シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

テッド、閉鎖病棟へ

公開日時: 2020年10月7日(水) 23:11
文字数:3,455

 巡は携帯片手にマンションを出た。


 頭上から阿佐ヶ谷玲子の声が追いかけてくる。


「三鷹さーん。今度、晩御飯ご一緒しませんかー?」


 手すりから身を乗り出している彼女に、あいまいに手を振り、丘を下る。


 電話の向こうでまち子がいった。


「 アンデス精肉店? わたしにご飯を作ってほしいってことですか?」


「いや。わたしが店で振るまうよ。日頃から君にはとくに世話になってるからね。材料の買い出しだけ頼む。今ちょっと手がはなせないんだ」


 彼が必要な肉の部位を告げると、まち子が呻いた。


「イギリス料理って、そんな食材を使うんですか?」


「安心してくれ、イギリスだって庶民の家庭料理はなかなかのものさ。安くて新鮮な食材を使うのが秘訣だよ。それより、まだほかにも準備してほしいものがあるんだ」


 彼は必要事項を伝えて電話を切ると、病院に向かった。医者を捕まえ、警察の権威をかざして協力を求めた。ついでに、慧のカルテから、彼女の自宅の電話番号を拾い上げ、コールする。


 姪の悠が出た。


「もしもし、さきほどお会いした三鷹ですが。お母さんいますか?」


「いますけど。おねーちゃんに何かあったんですか?」


「いや、これからあるんだ。君にも伝えておこう。ショックを受けないでほしい、明朝、慧さんが閉鎖病棟に収容されることになったんだ。さっきから〝自分の前世は殺人鬼なんだ〟とか、わけのわからないことを叫んでいてね。医者が隔離を決めた」


「へーさびょーとー?」


「誰にも会えない病院のことだよ」


「ええ? じゃあ、おねーちゃんに会えなくなるの? そんなのやだよ!」


「申し訳ない。でも君の安全のためなんだ」


 彼は、そのほかの関係者にも話を通した。


☆☆☆

 

 段取りが終わったところで、病院の喫煙室に陣取った。パイプをふかせるのはここだけだし、なにより病院の玄関前を見下ろせる。それにベンチ、自販機、携帯を充電するためのコンセントの差し込み口もある。


 彼はベンチの端に落ち着くと、読みかけの『二都物語』を取り出し、待ち人が現れるまでページをめくり続けた。


 太陽が空を半周し、血のように赤く燃え上がって丘の向こうに沈んだ。夜の七時を回ると、海の方から雲の群れが押し寄せてきた。横浜の繁華街の強烈な灯りが、雲の下部を不気味なオレンジに染めあげる。


 喫煙室には、入院患者が入れ替わり立ち替わり訪れたが、九時を回る頃には人も少なくなり、消灯の十時を超えると、彼のみとなった。


 十二時には、横浜中心部の繁華街の灯も消え、雲からの照り返しもなくなった。空は暗闇に戻り、浜風が時折、窓の外の木を揺らした。救急搬送はなく、患者の急な容体悪化もなかった。病院内は静まり返り、ときおり巡回の警備員の足音が響くのみだった。


 三時過ぎ、住宅街の方角から人影が近づいてきた。彼はベンチに身を沈めると、スマホのカメラ部分だけを窓ガラスに当て、様子を伺った。


 人影は塀や電柱の陰を辿りながら病院に接近すると、救急搬送口に消えた。警備がいるが、どうにかして侵入してくる。彼はそう確信していた。


 喫煙室を後にすると、階段を上がり、野々市慧の隣室に潜む。扉を数センチ開け、外を伺う。


 どれくらいの時間が経ったろうか、衣摺れの音がした。


 いつのまにか人影が慧の病室前に立っていた。


 扉に手をかけ、静かに静かに開いていく。三十センチほどの幅ができたところで、影はするりと室内に滑り込んだ。


☆☆☆

 

 彼は隣室から出ると、影の後に続いて慧の病室に入った。影の消音ぶりも素晴らしいが、こうした隠密行動にかけて、彼の右に出るものはこの世に存在しない。彼の能力は濃密な前前世以前の経験に裏打ちされている。


 影は彼が入ってきたことに気づかないまま、ベッドサイドに立っていた。手には万能包丁を握っている。強烈な殺意が部屋の中に充満していた。影のものか、慧のものか、それとも彼自身のものか。


 彼はじっと待った。影が自ら包丁を手放す。それが理想だ。

 

 影は身動き一つしない。


 巡は部屋の隅の暗がりに溶け込んだ。かつての生活が頭をよぎった。いまから何百年前か、彼はいつもこうやって闇に身を潜めていた。あのころは、電気もなく、夜は常に彼のものだった。いまは灯が多く、才能を発揮する機会は少ない。


 影の手が包丁をふりかぶった。


「残念だ」彼はつぶやくと影に飛びかかった。ネコ科動物のような滑らかな動きで、相手の手首を掴み、包丁を奪い取る。首根っこを掴むと、思い切り振り回し、壁際のソファに放り投げた。

 

 相手はソファのクッションに埋まり、スプリングに弾かれて、部屋の壁に叩きつけられた。咳き込みながら床に蹲る。


 彼は息を吐くと、ベッドサイドの読書灯を付けた。


 やわらかな光が、憎しみに囚われた悠の小さな顔を照らした。

 

 ☆☆☆☆

 

「本当に残念だ」


 彼の言葉に悠が首を傾げた。目が潤み、涙が溢れる。


「なに? おじちゃん、いきなりなんなの? 悠、お見舞いに来ただけなのに」


 彼は床に落ちていた包丁を拾った。刃先から糞便の匂いが漂っている。これが皮膚を掠めれば、幾万の細菌が入り込み、肉を腐らせるだろう。


「料理でもする気だったのか?」


「うん!」


「慧さんを料理しようと?」


「なにいってるの、おじちゃん。意味わかんない」


 彼は包丁を壁に突き刺した。刃が音を立てて震える。


「とぼけるのはやめろ。本当の幼児ならともかく、大人のモノマネは見てて気分のいいものじゃない」


「なに? なに?」悠が怯えたようにいう。「おねーちゃん! 助けて! 起きて!」


 慧が身を起こした。


「起きてるよ」


 悠が目をむいた。


「起きてたの? なら、なんでーー」


「なんで寝たふりをしたのかって?」と巡。「わたしがそうするよう指示していたからだよ、メアリー・フレッドソン」

 

 ☆☆☆☆

 

「誰? それ」と悠。


 その目は、巡が壁に突き刺した包丁を睨んでいる。


 彼はいった。


「メアリー・フレッドソン。君の前世だ。いや、アンナ・シェフールドか、リンダ・マイクロフトか。正確に誰かは分からない。候補は三十人以上いるからな」


「おじさん、前世占いでもするの?」


「いいや。だが、君がどんな姿だったかはわかる。年齢は十六から二十一。美しい容貌の持ち主で、知性も高く、いい学校に通っている。白人、髪の色は黒、ロングのセンター分け」


「なんでーー」


 悠の言葉を彼が継いだ。


「わかるの? だろう。いまのはテッド・バンディ、つまりそこにいる野々市慧の前世が好んだ女性の容貌だ。彼は同じ見た目の女性ばかりを狙い、犯し、惨殺した。君はその犠牲者の一人だった」


 彼は懐から捜査手帳を取り出し、ページをめくった。


「記録によると、テッドの手口はこうだ。左手にギプスをはめ、女の子に声をかける。これから車で荷物を運ぶんだが、あいにく手を怪我してる。手伝ってくれないか。単純な手口だが、顔がよく物腰も爽やか。断る子はほとんどいなかったそうだ。獲物を車に乗せて、人気のない工場跡地や山の中に連れ込む。殴り、脅し、肛門を犯した後、ナイフでメッタ刺し」


 闇の中だが、悠の顔が強張っているのがわかった。


 彼は続けた。


「被害者はさぞかし苦しみ、恨みを抱いただろうな。その思いは死んでも残り、来世へと受け継がれる。とはいえ、魂が転生したのはアメリカから遠く離れた日本だ。もう自分とバンディは関係ない。新しい生を思い切り生きよう。そんなときに、占い師が余計な一言を告げる。いつも仲良くしている叔母のお姉ちゃん、彼女の前世がテッド・バンディだと。前世の記憶が一気に蘇る。許せない。あいつが来世で幸せに暮らしてるなど、絶対に認められない。だから、殺す。できれば事故に見せかけて殺る」


 悠が大人のように肩をすくめた。


「なにそれ、バカバカしー。おねーちゃんは転んだわたしを自分から助けてくれたんだよ。わたしが、おねーちゃんをやっつけようと思ってるなら、見捨てればいいだけだよ。そうすれば、わたしは電車に轢かれたり、階段から落ちたわけだし」


 彼は、ベッドで体育座りをする慧を見つめた。ぎゅっと両目を瞑っている。


「そこがわからなかった。たしかに慧さんは君に殺意を抱いている。だが、それでいて君を守りたいとも考えている。現世で培った感情が、呪われた魂に反抗しているとでもいうのか。君は、それを感じ取り、自殺行為を繰り返した。慧さんが君をかばい、事故死するようにね。慧さんも、それをよしとした。前世に囚われた姪のために、死を選ぼうとした。ところが、突如、彼女が精神病院に放り込まれるという。そんなことになれば、殺すチャンスはなくなる。というわけで、いまに至るわけだ。違うかな?」

 

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