら! メンバーが一人増えたぞ!」
「おおーっ!」
演奏してテンションが上がってるせいだろうか。皆の様子がおかしい。まるで世紀末世界でヒャッハー水だ水だーと狂喜乱舞する無法者たちのようだ……というか、バンドマンジョークなのだろうが、もし本当にメンバーになったとして頑張って一曲弾けたとしてもあとの曲はどうするつもりなのだろう。ずっと突っ立ってタンバリンでも叩いているのだろうか。
「よしっ! じゃあメンバー追加を祝して乾杯といくか!」
「おおーっ!」
「え? 乾杯って、電車大丈夫なんですか?」
「大丈夫もう終電終わってるから」
「え……」
辺りの時計を探し時間を見ると、深夜の一時を回っていた。この時間だと別れてもカラオケかビリヤード、もしくはファミレスあたりで朝まで時間を潰さないといけない……付き合うしかなさそうだ。
どこかで飲み物や食べ物を買ったり、どこに行くのか相談したりするのかと思いきや、もう行く場所が決まっているらしく、スタジオを出ると当たり前のように皆は歩いていった。
暫くガヤガヤと喋りながら歩く皆の後を付いて行ったが、誰もどこに向かうのか説明はしてくれなさそうなので、前を歩いていた坂本さんに聞いてみる事にした。
「坂本さん、乾杯ってどこでするんですか?」
「ん? 姉さんちだよ」
そう言って坂本さんは隣を歩くショートボブの女の人の方に目配せをした。
「え? おれなんかが行っちゃって良いんですか?」
と、僕が驚きながら坂本さんに問いかけると、
「うん! きてきて! もうすぐそこだから!」
と、その姉さんと呼ばれる女の人がこちらを向き返事をしてきた。
スタジオでチラッと見た時は言葉も発さず座っていて少し怖い感じの印象があったが、改めてちゃんと見ると全然そんな事は無く、鎖やら指輪やらブーツやらで身を固めた金髪バンドマンたちとは対照的に、上は柔らかな色合いのシャツ、下はオーソドックスなジーパンにスニーカーといった落ち着いた格好をしている、見るからに優しそうな顔つきをしているおねえさんだった。
「私ナオって言うの。よろしくね!」
「あ、川村って言います。よろしくお願いします」
「さっきの演奏どうだった?」
「なんというか、すごかったっす!」
「よかったでしょ?」
「鳥肌が立ちましたねー」
「うんうん、わかるわかる」
ナオさんは自分の事を褒められたかのような満足気な表情をしている。よほどこのバンドが好きなのだろう。というか、なぜこの連中の中にこんな人がいるのだろう。昔からの付き合いとか誰かの彼女とかだろうか。はたまた坂本さんが言う姉さんは本当に誰かのお姉さんという事なのか……
気になるが初対面でいきなり聞くのもどうかと悩んでいると、前を歩いていたメンバー達がマンションの中へ入っていった。どうやら到着したようだ。
階段を上がり渡り廊下を中程まで進むと玄関はあった。
「どうぞ。入って」
そういってナオさんが玄関のドアを開けると男共は相変わらずガヤガヤと喋りながら中へ入って行く。僕は一人暮らしの女性の家に入った事が無く、無駄に緊張し始めて入るのを躊躇していた。
「何も無い部屋だけど……どうぞ?」
「は、はい!」
にっこりと微笑んで中に入るよう促すナオさんと目が合った僕は、何を勘違いしているのか自分でも分からないが無性に恥ずかしくなり上ずった声を上げながら中に入って行った。
ナオさんの部屋は10畳くらいの広さだろうか、余計な物がないというか、椅子やソファーといったものも無く、小さな冷蔵庫と小さな折り畳みのテーブルだけがあるとてもシンプルな部屋だった。
ナオさんが冷蔵庫からお酒を取出しテーブルの上に置くと皆はそのお酒を取り、部屋の思い思いの場所へ勝手に座りだした。僕はとりあえずテーブルの近くに座っている坂本さんとナオさんの近くに座った。
「じゃあ、おつかれー」
「おつー」「うぃーす」
坂本さんの乾杯の音頭? と共に皆一斉に飲み始める。メンバー追加を祝す事はもう皆忘れてしまったようだ。やはりバンドマンジョークであったか。
部屋の照明を常夜灯に切替え、その後はライブの曲順や音合わせの調整具合といった真面目な話や〇〇が△△で□□といった下ネタなど色々な話が延々と繰り広げられた。
最初にドラムの大柄ぼさぼさ金髪マンが壁にもたれかかったまま動かなくなり、その後坂本さんも寝落ちしいびきをかき始めたあたりで僕も眠くて目が次第に開かなくなってきた。いったいこの宴はいつまで続くのだろう……
ハッと気がついた時には薄暗かった部屋には朝日の光が差し込み明るくなっていた。どうやら途中で寝落ちしたようだ。味噌汁のおいしそうな匂いが漂っている。
そういや昨日夜めし食べてなかったなあ……と思いつつ寝ぼけているとナオさんが声をかけてきた。
「川村くん起きた? おはよー」
「あ、おはようございます」
「もうちょっとでごはん出来るから待っててね」
眠りから覚めたら若いおなごが朝ごはんを作ってくれているとかなんなんだこれは。何かを拗らせた童貞あたりは勘違いしてしまいそうなシチュエーションだ。
拗らせて勘違いしかけている自分に現実を把握させる為に慌てて周りを見回すと、坂本さんとナオさん以外のメンバーはいなくなっていた。坂本さんはガーガーといびきをかいてまだ寝ている。
「あの、ナオさん。坂本さん以外の人たちは帰っちゃったんですか?」
「ん? ああ、そうそう。バイトがあるとか用事があるとかで帰ったよー」
「そうなんですねー」
「そういや、ジュンくんから聞いたけど、今日一緒に買い物に行くんだって?」
「へ? そうなんですか?」
「え? 聞いてない?」
「……初耳ですね」
「えー、なんだろ。私が勘違いしてるのかな……ま、起きたら聞けばいっか」
そう言いながらナオさんは朝ごはんをテーブルに並べ始めた。ごはんに味噌汁にキャベツの炒めものにハムエッグ。シンプルだが恐ろしく美味しそうだった。なんだか急にお腹が空いてきた。
「ほら、ジュンくん、朝だよ。起きて」
「ん……ああ……」
のそっと起き上がった坂本さんは物凄く機嫌の悪そうな顔をしていた。ただでさえガラが悪そうな面構えなのに殺人者のような顔つきになっている。
「じゃ、川村くんも食べて」
「ありがとうございます。頂きます」
僕はがっつきたい気持ちを抑えながら味噌汁を一口飲んだ。
ダシがきいててとても美味しい。旨みが空っぽの胃に染み渡る。
「これ美味しいっすねぇ……」
ため息混じりにそう呟き、同意を求めるかのように坂本さんの方を見ると、坂本さんは相変わらずムスッとした顔でごはんを口へ運んでいる。まだ寝ぼけているのだろうか。一方でナオさんは何故かご機嫌なご様子。これはいい。ごはんが更に美味しくなりそうだ。
全く同じものを食べているのに真逆の反応をしている二人と、それを時折眺めつつウマいウマいとボソボソ呟きながら食べる僕。傍から見ると異様な光景だったかもしれない。
「ごちそうさまでした! おいしかったです!」
「いえいえー、お粗末様でした」
「ごちそうさん」
「わりい、ちょっと風呂借りるわ」
「うん、どうぞ」
ごはんを食べ終わると、坂本さんはぽいぽいと服を脱ぎ捨て、パンツ一丁で風呂に行ってしまった。
突然の風呂宣言にあっけにとられていると、その様子から何かを察したらしいナオさんが話しかけてきた。
「私ね、ジュンくんと付き合ってるの」
「あ、ああ……そうなんですね」
ジュンくんという呼び方や坂本さんだけ帰らずに寝ていたり突然風呂に入ったりするのもそういう事ならうなずける。が、なんか無性に腹が立ってきた。こっちは意中の人にほぼ知らない人呼ばわりされてるってのにこの野郎はこんな優しそうな人ゲットしやがって……
そんな完全にお門違いな事を思いながらも、ナオさんののろけ話を笑顔で聞いていると、坂本さんが風呂から出てきた。
「風呂あんがと。目が覚めたわ」
「うん。タオルはそこに置いといて」
服を着ている坂本さんの顔を見るとさっきの殺人者の顔から普通のガラの悪いにいちゃんの顔に戻っていた。
「よし! じゃあ、川村くん、そろそろ買いに行くか!」
「え? な、何をっすか?」
「なにって、川村くんイメチェンすんだべ?」
「え? それはまあ……なんか服でも買ってみようとは思ってますけど……もしかしてこれからそれを買いに行くってことですか?」
「そうそう、だって川村くん、服買うって言ったって何買ったらいいかわかんないでしょ?」
「う……た、たしかに……」
「それに、バイト代があるうちに買わないと買おうと思っても金無いってなっちゃうべ」
「そ……そうですね……」
同じ職場だから当たり前なのだが、バイト代が入ったばかりで金持ってるのがバレている……そして買ってみようと思っていると言っておきながら金が無い事を理由におそらく買わないであろう事も見抜かれている……これはもう何か買うしか無さそうな展開だ。
「えっと、ここら辺に良いお店があるんですかね」
「すぐそこに京急の駅があるからそれで上野のアメ横行こうか。いい店知ってんだよ」
「ああ、行った事無いですけど、横須賀のドブ板通りみたいな所なんでしたっけ」
「ナオも行くだろ?」
「うん! 川村くん、私も一緒にいいかな」
「え、ええ! そりゃもちろん!」
坂本さんの衝撃の告白から二時間後、僕は坂本さんとナオさんとアメ横にいた。最初は自分が行きたいついでなのかなと思っていたがそんな事はなく、完全に僕がメインであった。
何軒も店を回り坂本さんとナオさんはこれがいい、こっちの方が似合うと真剣に選んでくれた。ワークブーツから始まりブーツカットのジーンズ、上に合わせるシャツやネックレス、ブレスレットといったアクセサリまで、一日がかりで全てコーディネートしてくれた。
一つ買う度にその場で買ったものへ着替え、最後全てのものが入れ替わり完成した僕の姿を見て彼らは言った。
「イイじゃん、川村くん、イケてるよ」
「うん、カッコイイ!」
「坂本さんナオさん……ありがとうございます!」
正直自分の外見がマシになったかどうかはよく分からない。今月のバイト代もほとんど無くなった。だが、貴重な時間を僕の為に割き、何時間もかけて真剣に選んでくれた彼らの気持ちが嬉しかった。
この姿を彼女が見てどう思うかは分からないが胸を張って会いに行こう。大事なのは自分の気持ちだ。
そう自分に言い聞かせつつ、履きなれないブーツであちこちつまづきながら帰るのであった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!