一週間後、香川さんの送別会が横浜西口にある居酒屋を貸し切って行われた。
その日のバイトを終え、同じく送別会に参加する人たちと居酒屋へ向かうと、大貫さんの送別会ほどではないが社員の異動という事でかなり大きい規模で行われていて、店の中は既に出来上がっている多くの人でごった返していた。
主役の香川さんはいつもの寡黙な仕事人・香川ではなく、高そうなスーツに身を包み、リーゼントをきっちりと決めていた。まるでエルビスプレスリーのようだ。
いくつもあるテーブルの一番奥に陣取り、隣に彼女らしき女性を座らせとてもイチャイチャしている。やはり仕事中の様子とのギャップがものすごい。
挨拶をしに香川さんの所へ近づいていくと、香川さんの隣に座っている女性と目が合う。
「え? マユちゃん?」
「あ、川村くん、今日は来てくれてありがとう」
「え? マユちゃん、香川さんと付き合ってるの?」
「あれ? マユミ川村くんに言ってないの?」
香川さんはマユちゃんが僕に伝えていたと思っていたらしく驚いた顔をしている。
「うん、私そんな勝手に言ったりしないよ? それに、もう言ってあるのかと思ってたし」
どうやらお互いにお互いが既に言ってると思っていたようだ。
「そうだったんですね! おれはてっきりオ……」
オカマバーに一緒にいった時の人の事を言おうとしたところで物凄い殺気を感じて僕は言おうとした言葉を咄嗟に飲み込んだ。
殺気を感じる方向を向くと香川さんがお前絶対言うなよという目でこちらを見つめていた。
「オ……お……おめでとうございます! お二人めっちゃお似合いですよ!」
「ありがとう! 川村くんも頑張れよ!」
「はい! ありがとうございます!」
香川さんの目から殺気が消えた。危なかった……
香川さんは社員同士の繋がりがあるらしく、他の店舗や工場の人たちと大いに盛り上がっているので、暫く経ったところでお暇して店の外に出ると、外にもたくさんの人がいて、ホールの面々と歓談している大貫さんの姿も見えた。
(盛り上がってるし、みんながいたら話もできないだろうから、また今度かな)
そう思い少し離れたところからぼーっと様子を眺めていると、栗原さんがこちらに気づいたらしく声を上げる。
「あー! 川村さーん! こっちこっちー!」
ピョンピョン跳ねてこちらに手招きをする栗原さん。相変わらず元気だ。
「香川さん、かっこよかったですね!」
ホールの面々の輪に加わると、栗原さんが声をかけてきた。
「うん、そうだね。リーゼントもスーツもバッチリ決まってたねー」
「ですね!」
そんなやりとりをしていると、大貫さんが声をかけてきた。
「川村くん、遊びに行く場所は決まった?」
「へ? えーっと……ある程度は絞り込んだよ?」
(な、なんでみんなのいる前で遊びに行く話するんだ? おれとの事あれこれ言われてもいいの?)
「えええっ! 大貫さんたち、遊びに行くんですか⁉」
栗原さんが暗闇の中でも目を輝かせてるなとわかるようなテンションで驚きの声を上げる。
「どこですか! どこに行くんですか! いついくんですか!」
「ふふふ、残念だけどそれは内緒なんだなあー」
「ええー! それじゃ気になるじゃないですかあー!」
楽しそうに栗原さんをからかう大貫さん。
(大貫さん……もう周りが気にならなくなったんかな……うれしいな……)
僕はそんな大貫さんを見て愛おしい気持ちで胸が一杯になっていた。
大貫さんのバイト最終日、大貫さんは昼から夕方まで、僕は夜からラストだったが、僕は時間などお構いなしに早めに店に行った。
店を入ると、入ってすぐの所のテーブル席に大貫さんが座っている。
「大貫さん、こんなとこ座ってどうしたの?」
「あ、川村くん、なんかね、桜井さんが最後だから好きな料理作ってあげるよって言ってくれて今料理作ってくれてるの」
「おお! そうなんだ! なんの料理なんだろ」
「クリーム鮭いくら丼だよー」
「おお! あの高いやつだ! いいなー、おれにも分けてほしい……」
「あげませーん。川村くんはちゃんとお金払って注文してくださーい」
「だめかあー、ざーんねん」
僕は厨房に入るため席から離れる。
なんでもないやり取りを周りを気にせず自然にできる事が嬉しくて仕方なかった。
だが、そんな事ができるのも今日が最後だった。
「あれ? 川村くん、まだ早くない?」
「暇だったのでちょっと早めに来ちゃいました!」
「早く来て仕事してくれるのは嬉しいけど、その分の給料は出ないと思うよ?」
「もちろんです! 勝手に早く来たのにお金なんてもらえないですよ」
最後の日、少しでも長く一緒にいたかった。お金なんてどうでもいい。
ちょっと働き始めたらあっという間に時が過ぎ、大貫さんがバイトを終える時間が訪れた。ホールの人たちに挨拶をしているようだ。
その後、厨房にもやってきた。厨房からホールへ料理を受け渡しするスペースから厨房の人たちに声をかける。
「いつも美味しいまかないを作って下さってありがとうございました。」
「長い間お世話になりました」
そう言って深々とお辞儀をする大貫さん。
「おつかれさま!」
「おつかれさまでした!」
桜井さんと僕も言葉を返す。
「アイちゃんいなくなると寂しくなっちゃうねえ……また何でも作ってあげるからいつでも来てね」
「さっきの鮭いくら丼、すごく美味しかったです! またご馳走になりに来ます!」
そんなやりとりを僕は万感の思いで眺め、すぐ出てこようとする涙を必死に抑えていた。
深呼吸をし、気を落ち着かせて笑顔を作り、大貫さんへ近づく。
「今までありがとう。本当に楽しかったです」
「こちらこそ今までありがとう。私も楽しかったよ」
「じゃあ……また!」
「うん! またね!」
拍手で見送られ、去っていく大貫さんを見送った後、僕は洗い場で必要が無い手洗いをし、水で顔を何度も洗い続けた。
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