「やあ!面接はどうだった?」
体育館で何をするでもなくバウンドパスを繰り返していると山越がヌッと現れた。
「どうもこうも山越、こっちはまだバイトをやるとも言ってないのにあれこれ話されて出勤日決めさせられたぞ」
「あ、そうなんだ!でも、やるんでしょ?」
「まあ、やるんだけれども」
「じゃあ、金曜日、川村くんは最初だから少しやって先に上がるけど、入りは同じだから一緒に行こう。ロッカーの場所とか教えるよ」
「ああ、よろしく頼むよ」
金曜日、山越に本社ビル更衣室にて。
「ここが川村くんのロッカーね。中に着替えるの一式入ってるから着てみて」
「わ、わかった」
よく料亭とかで料理している人が着ていそうな白衣と白帽、腰から下が濡れないように着ける防水の前掛けと長靴が入っていた。胸前の襟に英語でATと書いてあるのが気になったが、まあ、前に使っていた人の名前か何かだろう。
「おおー、川村くん似合うじゃん」
「こんな服初めて着たよ」
「じゃあ行こうか」
「お、おう」
店内に入ると、面接の時のように店内は大勢の客とせわしなく動き回るホールスタッフでごった返していた。奥に進むと、厨房とやり取りをする一帯があり、そこに面接の時の青ひげがいて忙しそうに動き回っていた
「おお、川村くん、きたか」
「はい! みんな聞いて! 今日から厨房で働いてもらう川村くんです!」
「よろしくお願いします」
一瞬皆の動きが止まり、「よろしくー」「うぃーす」「よろしくね」といった声が方々から聞こえたような気がしたが、すぐそれまでの忙しない空気に戻り、僕は一人ぽつんとその場に残された。いつの間にか山越もいなくなっている。
おいおい、皆忙しいのは分かるけど、初日の最初から放置プレイかよ。どうしたものかとキョロキョロと見回し、ようやく厨房の奥に山越を見つけるとにこやかにこちらを見て手招きをしていた。
(なぜお前はそんなににこにこしているんだ? 配置とか全然わかんねえんだから案内してくれよ……)
そんな事を思いながらも恐る恐る厨房に入った。
(あ、暑い……)
厨房は何人かの調理人が天井まで届くかと思うような火柱をあげながら中華鍋を振っていたせいか恐ろしく暑かった。とても声をかけれそうな状況ではないので、そろそろと山越の所まで移動した。
「ここがおれたちバイトが担当する洗い場だよ」
「そうなんだ。すげえ暑いね」
「ここからホールの人たちがどんどんお皿とかを下げてくるからそれをどんどん洗ってこのトレーにどんどん置いて、一杯になったらトレーを動かして食洗器をこうやって動かして、」
「終わったら出して置き場に戻して、おしまい。簡単でしょ?」
「ふーん、まあ難しくはなさそうだね」
「で、洗い場は平日は一人、土日は二人でやる感じ。今日はおれがやるから川村くんはてきとうに見てて」
「わかった」
そんなわけで、山越の仕事を見ていたが、たしかにやる事自体はシンプルですぐ覚えられそうだった。しかし、金曜日のせいか分からないが洗い物の量がすごい。皿がどんどん運び込まれてきてすぐ山になってしまう。そしてその山を次々と高速で洗っていく山越もすごい。やはりサモハンキンポーなのかこいつは。
洗い場の背後には巨大な一升炊ける炊飯器が二つ、右側には〇〇〇〇の蒸し器があり、蓋を開けると大量に〇〇〇〇が入っていていい匂いがした。〇〇〇〇は名物らしいのだが、実はほとんど食べた事がない。
「ああ、それね、そのうちわかるけど、死ぬほど食えるよ」
「へー、それは楽しみだ」
しばらく見ていると、なんだかホールの方が騒がしくなってきた。どうやら早番の人たちが上がるようだ。
ホールの青ひげが山越に声をかけてきた。
「山越くん、今日はどうする?」
「ああ、おれ今日遅番で参加しても途中からになっちゃうんで…」
「そうだ! 川村くん行ってきなよ!」
「え? なに?」
「川村くんは初めてだから今日はもう上がりでしょ?」
「うん、まあ」
「今日ホールの人の送別会がこれからあってさ」
「おれは今日は閉店まで仕事だから参加できても遅くなっちゃうけど、川村くん行ってきなよ」
「へ? な、なにを言って……おれ今日初めてで誰も知らないし、これから深沢と合流する予定なんだけど……」
「ああ、じゃあ深沢くんも連れて行きなよ! みんな全然気にしないし、お金は店持ちだからさ!」
「えっと、じゃあ厨房からは二名参加ね。了解」
なんというか、山越も青ヒゲも、めっちゃ軽くて人の意見聞かねえよなあ……大丈夫か? このバイト……
数十分後、僕と深沢は駅の近くの怪しげな建物の二階にいた。
店内は薄暗く、背の低いテーブルとソファーが並び、誰だか知らない若者たちがハイテンションで盛り上がり代わる代わる歌を歌っていた。
「なんか……すごいな……」
「……だな」
僕と深沢は端の方の席に座り、歌を歌うわけでもなく誰と会話するわけでもなく、ただただその様子を眺めていた。
「おれたちも共学とか行ってたらこんな感じになってたんかね」
「どうなんだろなあ……全く想像もつかんよ……」
「ていうか、ここにいる人達ってバイト先の人達なんだよな?」
「うーん、おれも今日初めてで誰とも話した事ないからわからんけど、ホールにいた人もいるから多分そうなんじゃん?」
「へぇー……」
「……」
「お、おい。まさかバイトやる気無くしてねえだろうな……」
「……」
「おいおいおいおい、ちょっとまっ」
「よっ! 君たち! 楽しんでるかい!」
突然僕の隣に女の子が座って声をかけてきた。
驚きのあまり言葉が止まったが、返事をしなければとなんとか上ずった声を出す。
「……う、うん! た……たのしんでるよ! ……なっ!深沢!」
「……」
返事がない。というか、硬直し微動だにしない。
彼女は意にも介さず話をし始めた。
「ふぅーん、なんかここだけ暗いなあって思ったんだけど、楽しんでるならよかった!」
「初めましてだよね? いつから(バイトを)やってるの?」
「えっと、今日から、なんだよね」
「ええー! そうなんだぁー! ピチピチの新人さんだねー!」
「そ、そうなる……かな?」
「そうかぁー、私もこの春始めたばっかりだけど、私の方が先輩って事だね!」
「う、うん」
「困った事があったら何でも聞きたまえ! これからもよろしくね!」
大きな胸をドンと叩きフフンとふんぞり返った彼女はそう言い残し、賑やかな群れの中へ戻っていった。
「いやあ……すごかったな……」
「んだな……」
結局何もする事無く、山越も現れる事無く終わり、店の前で皆が二次会に行くと盛り上がっていたが、誰にも声をかけられる事がなかった二人は当然の如く帰り始め、ため息交じりに呟いていた。
「(女の子が)話しかけて来た時、なんで固まっちまうんだよー」
「わりぃわりぃ、おれあんま女と話したこと無くてさ」
「いやいや、それはおれも一緒だって」
「でも、川村は高校の時もバイトやってたんだべ?」
「やってたけど、郵便局の年賀状配達とか小学校の夏のプールの管理人とかおじさんおばさんが二人でやってるラーメン屋とか、そんなんばっかだでよ」
「いやあ……でもあの子、かわいかったなぁ……」
「わざわざ話しかけてきたって事は、川村に気があるんじゃね?」
「そ、そんなわけ、あるわけないだろ!」
「まあ、だな!」
(くそ、からかいやがったな……)
「深沢はいつから(バイト)これんのよ」
「ようやく親が住む場所を決めたみたいだから、もうちょっとかかるかな……」
「でもちょっとおれ、こういうバイトはできないかもしれないわ」
「マジか! 一緒にやんないのかよ!」
「うーん、どのみちまだできないから、川村ちょっとまた様子を教えてよ。それで出来そうならやるよ」
「……まあ、初めてだしな。ちょっとまあ様子見てみるわ」
深沢はだいぶ腰が引けちまってるし、バイトはなんかすごい感じだし、これからどうなるんだろう……
そんな不安を胸に抱きながらやたら混んでいる電車に乗り込んでいくのだった。
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