「川村くん……遊び、行こっか」
「え……? 今……遊び行こうって言ったの……?」
「うん、私で良ければ」
「うそ! ほんとに?」
「うん」
「マジで?」
「うん」
「おおおお……」
(信じられない……寝ぼけて夢でも見ているのだろうか……)
優しい目で僕を見て微笑む大貫さんを驚きのあまり瞳孔が開ききった目で見つめつつ、自分の頬をつねる。
全然痛くない……が、触っている感触はある。夢ではないようだ。
「おおおおお!」
早朝の電車内に雄叫びが響き渡る。
「ちょっ! 川村くん! どうしたの急に」
「あ、ごめん……遊べると思ったら嬉しくて……」
「そんな大げさな」
「いやいや、ほんとありがとう! 嬉しい!」
「川村くん……ものすごい嬉しそうな顔してるね」
「え? そう?」
「うん」
平静を装おうとしても顔が勝手に微笑んでしまう。何なんだこの現象は。
「あ、もう着いちゃう」
「遊びに行く日と場所はまかせるね」
「うん! わかった!」
「じゃあ、またバイトでね。送別会してくれてありがとう!」
「え? いや、それはおれじゃ……とりあえずまたバイトでね!」
寝ていないにもかかわらず軽快な足取りで電車から降りる大貫さん。電車のドアが閉まり、階段に向かい歩く大貫さんを追い抜くところで目が合い、お互いに小さく手を振ってその日は別れた。
隣駅で電車を降り、いつも座る駅のベンチに座った僕はいつもの如く座ったまましばらく動かなかった。
(辞めるのを知った時もここに座って泣いたっけな……)
辞める事を知った時から今までの事を思い返すとすぐに涙が溢れてきた。しかし、顔はさっきから勝手に微笑んでしまっていて
笑いながら涙を流すという、周りから見たら非常に気味が悪いであろう状態になっていた。
(もう最後だと思ってたのに……まさかこんな事になるとは……)
「やった……ついに……ついに……大貫さん……」
家に帰った僕は一睡もしていなくて眠いはずなのに全く眠くならなかった。
仕方がないので昨夜は入れなかった風呂に入る。
(そういや、大貫さんなんか爪に書いてたな……何なんだろあの暗号みたいなやつは……)
身体を洗いながら、包丁を使う時に添える猫の手のように人差し指から小指までの爪先を揃えて目の前へ持ってきた。
「マジかよ……こんな……」
僕は驚きの余り声を詰まらす。
数字の7や0かと思っていた文字はLとO、おかしな記号かと思っていた文字はV、カタカナのヨかと思っていた文字はEだった。
「LOVEって……これじゃまるで……恋人みたいじゃないか……」
(これは、期待しても良いのだろうか……それとも冗談で書いただけなのか……)
(……でも……冗談でも嬉しい……)
僕は得体の知れないメーカーの機器が取り付いた二十四時間風呂に浸かり延々と自分の左手を眺めていた……そして、のぼせた。
数日後、僕は学校に着くといつも机の下に潜り一日中寝てしまうのだが、眠りもせず机に向かい頭を悩ませていた。
「川村が起きてるなんて珍しいじゃん」
深沢が小馬鹿にするような感じで声をかけてきた。
「何言ってんだ。寝るわけが無いだろ? おれは悩んでるんだ」
「ほー、いったい何に悩むってんだよ」
「これだよ、これ!」
僕は見ていた雑誌を深沢に差し出す。
「これって、横浜ウォーカーじゃん。どっか遊び行くん?」
「そうなんだよ」
「えっ、もしかして、例の追っかけてた人?」
「そう」
「おおおお! マジか! 遊べる事になったんだ!」
「もう辞めちゃうから諦めてたんだけどね。奇跡が起きたわ」
「すげえじゃん! もしかしたら付き合えちゃうんじゃね!」
「わからんけど、遊んで良かったって思ってもらいたいな」
「なんだ、川村っぽくねえなあ。真面目くんかよ」
「ああ……この最後にもらったチャンスをドブに捨てるような事はしたくないからね」
「まあ、そうだな。マジで頑張れよ!」
「おお! ありがとよ!」
横浜で出会い横浜で働いてきたのでやはり遊ぶのは横浜が良かった。
だが僕は、ほとんど毎日横浜にいたくせして横浜駅周辺と黄金町の場外馬券売り場以外はあまり行った事が無く、詳しくなかった。
みなとみらい、中華街、山下公園、ベイブリッジ。名前は知っているし、雑誌にも載っているが、いまいちどんなところかわからない。
僕はもっと色々行っておくべきだったと後悔した。
次の週末、僕は大貫さんとシフトで昼間が重なっている最後の日を迎えた。
先日まではこの日を迎えるのが怖くて仕方なかったが、今は楽しみで仕方なかった。
「大貫さん」
僕は客が途切れたタイミングで大貫さんに話しかける。
「川村くん、ホールに出てくるなんて珍しいね。どうしたの?」
「今日さ、昼に一緒になるの最後みたいだからお昼ごはん一緒に食べに行かない?」
「そっか……じゃあ、お食事デートするか!」
「おお! やった! ありがとう! じゃあ、また休憩の時に!」
「うん! また後でね!」
数十分後、僕と大貫さんは一緒に休憩に入り、店を出た。
「大貫さん、何が食べたい? ご馳走するよ」
「え? いいの? ありがとう! 食べるのは何でもいいよ!」
「そっか! じゃあ、釜めしでも食べよっか」
僕は周りを見回してとりあえず目に入った数軒先の釜飯屋さんを指差す。
「うん! 私このお店行った事無くて前から気になってたんだー」
「おお! いいね! じゃあここ入ろぉー!」
「おおー!」
「大貫さん」
「なに?」
「この前話してた遊びに行く話なんだけどさ」
僕は何それと言われたらどうしようと内心ハラハラしながらも平静を装って話を切り出す。
「うんうん。え? もう決めてくれたの?」
(よかった……無かった事にはなってなかった……)
「いや、まだ決めてないんだけどね」
「なんだ。まだかあ……」
少し残念そうな顔をする大貫さん。なんだか嬉しい。
「本当にどこでもいいの? 行きたい所はない? 都合の悪い日は無い?」
「うん、全部川村くんに任せるよ」
「そっか、じゃあ、今のところ場所は横浜周辺を考えてるんだけど、それでもいい?」
「おおーいいねー、やっぱ横浜だよねー」
「ほんと? じゃあ横浜で考えるね!」
「うん! よろしくお願いします!」
その後雑談をしていると釜めしが出てきた。
「おおー」
「おおー」
「これは……想像以上に美味しそうですぞ、大貫くん」
「うむ……これはヤバいやつですな、川村くん」
「ぷっ……あはははは!」
二人で声を揃えて笑い出す。周りから見たらアホだと思うかも知れない。
「じゃあ、頂きましょうか」
「そうですね」
「頂きます」
「頂きます」
想像以上に美味しそうな釜めしは本当に想像以上に美味しかった。
「川村くん、ご馳走様でした。すごく美味しかった!」
「とんでもない! 一緒に食べてくれてありがとう! ほんと、こんなに美味しいとは思わなかったね」
「大貫さんは今日は夕方で上がりなんだよね?」
「うん」
「おれはラストまでだから、次は最終日かな? 場所とか日にち考えておくね!」
「うん! よろしくね!」
そんな話をしながら僕らは店に戻っていった。
「お、アイちゃんに川村くん、今戻り? 仲良さそうだね!」
店の奥に行くと、厨房からホールへ料理を受け渡しするスペースからホールを覗き込んでいた寡黙な仕事人香川さんがにこやかに声をかけてきた。
「あ、香川さん! 香川さんとは今日で最後ですよね。今まで色々お世話になりました」
「アイちゃんとオカマバーに行った事は忘れないよ! 来週の送別会、良かったら来てね!」
「はい! 是非参加させて頂きます!」
香川さんは大貫さんとほぼ同時期に同じ横浜駅周辺ではあるが、別店舗に異動になるらしく、一週間後に送別会が開かれる予定だった。
「川村くんは、もちろん来るよね?」
「もちろんです!」
オカマバーのダブルデートをセッティングしてくれた大恩人の送別会に参加しないという選択肢があるわけが無かった。
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