大貫さんを舐めるように見つめまくり、落ち込みかけた関係も若干良化したと思われるオカマたちの宴から数日後、またちらちらと彼女を眺めようと店に行くと、バンドマン坂本がいるはずの所に大宮さん(通称・競馬大好きゲンさん)がいて顔を真っ赤にしてあからさまに不機嫌な様子で不満をまき散らしていた。
「アイツ(坂本)のせいでおれの人生めちゃくちゃだよ!」
「今日彼女との大事な約束があったのにアイツが急に休んだせいでおじゃんだよ!」
「アイツがいる限りおれはずっと結婚できねえんだ……」
どうやら坂本さんが突然休んでゲンさんが駆り出されてしまったようだ。体調管理も仕事のうちとはいえ、もし急な発熱等の体調不良だとしたらある程度は致し方ない気もするのだが……凄まじい狼狽っぷりに誰も声をかけられない雰囲気になっている。
「おれは今日に賭けてたんだよ!」
「それなのに……それなのに……」
ゲンさんは誰に話しかけるわけでもなく今度は泣きそうな顔をしながら一人狼狽し続けていた。
と、そこでゲンさんの視界に僕が映った。
「なあ、川村くん……ひでぇ話だと思わないか?」
(いや、今たまたま狼狽を聞いてたから分かるけど、会っていきなりそれ言われても意味わかんねえぞ……)
「ええ……急に仕事になっちゃうんだと、予定なんて組めなくなっちゃいますよね……」
「そうなんだよ! わかってくれるか心の友よ!」
(心の友って……そんな大した事言ってないんですけど……)
「きっと、(彼女さんも)分かってくれますよ」
「だといいんだけどな……」
「同僚のピンチを救いに行く彼なんてかっこいいと思いますよ」
「おおお……」
「競馬で大勝ちしてお詫びのプレゼントでも用意して食事に誘ったらいいんじゃないですかね」
(こんくらい慰めてやれば少しは落ち着くだろ)
「川村くん……君はいい奴だな……」
「よし! わかった! じゃあ今週末、一緒に競馬場に行こう!」
「へ?」
(なぜそうなる?意味が分からないんですけど……)
「今日のまかないは何がいい? よし! 大宮スペシャルを作ってあげるよ!」
「え、あ……ありがとうございます」
(大宮スペシャルか……辛すぎてしばらくお尻が痛くなるから嫌なんだけど……めっちゃ嬉しそうに作るから断れないんだよなあ……)
こうして、急遽ギャンブラーゲンさんと競馬場へ行こうツアーが企画・実施される事となった。
数日後の夜、僕と山越と細谷は静まり返った北鎌倉の駅前にいた。
「なあ、カワっちよぉ……ほんとにこの駅で合ってんのか?」
「うん……たぶん……」
ぼくはゲンさんから手渡された小学生が書く宝の地図のようなものすごい大雑把な家までの案内図を握りしめてそう言った。
「おれも前に北鎌だって聞いた事あるから合ってると思うよ!」
「山越はゲンさん家の詳しい場所って知ってる?」
「うん!全然わかんないね!」
「そうか……まあ、とりあえずこの地図を頼りに行ってみよう」
「でもカワっちよぉ、地図通り進むとこの薄気味悪い山に入っていく事になるぜ?」
僕と山越は細谷が指を差す先を見上げた。暗くてよく見えないので大きさもわからないが、たしかに山がそこにはあった。暗くて静まり返っていて、細谷が薄気味悪いと言いたくなる気持ちも分かる気がする。
「とりあえず通った道だけ忘れないようにして、迷ってダメそうなら戻ってきてそこの電話ボックスからゲンさんに電話をかけよう」
「うん!そうだね!」
こうして三人は真っ暗な山に向かって歩き出した。
そして、十五分後、三人は駅に戻ってきた。
「あー疲れた、もう帰ろうぜ……だいたいなんなんだよ『ゲンさんと競馬場に行こうツアー』ってよ……自分で自分の事をゲンさんって言うのはどうかと思うぜ?」
「急にゲンさんから、川村くんと『ゲンさんと競馬場に行こうツアー』を企画したんだけどもちろん行くよな? って言われた時は返事に困ったねー、いつなのか聞いたら次の土日だって言うんだもんなー」
「いやいや、おれは企画してないってば。ゲンさんが急に一緒に行こうって騒ぎ出して勝手に内容決め始めたんだよ……」
『ゲンさんと競馬場に行こうツアー』、どうもゲンさんと僕が企画した事になっているようだが、ゲンさんが勝手にぶつくさと呟きながら企画したツアーで、土曜の夜にゲンさん宅へ集まり次の日の全レースの勝ち馬検討会を行いつつそのまま泊まり、早朝から競馬場へみんなで行くというツアー内容になっている。
洗い場は三人しかおらず、土日の夜はそれぞれ二人は出ないと回らない為、土日にツアーをするという事は必然的に最低でも一人は、バイトをした後にツアーに参加し、ツアー終了後にまたバイトをしなくてはならない。しかも、昼間はパートさんが一人になってしまうので別のパートさんにお願いするか社員がフォローする必要がある。まったく、よくこんな迷惑なツアーを考えたものだ。
「ちうかよ、なんでゲンさんは突然行こうって騒ぎ出したのさ」
「いや、この前店行ったら一人でなんか狼狽してたからちょっと慰めたら急に行こうって……」
「なんだ、カワっちのせいじゃんか」
「だね!」
「ええ……マジか……」
急に罪悪感でいっぱいになり気落ちしながらもとりあえずゲンさん宅へ電話をかけた。
「もしもし、川村と申し」
「来たか! おつかれ! 駅ついた?」
「おつかれさまです。駅にはさっき着いて、もらった地図を見て向かったんですけど、道がわからなくて駅に戻っ」
「わかった! 今行くからちょっと待ってて!」
という言葉と共に一方的に電話を切られた。
なんでこのバイトは話をちゃんと聞かない奴ばかりなんだと呆れつつも、仕方なく駅の前で待つこと五分、ゲンさんが車に乗ってやってきた。
「なんだ、車持ってんじゃん……」
「車で迎えに来てくれるなら何故家までの地図を渡したんだ……」
「ゲンさん体大きいのに小さい車……」
それぞれ思い思いのぼやきをしたところでゲンさんが降りてきた。
「どう? おれの愛車ボルボV40、かっこいいべ?」
「なんか、やけにピカピカですけど、新車ですか?」
「あ、わかっちゃった? 納車されたばっかの出来立てホヤホヤよ? 明日はこれに乗って競馬場に乗り込もうぜ!」
(ゲンさん……もしや、この車を自慢したかっただけなんじゃ……)
今回のツアーの主旨が見えたような気がしたが黙っておいた。
ゲンさんの家は余計なものは何も無くスッキリとしていた。キッチンには、お店でも開けるんじゃないかと思えるほどに沢山の調味料が棚に並べられていた。辛そうなスパイスがやたら多い気がするが、中華料理だからなのかゲンさんの趣味なのか、大宮スペシャルのルーツを垣間見た気がした。
僕が興味深そうに調味料の棚を眺めていると、ゲンさんの声が聞こえてきた。
「明日の朝飯は開発中の大宮スペシャルレベル3を作ってあげるから楽しみにしててな!」
「え、あ……ありがとうございます」
「ちなみに、レベル3って大宮スペシャルより辛いって事ですか?」
「そう!大宮スペシャルの十倍、大宮スペシャルレベル2の五倍は辛いよ!」
ゲンさんはこぼれんばかりの満面の笑みだ。これは覚悟を決めなくてはいけない……
三人は何を口に出すわけでもなく、諦めと絶望が入り混じったような表情で目を見合わせた。
深夜までゲンさんの競馬談義は続き半分徹夜状態で朝を迎え、僕は疲れと眠さで意識が朦朧としていた。細谷も元から細い目をもっと細くして機嫌が悪そうな顔をしている、山越にいたってはテーブルに座ったまま寝ていた。
ゲンさんはニコニコしながら朝飯の調理をしている。よっぽど食べさせるのが楽しみなのだろう。
「はい、おまたせ! 大宮スペシャルレベル3! 温かいうちに食べて!」
「……頂きます」
誰が最初に口にするんだと無言で互いが互いを牽制し合っていたが、結局三人同時に口に運ぶ事になった。
「うおおおおお!」
「ぐわああああ!」
「痛い痛い痛い痛い!」
「水! 水!」
「水はあるけど、飲むと余計辛くなるよ?」
ゲンさんはとても満足気だ。この人は彼女にもこんな料理を食べさせて優しく微笑むのだろうか。
口の中が痛すぎて感覚がマヒしてきた。辛さによる汗だけではなく何か身体が異常を感知した時のような変な汗も出ている。目も痛くて開けられなくなってきた。
永遠に続くかと思うほどの長い戦いを経て完食した三人にもう競馬を楽しむ元気は残っていなかった。ゲンさんの愛車に乗り込み、競馬場へ到着しバドックを見始めたが三人ともすぐにトイレへ戻らなければならない状況で落ち着いて見れず、馬を見る時間よりもトイレにいる時間の方が長かった。もはや勝ち馬を当てる戦いではなくお尻の痛みとの戦いであった。
なんとか戦い抜き、三人は車で横浜駅まで送ってもらってゲンさんと別れた。
「もうゲンさんと競馬に行くのはやめよう……」
「だな。競馬は良いとしても家に泊まりに行くのは無理だわ」
「うん、体がもたないね」
「全然競馬楽しめなかったなあ……」
「ゲンさんは競馬好き過ぎるからさ、バイト連中でナイト競馬でも行きゃいいんだよ。平日やってるから学校帰りに集まって行ったりできるしさ」
「へー、そんなのがあるんだ。いいねー」
大貫さんと一緒に行けたら楽しそうだなあと思い始めた時にふと思い出した。そういや細谷って大貫さんに告白するって言ってなかったっけ……聞いてみるか?
まあ、聞きづらいし聞きたいけど聞きたくないからほっとくべ。
そんな一人脳内会話を繰り広げながら、当の本人の細谷と一緒にツアーファイナルのバイトへ向かうのだった。
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