シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

ローマから横浜へ

公開日時: 2020年12月21日(月) 12:03
文字数:4,523

コロセウムの神オルゲトリックスは、翌朝姿を消した。


 以降、彼がローマっ子たちの前に姿を現すことはなかった。あれほどの圧を放つ人間が隠れ生きるなどできるはずもない。カンピドリオの官舎に向かい、おそらくはあのラシャと呼ばれる護衛兵に殺されたのだろう。


 オルゲトリックスの消失は、若き皇帝の突然の崩御以上にローマに落胆をもたらした。俺はオルゲトリックスの後継者として、その後もコロセウムに君臨したが、彼に比べれば苦戦の連続で、百勝を達成したときには右の小指と薬指、左耳、右目を失っていた。


 自由を得たのちは、拳闘からはきっぱり足を洗った。手にした小金で串焼きの店を開いた。フルーツを使った下処理による羊肉の柔らかさと、魚醤を隠し味に使ったタレが評判となり、かなり繁盛した。数年後には妻を持ち、子を得た。元奴隷としては破格の成功だ。


 さらに何年かしたころ、街に「怪物」と呼ばれる殺人鬼が出た。


 怪物は老若男女分け隔てなく殺した。


 当時は近代的警察組織などない。殺人が起きた時、犯人を捜し、落とし前を付けさせるのは、被害者を庇護する義務を負っていた有力貴族だった。ある程度の地位を持つ市民は、誰もがさらに有力な貴族の門弟となっていた。市民たちは日常的な困難にさいし、貴族に助けを求める。職がない、金がない、結婚相手がいない。貴族はもちろん答える。その見返りに、「いざというとき」には、市民たちは全力で貴族を支えるのだ。互いに支えあう関係なのだ。もし、一門の誰かが殺されたりしたときは、貴族が復讐に手を貸すのは当たり前のことだった。


 毎日のように、夜が明けると同時に遺体が発見され、彼らを庇護する立場にあった貴族たちは必死で犯人を捜した。だが、見つからない。


 ローマ市民たちの間に恐怖が広がり始めた。


 当時は「殺人鬼」などという概念はない。人が他人を殺す理由は、怨恨や金以外になかった。


 しかし、被害が拡大するにつれ、市民のなかに「殺人を快楽として楽しむ怪物」がいるという噂が立ち始めた。誰もが疑心暗鬼に陥った。目の前にいる相手こそが、じつは悍ましいバケモノかもしれないのだ。


 ローマ近郊での経済活動がしぼみ始めた。


 夜間に出歩く人間はぐっと減り、諸外国からの貿易団もローマ市内に入るのをしりごみするようになった。


 新しい皇帝は事態を重く見て、近衛兵団に「捜査」を行うよう指示をだしたが、それでも犯人を捕らえることはできなかった。


 ある日、俺は肉の仕入れの帰りに、「怪物」の被害者を目にする機会があった。四つの遺体は路地から半ば大通りに体を突き出すように倒れていた。助けを求めようとしていたのだろうか。


 死んでいたのは、若い男女、十代前半の少年、それに老婆だ。


 彼らを遠巻きに眺め、俺はちょっとしたことに気付いた。


 みな、妙に体を鍛えこんでいたのだ。


 トーガの上からでも、全員の発達した僧帽筋が見て取れた。死んではいるものの、肌艶は健康的で、日常的に良質な食材をとっていたことがわかる。衣服は上等なものだが、地味な色に染められて一見安物のようにも見える。


 被害者全員に共通する点はまだあった。


 みな、素手で殺されていたのだ。


 刃物や鈍器による傷がない。


 拳闘士だった俺には分かった。


 遺体の顔面の損傷は、拳によるものだ。


 大きな拳だ。下手人の体格は俺とほぼ同じだろう。滅多にいないほどの偉丈夫だ。


 もし、俺が利き手の指を失っていなければ、犯人に間違われたかもしれない。幸い、傷跡はハッキリと五本指の拳を握った形をしていた。


 ローマ市内に、俺ほどの体格を持つものは、ほかに四人いた。


 その一人は、俺の住居にほど近い、ティレベ川沿いのパン屋の主人だった。


 白髪の好々爺で、歳は六十を超えているが頑健だ。やろうと思えば、一人で四人の人間を同時に打ち倒すこともできるかもしれない。だが、この男ではありえない。彼は近所でも評判の善人だったのだ。貧しい人々にパンを分け与え、己の財産すら差し出すほどの、超がつくお人よしなのだ。


「怪物」が出てから半年ほどたったある日、俺は、街中でこのパン屋を見かけた。


「やあ、調子はどうだい?」と声をかけようとして、彼のあとを付けている人間に気づいた。


 男が一人、彼のすぐ後ろから離れないのだ。


 歳は十六ほどか。


 生粋のラテン系で、トーガの仕立てからして上流階級の人間だろう。足取りは確かで格闘術の素養を感じさせる。


 嫌な予感がした。


 ラテン男のまとう雰囲気は闘技場における闘士たちのそれに似通っていたのだ。


 パン屋が大通りから路地に入った。


 ラテン男が続く。


 俺はあわてて人混みをかきわけた。


 予感が止まらない。


 俺は路地の奥へ進んだ。拳を開け閉めする。大丈夫、戦い方はまだ覚えている。


 角を何度か曲がると道がなくなった。


 行き止まりだ。


 終点に、さきほどのラテン男が倒れていた。首の骨を折られている。


 背後で物音がした。


 振り返ると、建物の壁に張り付いていたのだろうパン屋が地面に着地し、大通りへ逃げていくところだった。


 その後ろ姿を見て、俺はふいにオルゲトリックスを思い出した。あの分厚い筋肉、オルゲトリックスもああだった。あの腕の振り方、足の動かし方、そっくりだ。というか、あれはどう見てもオルゲトリックスだ。


「親父!」思わず叫んだ。


 パン屋は立ち止まりもせずに大通りへ抜け出し、雑踏に消えた。


 

 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 

「親父!」


 俺は横浜大学のメインストリートを走りながら叫んだ。夜の八時半、学内からは人気が消えている。


 二十一世紀に生きる俺は、この大学の理工学部に通う一学生だった。専攻は建築学、選んだ研究テーマは〝古代ローマ建築に使われたジオポリマーの再現〟だ。


 俺は古代から現代まで数え切れないほどの人生を歩んできたが、近代以降は主に学者として過ごしている。


 ビルガメスにとって、最大の財産は無制限に蓄えることのできる「知識」にほかならない。知識は金と違い、確実に来世に持ち越せる。

 俺は充実した学生生活を送っていた。


 学業は順調、美しい恋人がおり、比較的裕福な家庭に生まれたので仕送りも多い。肉体も、大昔に身につけた操縦技術のおかけで完璧に仕上がっている。


 いつものように、この肉体も髪が赤みがかっていた。曽祖母が、ローマ時代の俺の血をわずかながらに引いていたのだ。闘士時代の偉容は失われたが、反射神経は健在だ。


 十月の夜、俺は研究室を出て家路を急いでいた。メインストリートを小走りに進み、向かいから来るカップルとすれ違う。


 男の方は、中肉中背の中年。女は女子高生だ。


 いや、よくよく見れば、男の外見は高校生くらいなのだが、俺はなぜか相手を中年と認識した。とても柔らかな雰囲気の男だ。漢は俺に目を向け、かすかに震えた。


 俺のなか、遠い日の記憶がかまくびをもたげた。


 向かいからきた男は、あのティレベ川沿いのパン屋に似ている。


 雰囲気がよく似ている。


 パン屋が顔をあげ、目があった。


 やつは途端に踵を返し、女を置いて走り出した。


 だが、俺も足には自信がある。


 俺は追いかけながら叫んだ。


「親父!」


 自分の口から出た言葉に、俺は驚いて足を止めた。


 パン屋が足を止めている。


 パン屋の背中が急に膨らんだような気がした。


 振り向いた時、高校生の少年は、俺にとってはオルゲトリックスそのものになっていた。


 

 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 


 俺たちは大学の敷地の中心にある野外音楽広場に腰を下ろしていた。芝生は丁寧に管理されており、文字通り緑の絨毯といった感触だ。

 ここから見る理工学部の研究棟は夜中だというのにほとんどの窓に光がともっていた。学部の四年生たちが卒論の追い込みに必死なのだろう。


 俺はオルゲトリックスの話を聞き終えたところだった。


「進歩派と破滅派? ビルガメスが二派に分かれて争ってる?」


 信じがたい話だ。世界の陰の歴史? 正義と悪の激突?


 オルゲトリックスがあきれたようにいった。


「お前、本当に知らんのか? ローマ時代にはすでに激しくぶつかり合っていたぞ? だいいちお前、俺が破滅派の一人を殺ったとき、現場に来たじゃないか」


「あのパン屋、やっぱりあんただったのか。あんただっていう確信があれば、何が何でも追ったんだけどな」


「俺はビルガメスのなかでも変わり種なんだ。現世人格と前世人格が融合せず、多重人格として共存する。だから、人格を交代すれば、完全な別人になれる。この通りにな」


 俺の目の前で、オルゲトリックスが変身した。


 年相応の高校生、三十路の女性、老人、子供。


 どれも肉体は変化していない。


 ただ、中身が違う。


「なるほど、それで〝はじまりの俺〟なんていっていたわけか。で、あんたの『自由』は、あのあとどうなったんだ? 自由になれたのか?」


「常に自由を感じ続けているさ。破滅派のビルガメスはみな強い。最高の獲物だ。しかし、究極の自由かと問われればそうではない。なにせ俺より強いヤツがいるからな」


 彼が頭で広場の隅を示した。


 彼といっしょに歩いていた女性に加え、幾人かが辿っている。


 制服姿の女子高生、小学生くらいの女の子、同じく小学生の男児三人、ジャージ姿のヤンキー女、扇情的な服装の女性、それに、スーツ姿の若い男。


 俺はつぶやいた。


「あいつ、あのときの護衛兵じゃないか。ラシャとかいったか」


「そうだ。御使派の筆頭狩人、バビロニアのアフカルだ。やつこそ人類史上最強の男だ」


「行動を共にしているのか?」


「ああ、御使派に協力するなら、いつでも命を狙っていいというものでな」


 そのアフカルがこちらに向かって手を振った。自分の腕時計を指すそぶりをする。


 オルゲトリックスがいった。


「いまから呑むんだ。お前も来るか?」


 俺は首を横に振った。


「遠慮しておく」


「そうか」オルゲトリックスが立ち上がった。「もう会うこともないだろう」


「あんたに、究極の自由が訪れることを祈るよ」


「お前の自由も願おう」


「俺はもう自由だ」


「なら、それを守るんだな」


 オルゲトリックスの雰囲気が消えさり、目の前にいる男はただの高校生になった。


 高校生は肩を竦めると、仲間のもとへ向かった。


 女子高生が「夕、またせすぎ!」といって、その肩を叩いた。


 奇妙な心地だった。


 自分がオルゲトリックスを許していることに気づいたのだ。


 俺の仇でもあり、父でもある男は、仲間たちと共に去った。


 俺は研究課題のことと、オルゲトリックスのことを交互に考えながら学生寮に戻った。


 その後、夜中の2時ごろまでノートパソコンで資料整理をしたあと、五分百円の有料シャワーを浴びて、狭いシングルベッドに潜り込んだ。


 ようやく眠りについた矢先、部屋の扉が激しくノックされた。


「誰だよ」と叫ぶと、隣室の山本の声が「いますぐテレビをつけろよ!」と返してきた。


 俺は頭をかきながら壁にかけた十五インチの液晶テレビのスイッチを入れた。


 映し出されたのは、燃え盛る住宅街だった。二十軒、いや、三十軒近くがまとめて燃えている。何十台もの消防車が通りを埋め尽くし、必死に放水しているがまさに焼け石に水だ。


 俺は窓の外を見た。空がぼんやりと光っている。


 かなり近い。五キロも離れていないだろう。


 テレビの中でNHKのアナウンサーが興奮気味に話している。テロか、事故か。


 俺は、なぜかオルゲトリックスが関係しているような気がした。

 

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