「川村くん、私ね、バイト辞めようと思ってるんだ」
「え……」
突然の告白に驚き過ぎて呼吸が止まる。
「今でもだいぶ出来なくなっちゃってるんだけど、バイトは辞めて就職活動と勉強に専念するように親に言われちゃってね」
「……」
頭の中が真っ白で何も言葉が出てこない。何か言葉を発しなくては。
「あ、ああー、大貫さんも言われるんだねー、おれも全然就職先決まらなくて親にあれこれ言われててねえ……本当はバイトしまくってる場合じゃないんだよねえ……」
「そっかあ、川村くんも言われてるんだ」
「うん、めっちゃ言われるよー、うちは興味無いのか知らんけどどこで何してても何も言われないからバイトは勝手に続けてるけどね」
「いいなあー、川村くんが羨ましい……うちは親が結構厳しくてねえ……」
「それだけ大事に思われてるんだよ。駅まで迎えに来てくれたり門限があったり、すごく大切にされてると思う」
「うーん、そうなのかなあ。もうちょっと好きにさせてくれてもいいと思うんだけど……」
「それに、みんなずっとバイト続けられるわけじゃないからね。おれもどれだけ続けたくても就職が決まって働き出すまでには辞めなきゃだし、誰が先か後かってだけだよ」
「そっか……川村くんも来年には働き始めないとなんだよね」
「うん、そうそう。大貫さんと同じ。ちょっと大貫さんの方が早いってだけだよ」
「それで、大貫さん……辞めるって、今すぐ辞めるわけじゃないんだよね?」
「うん、今のところ十月頃にはって話になってるんだ」
「そっか……じゃあ、あと二ヶ月は一緒にバイトできるね! 学校に就職活動にバイトで大変かもしれないけど、お互い頑張ろう!」
「うん。そうだね。がんばろ! これからもよろしくね!」
なんとかその後も会話を続け大貫さんと別れ、最寄り駅に辿り着いたが、ホームに降り電車が去り、暗闇に身を包まれたところで、堰を切ったように涙が溢れだす。
二人で遊べる事が無くても、バイトで会える機会が少なくなっても、機会さえあれば当たり前のように一緒に帰って話ができるものだと思っていた。もし機会が無くなるとしても、まだまだ先の事だと思っていた。
僕は誰もいないホームで一人ベンチに腰掛けうつむき、肩を震わせ声を押し殺しながら、目の前で雫を作っては足元へ落ちていく涙を見続けていた。
数日後、平日のバイトが終わった僕は更衣室があるビルの近くにある立ち飲み屋で、カクテルパートナーのソルティードッグを握りしめ項垂れていた。
何度も考えたが、残念ながら今の関係では彼女がバイトを辞めたところで彼女との繋がりは何も無くなり、会う事も無くなってしまうだろう。
そんなに好きなら電話番号だって家の場所だって通ってる学校だって知ってて、電話したり駅のホームで待ち伏せしたりもしたのだから、家や学校に押しかけ、しつこく追い掛け回せば……などと考えたりもしたが、度を超えて彼女を困らせたり悲しませたりしてしまうような事は出来ないだろう。
そうなると、僕に出来る事はもうほとんど何も無かった。できる事と言えば、彼女が去る日まで全てのシフトを同じにし、彼女の姿を目に焼き付ける事くらいだった。
「あと二ヶ月か……」
「せめて……最後は盛大に送り出してやりたいなあ……」
「誰か辞めるの? つーか、ゾンビみたいな顔してるけど大丈夫?」
ハッと振り向くと、いつの間にか隣の立ち飲みテーブルにいつものしかめっ面をした坂本さんがいた。
まだ辞める事を誰に言ったかも分からないのに……まずい事を聞かれてしまった。
「おつかれさまです坂本さん。すみません、(いた事に)気がつかなかったです」
「まだ内緒かも知れないので誰にも言わないでほしいんですけど……」
「ああ、そういうのは大丈夫よ」
「……大貫さんが辞めるみたいです」
「……マジかよ……」
「実は嘘ですと言いたいんですけど……本人から聞いたので……」
「そうか……」
暫く押し黙る二人。
「アイちゃんとはうまくいきそうなの?」
「いえ……」
「そうか……それじゃ辛えなあ……」
「残念ですけど……自分が動いてきた結果なので……」
「そうか……」
「坂本さん」
「ん?」
「お別れ会ってやれないですかね……なるたけ大勢で」
「お別れ会か……店があるから全員は無理だけど、チーフとか桜木とか、どうでもいい奴に店の方をやらせるように調整すれば結構集められるんじゃね?」
「ほんとですか! そしたら、あとバイトを集めて場所を抑えればできますかね」
「うん、できると思うよ」
「坂本さん、まだ、気が変わって辞めないという事もあるかもですけど、もし彼女が本当に辞めるってなった時には、社員の人たちをまとめるのをお願いしても良いですか?」
「ああ、もちろん。その時は盛大にやってやろうぜ!」
「……ですね! 盛大に……あの店でバイトをやって良かったって思えるようなのをやってやりましょう!」
「川村くん」
「はい?」
「男が簡単に涙を流すもんじゃないぜ」
「え? あれ……」
いつの間にか涙が出ていたようだ。歳をとると涙もろくなって困る。
「ちょっと砂ぼこりが目に入ったみたいです!」
「そうか。じゃあよ、川村くん。今日は飲み明かすか!」
「おお! いいっすね!」
僕と坂本さんはその後立ち飲み屋で次から次へと飲みまくり、閉店で店を追い出された後も駅へと続く下り階段とは逆の、人がほとんど通らない登り階段の上のスペースで朝まで飲み明かしたのだった。
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