シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

テッド・バンディ死にかける

公開日時: 2020年10月6日(火) 23:11
文字数:4,172

 夜空で雲がうごめいていた。


 また台風が近づいているのだ。


 向かいにあるワシントンホテルの屋上で、航空警告灯が赤く点滅している。


 彼は懐に手をやり、ホルスターの感触を確かめた。


 信条としては、どんなシリアルキラーでも更生できると信じたい。だが、万一、彼女が誰かを欲望の餌食にしようというなら、やむを得ない処置も考えなくてはならない。


 翌日は土曜日だった。


 彼は朝一番から〝喫茶店〟で待機していた。土日の野々市慧のシフトは十時から十七時だ。


 三杯目の紅茶を飲みながら、壁にかけたデジタル時計をにらむ。


 十時十三分。


 否応なしに心が騒いだ。


 単なる遅刻だと思いたい。占い師の瑠璃の口ぶりでは、彼女の限界はもう少しだけ先だったはずだ。

 

 ガラス製の急須から、四杯目の紅茶を注ぎ始めた時、机上の電話がなった。


 もしもし、と出ると、知らない女の声がいった。


「あの、わたし野々市檀と申しますが、そちら妹のバイト先でよろしいでしょうか?」


 彼は安堵のため息をついた。


 彼女がやらかしたなら、警察仲間から連絡が入るはずだ。叔母がかけてきたということは、体調不良だろう。夏風邪でもひいたか。


 ところが、慧の叔母の口からは予想外の言葉が出た。


「あの、じつは姪が事故に遭いまして。かなり重いので、アルバイトは当分お休みにしていただけますでしょうか?」


 

 ☆☆☆☆


 

 これを作った人間は、ドイツ人の生まれ変わりだな。

 

彼は、横浜市立病院を見上げて思った。七階建ての飾り気のない建物だ。四面四角、実用一辺倒で遊び心がまったくない。背後に聳える空は黒雲が立ち込め、いまにも崩れそうだ。


 野々市慧が入院しているのは、一般病棟だの四階だった。


 いったいなにが起こっているのか。


 彼は面会申込書を記入しながら考えた。


 まず、彼女はテッド・バンディの生まれ変わりだ。そこは間違いないだろう。あれほどの殺意は、よほどの恨みがなければ常人には放てない。飢えたライオンが獲物に手を伸ばそうとした。そんな純粋な殺意だった。


 放置すれば、獲物は鉤爪に割かれ、内臓をぶちまけて死ぬだろう。彼女の危険度は猛獣に勝るとも劣らない。


 いま、彼女が狙っているのは自身の姪だ。どうにか自制しているものの、近い将来、彼女は殺す。そうなればテッド・バンディとしての本能は爆発し、陰惨な殺しが連続する。


 そんな彼女が、事故で重傷を負ったという。


 それも、彼が彼女の前世をつきとめた翌日にだ。


 単なる偶然とは思えない。


 彼は携帯を取り出すと、まち子に電話を入れた。


 眠そうな彼女の声が答える。


「はい、町山ですけど」


「わたしだ」


 電話の向こうで、どたばた音がした。


「この何日かで、君たちの誰かが動いたりしたか?」


 なかった。


 先々週以降、誰も新しいビルガメスの殺人鬼は見つけていないし、処理しようともしていないという。


 これで、喫茶店のメンバーが極秘裏に彼女を殺そうとした線は消えた。


 書類を受付に提出してエレベータに向かう。しばらく待ってボックスが着いたが、同じタイミングで妊婦の集団が後ろに並んだ。彼は会釈すると、彼女らをボックスに入れ、自分は階段を選んだ。紳士たるもの、いかなるときもマナーを忘れてはいけない。礼節こそが人格を整える。



☆☆☆


 

 病室の前で立ち止まると、呼吸とネクタイを整えた。ノックし、返事を確認してなかに入る。


 三人の人間がいた。


 ベッドの上に野々市慧。顔のあちこちに絆創膏と痛々しい擦り傷。頭には包帯。右足にギプス。彼女は、なぜ彼がいるのか? と問いたげな視線をよこした。


 ベッド脇の丸椅子の上に、慧より十ほど年上の女性。昨日、バス乗り場でも見た。慧にそっくりな美人だが、魂の性質が異なるせいか、まるで違う印象を受ける。おだやかな羊だ。


 その膝の上には、悠がいた。小さな姪は母親の膝から降りると、ぺこりと頭を下げた。


 慧の姉だろう彼女がいう。


「あの、もしかしてーー?」


 彼がバイト先の上司であることを告げると、慧の姉は、やりすぎなほど恐縮した。

 

 彼女によれば、慧は姉一家と同居しているという。

 

 今朝方、姪の悠がベランダから落ちかけた。慧はそれを助けようと身代わりになった。

 彼は、ひとしきり慧の勇気をたたえると、彼女と二人きりにしてもらえるよう頼んだ。

 

 姉は受け入れ、悠を連れて部屋を出た。

 

 慧の目に警戒の色が宿る。

 

 彼は微笑むと窓際に寄った。

 

 高台からは横浜の街並みがよく見えた。斜面に沿って家並みが続き、谷底の相鉄線と国道十六号線につながる。線路を超えると、ふたたび地面が隆起し、空に向かって家と道路が伸び上がっていく。こちらの丘と向かい合う丘の中腹には、彼の住むマンションが見えていた。

 

 彼は豪速球を投げた。


「君はテッド・バンディだ」


 変化はなかった。彼は優れた観察力を持っているが、呼吸、目線、表情、彼女は何一つ変化させなかった。


 すごい意志の力だ。


 彼はいった。


「動揺を隠したのは見事だよ。ただ、テッド・バンディって誰ですか? と聞くべきだったな」


「わたし、昔から急に話をふられるのが苦手で。誰ですそれ?」と彼女。

 

「いいんだ。君がそうだということははっきりしている。いまのは単なる確認作業だ」


 嘘だ。根拠は瑠璃の真贋怪しい占いだけだ。


「あの、何をいってるのかさっぱりなんですけど、〝前世〟だなんて、本気でいってるんですか?」


「もちろん本気だ。世の中には前世の記憶を持つ人間がいる。君はその一人であり、なおかつ、君の前世は殺人鬼だ」


「あの、仮にわたしの前世がそうだとしたら、三鷹さんが一人で来るなんておかしくないですか? 話しぶりからすると、相当危ない人なんでしょ。その、テッドなんとかさん。お見舞いに来てくれたのはうれしいですけど、わけのわからないことをいわれるのは、ちょっと」


 彼はパイプを取り出そうとして、院内が禁煙だったことを思い出した。ケースを懐に戻す。


「君のことが気になったんだよ。シリアルキラーの前世を持つ人間は、そのほとんどが思春期に活動を再開する。きみはまさにその瀬戸際に立っている。人間として生きるか、殺人者として奈落に落ちるか。きみは、いまのところ踏みとどまっている。欲望の対象である姪ごさんを庇って、そこまでの傷を負うとは、すばらしいよ」


 彼女の目が沈んだ。なにかいおうと口を開きかけ、閉じ、もう一度開く。


「わたしが、悠を庇った? たしかにそういえなくもないですけど」


「違うのかい?」


 彼女は首を横に振った。


「一日だけください。そうすれば、全部解決しますから」


「許せると思うか? きみは姪ごさんを殺しかねないんだぞ?」


「あの子が死ぬことはありません。わたしが悠を傷つけるはずないでしょう?」


 絶対許可できない。そう思ったとき、瑠璃の言葉が頭をよぎった。“彼女に思いを遂げさせてやりなさい”。思いとは、姪を殺すことだ。だが、いま、目の前にいる彼女の瞳に嘘はなかった。


 彼は何もいわずに病室を出た。離れたベンチに、悠と母親が座っていた。


 悠が近づいてくる。


「慧ちゃんのお見舞いありがとう」


「部下を見舞うのは上司として当然のことだよ。それより、君は本当にしっかりしてるね。いまの言葉なんか大人顔負けだよ。この間も、一人で山下公園駅まで来たんだろう?」彼は近づいてきた母親にいった。「やはり、教育がよろしいんですかね?」


 母親が手を振って謙遜した。


「いえいえいえ、わたしたちは何も。この子は本当に物覚えがよくって。おかげで、楽な子育てさせてもらってます」


「へえ」


 彼は頷きながら、頭の隅に何かが引っかかるのを感じた。


 脳細胞が、ばらばらの情報を整理、連結し、新しい意味を見いだす。見逃していたものが、いま目の前に現れようとしている。分厚い雲が途切れ、隙間から日光が差し込まんとする。


 だが、光は輝く前に、ひょいと消えた。


「それで、このあとお二人はどうなさるんです? よろしければお送りしましょうか?」


 彼は落胆を隠しながらいった。


 母親が、また手のひらを顔の前で降る。


「いえいえいえ、とんでもない。家はここからすぐですから」


「なら、なおのこと送らせてください。ご婦人だけで帰らせるのは紳士として見過ごせませんので」



☆☆☆


 

 とはいえ、本当にすぐだった。


 病院から五分とかからない距離に、三階建ての大きなツーバイフォーがそびえていた。横浜らしく、斜面に張り付くように建っている。玄関と車庫は二階の中程、リビングは一階。三階が各自の個室という造りだった。三階角のベランダに洗濯物が揺れている。バスタオル、タオルケット、小さなTシャツ、小学生用の体操服。


 彼は思った。あそこから落ちたとなれば、三階から一階までまっ逆さまだ。打撲、擦り傷、捻挫で済ませるとは大した運動神経だ。


 去り際、彼は母親にいった。娘さんが一人で出歩くのはよろしくない。しばらくは必ず親御さんがついているように。とくに今晩は目を離さないでください、とも。


 彼女は頷いた。


 彼はそのまま徒歩で谷を下ると、谷底の鶴亀スーパーで食材を買い込み、線路を越え、反対側の丘を登った。彼のマンションはちょうど中腹にある。道からは、さきほどまでいた市民病院、そして慧と悠が暮らす家がよく見えた。


 彼は考えながらエントランスをくぐり、エレベータに乗った。慧が身動きできない以上、ひとまず、姪である悠の安全は確保できた。二人の接触がなければ何も起こりようがない。


 慧の言葉を信じ、あと一日だけ待つ。だが、万一に備え、その間も見張り続ける。


 彼は、パンとソーセージ、ギネスビールの食事を済ませると、シャワーを浴び、スーツを変えて再び家を出た。


 扉に鍵をかけているところに、隣人の阿佐ヶ谷玲子が帰ってきた。彼女は人差し指に鍵を引っ掛け、くるくるまわしていた。彼を認めると、その整った顔が嬉しそうに笑った。


「あら! 三鷹さんも早いですね! 偶然! やっぱり、わたしたちって、ちょっと縁があるのかもしれませんね」


 その通りだよ。巡は心の中で笑った。わたしたちには縁がある。


「いえ、わたしはまた職場に戻りますので」


「ええ、そんなあ」彼女が大げさに天を仰いだ。


 彼はその様子を眺めながら、頭の中で情報がつながるのを感じた。


 前世からの縁。


 そして、瑠璃が、慧の前世を見通した状況。


 慧の不自然な行動。


“あのコはもう我慢の限界。想いを遂げさせてやるしかない”


 瑠璃の言葉が脳裏をよぎる。


 彼は携帯を取り出すと、まち子にかけた。

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