「食べてないだと?」
第二夫人の報告に、七王子がいった。
彼の足元には、慧と第八夫人のトレーがあった。
彼が二人の牢の前に立った。
慧にいう。
「どうして食事を残した? 神からの贈り物だぞ?」
「カニバリズムの趣味はないわ」
「なにか勘違いしてるんじゃないか? あれはただの豚肉だ」
慧は笑った。
「わたしはあなたの同類よ。目の前にある肉が、なんの動物かくらいわかるわ」
七王子がうなずいた。
「だろうな。たしかに、あれは厳密にいえば俺が愛した女の肉だ。だが、やつは神に歯向い、豚に等しい存在に堕ちた。それを喰らうことは、神の教義となんら矛盾しない」
「あんたの神は頭がどうかしてるんじゃない?」
彼がため息をついた。
「まったく。君なら俺のことをすぐに理解してくれると思ってたんだが。時間がかかりそうだな。とはいえ、いずれにせよ神を侮辱した罰は受けてもらう」
慧は猫のように身をかがめた。
鎖は相変わらず右腕と水道パイプをつないでいる。この状態でどう戦うか。
七王子が天を仰いだ。閉じた瞼が小刻みに痙攣する。五分ほどそうしたろうか、突然頷くと、踵を返して部屋の外に出た。廊下から、何かを探すような音がしたあとで、再び部屋に戻ってくる。
手にはツルハシとスコップがあった。
彼はスコップを第二夫人に渡した。
「手伝うんだ」
「えーと、なにを?」と、第二夫人。
彼はTシャツを脱ぎ捨てた。筋肉質な体が露わになる。
「掘るんだ」そういうと、ツルハシを床のコンクリ目がけて振り下ろした。
耳障りな音とともに、コンクリが弾けた。砕けたカケラがとんでくる。慧は首を傾げてよけた。カケラは水道パイプに当たり、小気味のいい音色を奏でた。
彼は、機械のようなパワフルさと正確さで床を掘り進んだ。第二夫人と第一夫人が、スコップとバケツをつかって瓦礫を壁際に積み上げていく。三十分ほどで瓦礫の山は人の背丈ほどになった。
七王子の頭は、穴のふちから下に消えていた。
ふいに泥だらけの手が突き出し、へりを掴んだ。七王子が体を引き上げる。これほどの運動をしたというのに、息はほとんどあがっていない。
彼は慧の牢屋に歩をすすめ、直前で第八夫人の牢に方向を変えた。ジーンズに手をつっこみ、鍵束を取り出す。
「さ、第八夫人。頑張ろうじゃないか」
第八夫人が「なんで!?」と、叫んだ。
彼が手を広げた。
「おいおい、さっきいったろう。罰を与えると」
「でも、それは野々市さんにいったんじゃないの!?」
「もちろん彼女にも罰は必要だが、おいおいのことだ。まずは罪の重いものに贖罪のチャンスを与えないとな。第二夫人から聞いたが、君は慧さんにあることないこと吹き込んだらしいな」
第八夫人が鬼のような形相で第二夫人をにらんだ。当の第二夫人は、クッションにもたれ、つまらなそうに雑誌をめくっている。
七王子が牢を開き、第八夫人とパイプをつなぐ鎖を外した。第八夫人は「いや、やめて!」とわめき、パイプにしがみついた。「出たくない!わたし、ここから出たくない」
「しょうがないやつだなあ」
七王子は幼稚園児に語りかけるような口調で、彼女の手首を掴むと、無理やりパイプから引き剥がした。
☆☆☆☆
七王子が涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにした第八夫人を穴に落とした。相当深いらしい、慧からは彼女の手すら見えなかった。
第八夫人が叫んだ。
「お願い! 殺さないで!」
七王子がいう。
「まさか、殺したわけなどあるもんか。俺は神の手にすべてを委ねるだけだ。できれば、君には生き延びて、また貞淑な妻に戻って欲しい」
「なります! わたし、いい奥さんになります」
「嘘だ。それは君の中の悪魔がいわせてる言葉だ」
穴の底から、ああ、と絶望しきった声が聞こえた。
七王子は第九夫人の遺体を洗った消火ホースを手にすると、首を振った。第一夫人が壁のハンドルを回す。ホースが蛇のようにはねて先端から水が噴き出した。七王子はそれを穴に突っ込んだ。
「やめて!いや!水とめて!」第八夫人が叫ぶ。
意外にも、彼は手を振って水を止めさせた。
げほ、ぐは、と、穴の中からむせる音が聞こえた。
七王子がまた手を振った。
第二夫人がクッションから身を起こすと、鉄扉の外に出た。しばらくすると、車用のバッテリーとコード類を手に戻ってきた。
七王子はそれらを組み合わせ、何気ない様子でコードを穴に投げ入れた。
それで終わりだった。
七王子が首をかしげた。
「おや? おいおいおい、まだたったの一回だぞ。まさか? おーい」
「死んだ?」第二夫人が穴の淵から覗き込む。
「うーん、そうみたいだな。前世でやったときは、この程度のアンペアじゃ問題なかったんだが。日本人はアメリカ人より電流に弱いのかな」
「あーあ、せっかく掘ったのに、ねえ」
「ああ、何時間もかけたのに、これで終わりとはなあ」
「もう一人いきます?」
第二夫人が慧を指差した。
彼は、しばらくの間、慧を見つめてからいった。
「安心してくれ、電流は少しずつ強めることにするよ」
☆☆☆☆☆☆
第二夫人がいった。
「先にここで第八夫人を処理しとかない? そうしておけば、あなたが罰を与えてる間に、わたしか第一夫人が向こうの部屋で片付けできると思うんだけど」
「ん、それもそうだな」
七王子はそういうとバッテリーの電源を落とし、身をかがめた。腕の筋肉が盛り上がり、ぐにゃりとした第八夫人の遺体を引き上げる。
第一夫人と第二夫人が鉄扉の向こうから、人間ミキサーを引っ張ってきた。以前、第八夫人が説明した通りの代物だ。鉄の樽、その周りを囲むエンジン。樽の中には複数の回転刃があるのだろう。台車の下に小さなタイヤが付いていた。キコキコと軋みながら、円形部屋に入ってくる。
「ここでするの?」第三夫人が不安げにいった。
第二夫人がうなずく。
「最近、気が緩んでるコが多いからね。たまには、悪の心を持った人間がどうなるか、見せてやらないと」
七王子が満足げに第二夫人を見た。
第二夫人が人間ミキサー各部のスイッチをひねり、エンジンから伸びた紐を次々に引っ張る。けたたましい音と共に怪物が目覚めた。エンジンはモーターボートか原付用だったらしい。灰色の煙を樽の底から吐き出し、身を震わせている。
七月王子が遺体を放り込み、突き出していたレバーを倒した。
胸がムカつく音と共に、ミキサーが第八夫人を粉砕していく。
牢内にいる夫人たちが悲鳴をあげる。
何かが慧の頬をかすめて水道管に当たった。コン、といい音がする。床に転がったのは、遺体から千切れた指だった。
騒音の中、第二夫人がいった。
「鍵、ちょうだいよ」
「ん?」と、七王子。
「ほら、調理室で火を使うには、あなたの持ってるマスターキーが必要だから」
「ん、そうだったな」彼はそういうと、ジーンズのポケットからカードキーを取り出し、第二夫人に渡した。「二人でいい味に仕上げてくれよ」
「まかせといてよ」第二夫人はそういうと、第一夫人と二人で、回転中のミキサーを押して、鉄扉から出ていった。
鉄扉が閉まると、耳を引き裂かんとしていた音が急に弱まった。
慧は唾を飲んだ。
次は自分が穴に入る番だ。
だが、当の七王子は別のことが気になっているらしく、彼女に注意を払わない。ポケットからスマホをだして、幾度も画面をチェックしていた。
そのスマホが突如鳴りはじめた。
七王子は深くため息をつくと、鉄扉から出ていった。
しばらくして、扉が開いた。
七王子が悲痛な顔で入ってくる。彼のたくましい両肩に、第一夫人と第二夫人が乗っていた。第二夫人は鼻骨が粉砕され、滝のように鼻血を出している。第一夫人は首がありえない角度に曲がっていた。
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