七王子が泡を吹いて転げ回っていた。
「こいつ! よくもご主人を!」
第三夫人がわめきながら、慧に飛びついた。歯をむき出し、彼女の首筋に噛み付こうとする。慧は体力を失い過ぎたせいか反応できなかった。
“兄”が手に持っていたガスボンベを、ひょいと投げた。数十キロはありそうなボンベが第三婦人の腰に命中し、彼女を壁に叩きつけた。頭を打ったのか、そのまま崩れ落ちる。
「遅くない?」
慧は息も絶え絶えいった。
“兄”が眉をひそめた。
「扉を破る道具が、なかなか見つからなかったんだ」
彼女は目をぐるりと回した。
「で、ボンベ? 爆発するって思わなかったの?」
「しなかっただろ?」
“兄”が学校指定のワイシャツを脱いで、彼女に投げた。彼女はそれで胸と股間を隠しながら立ち上がった。激しい運動の後だからか、呼吸が乱れ、足取りがおぼつかない。
“兄”が、芋虫のようにうごめいている七王子を見下ろした。
「こいつが上の部屋の新聞にあったハイドニックとやらの生まれ変わりか。なんだこの樽は? よほど頭がいかれてないとこんなものは作らないだろ」
悪態をつくかのように、ミキサーが、うおおおん、と唸った。丸刃が回転し、半ば液体となった第八夫人を攪拌し続ける。
七王子が仰向けになり、“兄”をにらんだ。泡を口の端に残しながらいう。
「誰だよ、お前」
「警察、みたいなもんだ」
「なんで警察がこんなところに」
「お嬢ちゃんから聞いてないのか? こいつは俺が面倒を見てるんだ。行方不明になりゃ、もちろん探すさ」
「でも。どうしてここが分かったの?」慧がいった。
“兄”が人差し指を振った。
「同類は同類の考えることが予測できるもんだーーなーんてな。単に、嬢ちゃんの携帯を追跡しただけだ。そこのハイドニックくんは、嬢ちゃんを捉えてすぐにGPSログを削除し、携帯を破壊したみたいだが、時間をかければログは復元できるんだよ。現世のことは勉強しとくもんだな。ま、こういってる俺も、今回、巡に教わって初めて知ったんだがな」
「GPS?」と慧。
「ああ、便利な世の中になったもんだぜ。スコットランドヤードにいた時からは考えられん」
“兄”が懐に手を突っ込んだ。
七王子が身を強張らせた。
「お、俺を殺す気なのか? 」
「いや、生かしとくよ。俺はもともと“ぶっ殺す派”だが、巡の奴がうるさいからな。お前は更生するんだ」“兄”が手錠を取り出した。
「まじかよ。俺を生かしとこうっていうのかよ」
「ああ」
「そんなの、冗談じゃない」
どこにそんな力が残っていたのか。七王子が慧めがけてタックルを仕掛けた。“兄”が滑らかな動きで立ちふさがる。七王子を受け止めようと身構をかがめる。
七王子は笑っていた。
彼は叫びながら、方向を変え、高速回転中の人間ミキサーに飛び込んだ。
ゴミ収集車のクロウラーが生ゴミをプレスするような音が響いた。ミキサーがどす黒い血を吹き上げる。歯車がひときわ大きく悲鳴をあげ、底面から大量の煙を吐き出す。
牢内にいた女たちが絶叫した。
ミキサーの何かが、バキリと音を立てて壊れた。小刻みに震えながら動きを止める。樽の底に穴でも空いたのか、真っ黒な液体がじわじわと漏れ出し、床の上に広がった。
目が痛くなるほどの汚臭が漂う。
「やられたな」
“兄”が目元についた真っ黒な血を親指でぬぐった。
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