ようやく過去編が終わりましたので、現代編を再開します。
過去編は主人公が巡だけでしたので、別作品にして投稿しております。
読んだら本編がもっと楽しくなるかと思いますが、読まなくてもストーリー上問題ないです。
18××年 アメリカ中西部
エルヴィラ・ベンダーは無愛想な女だった。
繁盛している宿屋の女主人だというのに、客が扉から入ってきてもニコりともしないのだ。
彼女はいつもむっすり押し黙り、近隣の人間でも、彼女が話すところ見たものはほとんどいない。食料品店で買い物をするときでも、ぶっきらぼうに必要な品を指差し、代金をカウンターに叩きつけるように置く。通りで誰かが、「やあ、ベンダーの奥さん!」といっても、目を向けることすらしない。
いつしか、街の住民は彼女のことを〝悪魔女〟と呼ぶようになっていた。
そんな悪魔女の宿、〝よろずや〟が何故繁盛しているかといえば、やはり立地のよさが挙げられた。
当時は西部開拓時代が始まったばかりで、アメリカ東部から西部へとつながる確立された道は、まだ一本しかなかった。〝よろずや〟の周囲百キロに、他の宿はなく、旅人に選択肢はなかったのだ。
ただ、立地以外にも魅力はあった。娘のケイト・ベンダーだ。ケイトは母と異なり、たいへん愛想がよい上、はしばみ色の瞳はたいそう魅力的だった。また、強い「心霊力」をも備え、彼女の占いや交霊術目当てに、千キロも先からやってくる客もいるほどだった。さらにいえば、ケイトは自由恋愛主義を声高に主張しており、気に入った客がいれば、すぐに夫婦的な行為に誘った。中西部の淫らな魔女の噂に惹きつけられた旅人も、かなりの数に上った。
もっとも、一軒宿のよろずやから五キロほど離れたところにあるベリントンの街におけるケイトの評判は最悪だった。街はもともと心霊主義者たちが作ったものだったから、その点は問題なかったのだが、ケイトが街の男たちの大半と寝ると、女たちは一様に憎しみを滾らせた。彼女らのなかには、ケイトを殺そうと斧を持ち出したものまでいた。
しかし、じっさいにケイトが襲われることはなかった。
理由はベンダー一家の二人の男、父親のジョン・ベンダー・シニア、息子のジョン・ベンダー・ジュニアである。
シニアは、妻のエルヴィラ同様、誰とも話さない男だった。妻のように不機嫌な態度を巻き散らすわけではないが、常に貝のように押し黙っている。妻の方は言葉をかければ、目線を向けることくらいはあるのだが、シニアはどうやら言葉そのものを理解できないようだった。のちのち、聞かれた話では、シニアは当時のドイツからの移民1世で、英語をまったく話せなかったということだった。
宿の中でも外でも、シニアは妻エルヴィラのわずかな指の動きや顎の動きに従って、黙々と働いていた。彼がエルヴィラを見つめる目には、どんなに鈍感な人間でも気づけるほどに深い愛が篭っていた。もちろん、娘と息子に対してもだ。
寡黙な男の家族に手を出せば、確実な報復が待っている。
近隣の女性たちが娘のケイトに怒りを募らせるたびに、誰ががシニアについて警告するので、結局、女性たちが行動に移すこともなかったのだった。
もっとも、女性たちを鎮めるに当たってはジョン・ベンダー・ジュニアの貢献も大きかった。
ジュニアはケイトに似た、美しい顔立ちの持ち主だった。背は高く、均整の取れた体つきをしており、炎のように赤い髪と合わさり、若い娘たちからはアポロンのようと評されていた。
ジュニアは家族の中でも、とびきりの愛想良しだった。常に微笑みを絶やさず、老若男女誰に対しても、幼児のように、ひとなつっこく話しかける。
じっさい、彼の頭の出来は幼児程度のものだった。複雑な受け答えはできず、少しでも混み合ったことを聞かれると、ニコニコとした笑顔を返すだけだった。
近隣の男たちは、ジュニアに〝うすのろ〟とあだ名をつけてからかったが、本心から疎んでいるわけではなく、一応、コミュニティの一員として承認していた。
その妻たちは、姉のケイトには苛立ちを抱いていたものの、朗らかで美しいジュニアには好感を抱いており、街にジュニアがふらふらやってくる旅に、お茶をご馳走したり、菓子を与えたりするのだった。
そんなわけで、ベンダー一家は、かろうじて周辺に受け入れられており、そのために彼らが〝よろずや〟で行なっている連続殺人の発覚は、遅れに遅れたのだった。
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「お客様はもちろん〝特別席〟よ」
ケイト・ベンダーが、たくましい鉱夫の腕を取り食卓へと導いた。
〝よろずや〟は小さな一階建で、なかはとても狭い。部屋はなく、一枚のカーテンで客間兼食堂と、家族が暮らす空間が仕切られている。
この日の客は、この鉱夫一人きりだった。
彼は、ケイトの噂を聞いてきたわけでもなく、単に旅の都合で〝よろずや〟に泊まることとなった。
東海岸を出て、ひと月以上馬に乗り続けているのに、男も表に繋がれている馬も快活そのものだった。身体中から生気が溢れ出している。
鉱夫はケイトの指した誕生日席に腰を落ち着けた。
「これは、見事な料理ですな」と、賛辞を述べる。
テーブルの上には、七面鳥のローストに山盛りのジャガイモ、木のカップに注がれたビール、小麦のパン、ニンジンと玉ねぎのスープが並んでいた。
先にテーブルについていたジュニアが、柔らかな笑顔を見せた。
「おきゃくさんがいるひは、とてもすてきなメニューになるんだよ。おれ、うれしい」
「ジュニア」エルヴィラが冷たい声でいった。「誰があんたに話せっていったんだい? あんたがいつ話すかはあたしが決める。いつ誰が何をするかは、あたしが差配するんだ」
「ごめん、ママ」
「はっはっは、なかなかに躾が行き届いておりますな。なに、わたしはかまわんですよ」鉱夫は笑った。「にぎやかな食卓はいいものですからな」
「そうかい」エルヴィラはナイフを取ると、パンにバターを塗り始めた。「ケイト、食事の時間だよ」
「はーい、ママ」ケイトがジュニアに近づき、その額に口付けてから身をかがめ、テーブルの下から大きなタライを取り出した。金属製で、直径一メートルはある。あちこち凹み、薄汚れていた。
鉱夫がいった。
「それは? それとまだご主人が見えられていないようですが」
「ああ、そうだね。あんた! 食事の時間だよ!」
エルヴィラの声が消えぬ間に、鉱夫の背後のカーテンの隙間から、ハンマーを握った手がぬっと突き出した。
手がハンマーを振り下ろした。
錆び付いたハンマーヘッドが鉱夫の後頭部にめりこみ、鈍い音がした。
鉱夫が「お、お」と、いいながら前のめりになったところでエルヴィラが素早く鉱夫の髪を掴み、頭を持ち上げて、首にナイフを走らせた。
ケイトが吹き出した血を、うまくタライで受け止めた。鉱夫は足をばたつかせる。足の動きに合わせて血の勢いが増す。二十秒としないうちに鉱夫の体から力が抜けた。
「やったあ! だいせいこう!」ジュニアがパチパチ手を叩いた。
カーテンが開いてシニアが出てきた。
うぉー、と両手をあげる。
ケイトがシニアに「やったね!」とウインクした。
エルヴィラは頷いた。
「ぞくぞくしたねえ。ああ、たまんないね!今日も、みんな見事だったよ。さ!お楽しみのあとは後片付けだよ」
ジュニアが、座ったままタライに頭をつっこんでいる遺体の懐を探った。嬉しそうに金袋を取り出す。
「いっぱいあるよ!」
エルヴィラがひったくった。
「ふん、こんなこぎたない旅行者のわりには、ずいぶんと持ってるねえ。神はいつでもあたしたちのそばにいらっしゃる。楽しみに加えて金までくださるんだからね」
彼女は袋の中に入っていた書類を取り出した。一読して顔をしかめる。
「どうしたの、ママ?」と、ケイト。
エルヴィラはむっすりした顔で書類をエプロンのポケットに押し込んだ。
「なんでもないよ。さあ、さっさと下に落としちまいな。あんた!」
シニアがカーテンの裏からのっそりと出てくる。
シニア、ジュニア、ケイトの三人は金盥をどかし、遺体を床板の上に置いた。
シニアが床板の一枚をはずすと、金属のレバーが現れた。彼が引くと、遺体の真下の床がパカリと割れ、鉱夫は床下の地面の上にどさりと落ちた。
よろずやの床下は地下室といえるほどに掘ってある。このあと、シニアとジュニアが遺体を地面の下に埋めることになる。
「さあさ、みんな、飯にしよう!」
エルヴィラが手を叩いた。
各々、自分の席に着く。
ケイトがいった。
「ほんと、ママが戻ってきてくれたおかげで、とってもスムーズになったわ」
ジュニアがうなずく。
「ママがいないときは、たーいへん、だったんだよ」
シニアが目の動きで同意を伝える。
エルヴィラが笑った。
「あんたらは度胸が足りないのさ。この楽しみに必要なのは男らしい度胸さね」
ケイトがエルヴィラの手をとった。
「ママ、もうどこにもいかないでね。ずっといっしょなんだから。わたしたち、ママがいないとなんにもできなんだから」
シニアとジュニアも手を重ねる。
エルヴィラは笑った。
「当たり前さね。あたしたちは四人でずっと仲良く楽しく暮らすのさ」
だが、三か月後、ジュニアとシニアは軍に殺された。
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