ガン次郎が笑った。
「はっはっは!こりゃあ笑わせるな!俺に占いなんてもんが必要に見えるのか?」
「ええ、だって、あなた末期癌ですよね?」
ガン次郎の笑いが止まった。
「ほお? なぜそう思う?」
「それはもちろん、わたしのチカラです。表の看板にもあったでしょう? わたしは何でも見通せるんです」
「そりゃあどうかな。俺が癌だってことくらい、ちょっと勘の鋭いやつならすぐ気づくさ。なにしろ、予約のときの名前がガン次郎なんてものにしてんだからな」
彼は抗がん剤の副作用と思しき、髪のない頭を撫でると、瑠璃と向かい合う席に座った。
「たしかに俺は死にかけてる。だからといって、あんたからショバ代を集めないという理由にはならんな」
「でもお、あなたのいうとおりに払っていたら、わたしが生活できなくなっちゃうの。ねえ、それだったら、わたしがあなたをタダで占うというのはどうかしら。あなたがその結果に、相応の価値があると認めるなら、ショバ代とやらは免除していただけない?」
「おいおい、俺がそんなバカげたもんを信じるように見えるのか?」
瑠璃が笑った。
「はじめは、みんなそうおっしゃるのよ。よかったら試しましょうか? わたしはあなたの過去のどんなことでも見抜いてみせる」
「ほお? なら、俺の父親と母親がどんな人間だったか当ててみろ」
「承知しました。では、このボードの中心にあるコインに指を置いて」
「おいおい」
男はそういいながらも、ふしくれだった指をのせた。
瑠璃がその隣に指を添える。
「それじゃあ、このアルファベットのまわりを一緒にぐるぐる回してくださいな」
意外なことに、男は素直にコインを滑らせた。いや、意図したものではなかったのかもしれない。夕は横目で、男の顔が強張るのを捉えていた。だが、男の指は瑠璃の言葉通りに、ヴィジャボードの中央部で円を描いている文字の周りをなぞっている。
瑠璃は「ぐーるぐーるぐーる」と楽しそうに呟いている。
コインはときおりビクビク揺れた。
十周ほどしたところで彼女が指を離した。
悲しげな顔になる。
「ずいぶん御苦労されたんですねえ」
男がコインに落としていた指を、ゆっくりとあげた。
「どういう意味だ?」
「あなたのお父さん、お母さんは、あなたがまだ小さい頃にいなくなったんですね」
男の顔から表情が消えた。
「なぜ知っている」
「知っているんじゃありません。ビジョンが見えたんです」
「ほう、ビジョンときたかい。なら、そのビジョンとやらのチカラで、俺の親父たちに会うことはできるか?」
「やってみましょう。もう一度コインを」
男と瑠璃がまたアルファベットのまわりにコインを巡らせた。
瑠璃がいう。
「確認ですけど、あなたは自分の父親か、母親、いずれかにあえれば満足ですか? あなたという魂の親だった存在でよいですかあ?」
「魂? よくわからないが、どちらかだけでもかまわねえぜ」
「承知しました。では、お母様とならお引き合わせできると思います」
すると、男が大口を開けて笑い始めた。
「ほう! するってえと、おふくろにあえるっていうのか? そいつは奇妙なことだな。俺の親父とお袋は俺を捨てた数年後に、二人とも死んだはずなんだがなあ」
「ええ、あなたのいまの肉体のお父様とお母様はすでにお亡くなりになっています。しかし、あなたの前世のお母様はまだご存命なんですよ」
「前世? 前世ときたか。これはまいったな。俺の前世はなんだ? インドの王様か? それとも織田信長? そのお袋が生きてる? 俺の前世のおふくろってえのは不死身のバケモンか何かか?」
瑠璃が悲しげに微笑んだ。
「あなたの前世は、橘龍太。1971年生まれの男の子です」
ヤクザが額を叩いた。
「ねーちゃん、調べが足りなすぎるってもんだ。俺は1971年生まれなんだぜ? どうやってその年に生まれたやつの前世が、その同じ年なんてことがあるかね」
「あなたは生後一日で亡くなったんです。そして、いまのあなたに生まれ変わった。当然、あなたの前世の母親は、あなたの現世の母親と同世代ですから、いまが現在でもまったくおかしいことはないんですよお」
ヤグザが小さく笑った。
「なかなかのもんだ。咄嗟に考えたにしちゃ、よくできた筋立てじゃねえか。そんだけ確信を持ったものの言い方をしてりゃあ、そりゃ流行るわな。でもなあ、やっぱおめえさんの話はおかしいんだよ。おめえさん、その女に会わせるといったな? つまり、おめえさんは俺の前世のオフクロを知ってるってわけだ。そんな偶然があるか? 地球にゃ70億人からの人間がいるってのに、そのなかのたった二人が、生まれ変わってもまた再会できるってのか? あまりにも都合が良すぎる」
「縁ですわ」瑠璃はそういうと、両隣に座る夕と慧の手を取り、自分の前でくっつけた。
「袖振り合うも多少の縁というじゃありませんか。わたしたち人間の魂は〝縁〟の力で固く結びついているんです。前世で恋人同士だった二人は、現世でもまた恋人になる。前世で憎しみあった二人は、現世でもまた憎しみう。そして、前世で親子だったものは、現世でもまた親子となる。まれにですが、そんなこともあるんですよ。死んだ赤ん坊が来世で元の母親と巡り合うくらい、フツーのことです」
「なら、いますぐ、その母親ってやつにあわせてもらおうか」
ヤグザがふところからタバコを取り出し、火をつけた。
「口先だけならなんとでもいえる。本当にその母親とやらが実在するなら、すぐに引き合わせてみろ」
「いまからですか? うーん。先方はかきいれどきなんですけど。それに、次の占いの予約もあるし」
「無理なんだろう? そんな女はいないんだからな」
瑠璃が眉を寄せた。
「そこまでいうなら、ご案内しますよ」
彼女はそういって席を立つと、スタスタとプレハブの外に出て行った。
夕、慧、ヤクザの三人がポカンとしていると、瑠璃は振り返って「早くいきますよお」と手招きする。
三人はあわてて彼女のあとを追った。
狭苦しいエレベーターで下に降りる。
瑠璃は一階で降りた。
ここはゲームセンターだ。屋上同様にさびれきっている。薄暗いなか、ずらりと並んだ格闘ゲームの画面中、ピコピコとデモが耳障りな音を立てていた。
わずかな客が四人を見て驚く。
慧が胸元を抑えた。
「それ貸して」
そういって、夕からストールを剥ぎ取る。おかげで彼は上半身裸になってしまった。男とはいえ、さすがに少々恥ずかしい。
瑠璃は、乳首が見えそうなほど露出しているが、何も気にせず突き進んでいく。
ガタついている自動ドアを抜けると、また熱帯夜の生温い空気が彼らを包む。一台の黄色いタクシーが、目の前の路地を法定速度の倍はあろうかというスピードで通り過ぎて行った。
瑠璃は、出てきた建物の外周に沿って歩き始めた。
角を二階曲がると、いまにも崩れそうな雑居ビルの群れが現れた。まわりには、真新しく巨大なオフィスビルやマンションが並んでいる。再開発が始まっているのだ。雑居ビルの一つは、手作りの看板で「地上げ屋は恥を知れ!」「不法開発!」と訴えていた。
それらの雑居ビルの端に、人だかりができていた。
仕事帰りと思しきスーツのサラリーマン、OL、これから出勤するだろう風俗嬢ら黒服、若い大学生のカップル、さまざまな人々が「弁当屋タツ」と看板のかかった店に並んでいる。
店は小さく、タバコ屋程度の大きさしかないように見える。
カウンターのなかではエプロン姿の老女がテキパキ動いていた。一人で飯の盛り付けから会計までこなしている。年の頃は七十代後半から八十代前半ほどか。みずみずしさが残っており、若い頃はさぞかし美しかったのだろうと感じさせる。
ヤグザがいった。
「おいおい、まさかあのババアが俺の前世の母親だってのか? あのビルはうちの親戚筋が追い込みかけてるとこじゃねえか。そんなところにたまたま働いてたっていうのか?」
「ま、そういうことなんだなあ」瑠璃はそういうと、両手でメガホンの形を作り、大声で「恵美さん、お待たせ! 息子さん、見つかったよお!」と叫んだ。
老婆は一瞬カウンターの奥に引っ込むと、脇にあった小さな扉から駆け出してきた。
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