七王子は、動かなくなった第九夫人から身を離すと、残念そうに首を振った。
室内の全員に向けていう。
「彼女は神に許されなかった」
慧は歯を食いしばった。
殺した。ごく、あっさりと。
いまさらながらに、七王子がシリアルキラーであることを実感した。彼女のような葛藤など、ありはしない。完全に、連続殺人鬼ゲイリー・マイケル・ハイドニックとしての自己を受け入れ、楽しんでいる。
第一夫人が、使われていない牢を開けた。中から消防ホースを取り出す。ハイドニックが頷くと、第三夫人が壁のハンドルを回した。壁をぐるりと囲む水道管が身震いした。振動が鎖を通じて慧にも伝わる。
ホースの先から水が飛び出し、汚物まみれになった第九夫人の体を清めた。
第三夫人が物置代わりの牢屋から、整地トンボのようなものを取り出し、汚物と水をホール中心にあった排水口に流していく。遺体が綺麗になったところで、七王子がロープを床の固定フックから外した。肉塊となった遺体が、どすんと床に落ちる。七王子は遺体を担ぎ上げると、鉄扉の外へ消えた。
すると、七王子に犯されてる間も反応を見せなかった第五夫人ーー色白でやせっぽち、極度の貧乳で胸がないーーが「いやあ」といって耳をふさいだ。
心なしか、第一夫人、第二夫人も不安げな顔をしている。
「なに? なんなの?」
慧の問いかけに、隣の房の第八夫人ーー死んだ第九夫人と同じように、自分の意思を保っている女ーーが答えた。
「解体するのよ」
解体? 彼女が聞き返そうとした時、原付のエンジン音のようなものが聞こえた。鉄扉のすぐ外だ。
一台ではなく、三、四台分のエンジン音が混ざっている。続いて、ミンチマシンが生肉をかき混ぜるような音が響き始めた。さらにプレス機のような音、何かが高速で回転する音。
第五夫人が、いやああああ!と叫ぶ。
「なんなの!?」と、慧。
第八夫人がいった。
「あの男は、“人間ミキサー”って呼んでる」
☆☆☆☆
ミキサーが稼働していたのは、ほんの数分だったろうが、慧には数時間にも感じられた。
第八夫人が大きく息を吐いた。小声でいう。
「あいつは、女を殺すたびにああやって処理するのよ。わざと扉のすぐ外でやるの。音を聞かせて、わたしたちを怯えさせるのよ。逆らったら、こうなるんだぞ。って」
慧は泡立った二の腕を撫でた。
パンによる処刑も酷かったが、人間ミキサーは音だけであることが余計に恐怖心を煽った。
第八夫人が指をくるくる回した。
「一度だけ、機械を見たことがあるの。あいつが、解体前にわざわざ扉を開いて自慢したのよ。大きな鉄の樽があって、その底に扇風機の羽みたいなものがついてるの。その周りを六つの丸ノコが取り囲んでて、ブンブン回ってた」
「死体をミキシングして、どうするの?」と、慧。
「液体になるまで混ぜたら、そこの排水溝から流すのよ」
慧の左隣の房で、第八夫人がいった。
「それより、あなた、ほんとなの?」
「なにが?」
「あいつに勝てるって話」
慧は眉をあげた。
「武器もないのに。自殺行為よ」と第八夫人。
「抵抗せずに死ぬよりマシよ」
「強いのね」
第八夫人が鉄格子の隙間から手を伸ばした。鎖がピンと伸びる。慧の手にはまるで届かない。それでも、ニ人の間に何かの絆が生まれた。
「わたし、大津美夜」
「検見川慧よ」
ホールには、話し声が飛び交っていた。慧と美夜だけでなく、何人かが談笑している。
第一夫人と第三夫人が、モップで床を拭きながら笑顔で盛り上がり、第四夫人と第六夫人は、第五夫人の檻ごしに笑いあっていた。
慧は訊いた。
「みんな、どうなってるの? どうして、あんな普通にしていられるわけ?」
「麻痺してるのよ。わたしはここにきてまだ二ヶ月だけど、第一夫人は二年近くいるらしいわ。それだけ長いこといれば、あの狂人に洗脳もされるわよ」
「洗脳?」
「朝から晩まで犯されて、それが神様の意思だなんていわれれば、よほど心が強くない限り、ああなっちゃうのよ。第三夫人なんか、恋でもしてるみたいだもん」
慧は第三夫人を見た。やせっぽちの体に、まったいらな胸、小学生でも通る。
「希望がないから、そっちに逃げるのも仕方ないかもね。あいつがわたしたちを解放するなんてありえないし。警察だって動きゃしない」
「なんで? これだけ行方不明になれば、騒ぐ人がいるはずよ? あなたの家族は?」
「わたしは北海道から家出してきて、横浜駅をふらついてるところをナンパされたの。我ながら、ほんとバカで嫌になっちゃう。いい男だから、泊めてもらう代わりにヤらせてもいいかな、なんて。家族はわたしを探してるだろうけど、ここにたどり着く可能性はゼロよ。ほかの子も似たり寄ったり。さっき殺された第九夫人は、親と疎遠だっていってた。田舎から出てきて、大学で一人暮らしだって。あの男は、そういう子だけを狙ってるの。あなただってそうじゃない?」
慧は沈んだ。
わかっていたことだが、ハッキリ現実を突きつけられると苦しい。せめて、三鷹に七王子の名前だけでも伝えていれば。
「あなたたち、なに話してんの?」
硬質な声に振り向くと、牢の前に第二夫人が立っていた。金髪をいじりながら、楽しそうに二人を見下ろしている。
「まさか、あの第九夫人みたいに、よくないことを考えてるわけじゃないよね」
「まさか!」第八夫人が両手をクロスした。
「ほんと?」と第二夫人。
慧は頷いた。
「ただ、世間話をしてただけよ。ここにいる、みなさんは、普段どんなことをして時間を潰してるのかなって」
「ふーん」
第二夫人は肩をすくめて歩き始めた。ホールの外周に配置された牢屋を一つづつ見て回り、声をかけ、最後に扉の開いている自分の牢に戻った。
第八夫人が、さきほどより、さらに声をひそめた。
「あいつは、綱島薫。見ての通り、どヤンキーで、ここの看守みたいなことをしてるの。見た目や性格じゃ、第一夫人や第三夫人に叶わないから、そういうところでポイントを稼いでるのよ」
第八夫人と雑談をしているうちに、尿意を催した。それ告げると、第八夫人は気の毒そうに牢屋の隅を指差した。すりばち状の穴が空いている。
「うそでしょ?」と、慧。
「気の毒だけど、ほんと。第一夫人にいえば水を流してもらえるの。しばらくは流れ続けるから、あそこと手も洗うのね」
見ればすりばちの縁は、床面から十センチほど下がっていた。水の注ぎ口が隠れるよう設置されているのだろう。妙なところで洗練されたデザインだ。
屈辱的な排泄を済ませたところで、外につながる鉄扉が開いた。ビーフシチューの香りが流れ込み、鼻をくすぐった。
七王子が顔を突き出す。
「料理を手伝ってくれ。そうだな、美夜、お前だ」
「わ、わたし?」
第八夫人が震える指で自身を指した。
☆☆☆☆
外から戻ってくるや否や、第八夫人は房内のトイレに胃の中身をぶちまけた。
「どうしたの? なにがあったのよ」と、慧。
第八夫人は問いかけなど聞こえなかったかのように、数分間吐き続けた。胃液すら出なくなったところで、ようやく呼吸を取り戻した。
涙目で慧を見る。
「第九夫人がいたの」
「さっき殺された?」
「そう。七王子は、わたしをこの地下のはずれにあるキッチンに連れていったの。給食センターでも開けそうな、本格的な調理施設があったわ。それで、一通り皿洗いなんかをさせられたあと、あいつ、シチューの鍋の様子を見てくれって。蓋を開けたら、第九夫人の頭が入ってた」
第八夫人が身をよじり、血の混ざった胃液を吐いた。
いまやホール内は静まり返っていた。第八夫人の言葉が冷たいコンクリートに乱反射している。
彼女がいった。
「あいつ、わざと頭だけミキサーにかけなかったのよ。わたしを脅してるのよ。もし、第九夫人みたいな真似をすれば、こうなるぞって」
その夜、鉄扉の向こうに消えた第一夫人と第二夫人が、全員分の食事を持ってきた。一人前ずつ紙のトレーに乗っている。容器も、スプーンやフォークもすべて紙製だ。メニューは、ハンバーグと野菜サラダ。それにシチューだった。
第八夫人と慧は、野菜しか口にしなかった。
外界につながる窓がないため、時間の感覚は空腹感で測るしかなかった。おおむね、九時から十一時で、部屋の照明が落ちた。灯りとなるのは、天井の小さな豆電球ひとつきりだ。
慧の牢屋には毛布一枚なかった。空調は管理されているが、床が固い。少しでもマシな寝姿を求めてモゾモゾしていると、隣の第八夫人の牢から、丸めた毛布が転がってきた。
「使って」微かにそう聞こえた。
翌日、第八夫人が〝罰〟を受けた。
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