シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

多重人格vsおそらく毒入り手作りクッキー

公開日時: 2020年9月12日(土) 22:09
更新日時: 2021年2月15日(月) 22:51
文字数:3,982

 カミーユがいった。


「わたしは〝あり〟だと思うの」


 夕は桜木町駅前のコーヒーチェーンのテラス席で、まちこを待っていた。〝喫茶店〟で一度別れてから二時間、待ち合わせの時間まであと10分だ。まもなく17時。時短勤務のママさんたちがランドマークタワーにつながる空中通路の降り口から、駅に吸い込まれていく。


「兄さんはどう?」と、カミーユ。


「夕の恋人にする? 反対だな。危険すぎる」


「えー? 大丈夫よ」


「ヴォワザンの生まれ変わりなんだぞ? どうして信じられる?」


「あの子自身も含め、誰も信じてないからよ」


「意味が分からんな」と、兄。


 カミーユが兄好みのブラックコーヒーをすすって顔をしかめた。


「誰か一人くらいは信じてあげないと。人は人に信じられることで変わるものよ。わたしがそうだったようにね」


 カミーユがため息をついてから、コーヒーに砂糖とクリープを鬼のように注いだ。


〝兄〟が「糖分と脂質は控えろ。筋肉に悪い」と、いったが、カミーユは気にせず飲む。


 彼女がコップを置いたところで、〝兄〟がいった。


「夕、あの娘に気を許すなよ。〝仲間〟と〝心を許していい相手〟は違うんだからな」


「兄さんはいつもそればっかり」と、カミーユ。「気を許すな。油断するな。誰が敵かわからない。そんなだから夕に本当の友達ができないのよ。このままだと、この子もあたしみたいに孤独な人生を送ることになるわ」


「代償が死だぞ」


「ただ一人でも愛する相手を得られるなら、命をかける価値があるわ」


 なんだよ二人とも。夕は少し憤った。まるでぼくに友達がいないみたいじゃないか。

 


☆☆☆☆☆

 


 周囲の客がざわついた。


 みな、視線を駅の改札方向に向けている。


 夕が首を伸ばすと、一人の女性が見えた。完璧なプロポーションの持ち主だ。小さな頭に、豊満な胸、引き締まった腹。その体をお姫様のようなフリフリのドレスで包んでいる。彼女が一歩足を動かすごとに、裾のレースが華麗に揺れる。とんでもない服装センスだが、目鼻立ちが日本人離れしているので、違和感はあまりない。腰まである長い黒髪が、夕日を浴びて煌めいていた。


 お姫様は、まっすぐに彼の前に来ると、向かいの椅子を引いて座った。


「今日はありがとうございます」と頭を下げる。


「まちこさん?」と、夕。


 まちこが申し訳なさげに縮こまった。


「わかってるんです。いまの日本でこれはないって。ただ、美的感覚が前の人生を引きずってるせいで、どうしてもこれがいちばん可愛く思えるんです」


「い、いえ、すごく似合ってますよ」


 夕の言葉に、まちこが顔を赤らめた。


☆☆☆☆☆

 

 なーにが「似合ってます」だ。


 慧は二人から十歩ほど離れた席で、ベースターズのキャップを目深にかぶり直した。


 体のラインが出ないダボダボした服に、でかいサングラス。ヴィッグも使っているので、知り合いに見られても容易には気づかれないはずだ。


 アイスコーヒーをすすりながら、二人の会話を盗み聞きする。


「正直、まちこさんの嗜好がうらやましいです」


「え? ドレスを着たいってことですか? ま、まあ、夕さんのなかには女性の人格がいるようですから、女装は自然な願望かもしれませんね」


「そうじゃなくて。前世から受け継いだ、生まれながらの嗜好があることが羨ましいんです。クラスでも、みな、思春期を迎え、多かれ少なかれ前世の影響を受けて変わっていくのに、ぼくにはそれがない」


「たしかに、一般人でも、わずかに引き継がれた前世が、現世人格と融合して変化を引き起こしますね」


「そう、それが成長の一般的な過程だ。でも、ぼくの前世たちは、ぼくと溶け合わず、個々の人格を保ってるから。ぼくは何も変われない。ぼくはずっと子供のままなんだよ」


「むしろ〝純粋なまま〟というんじゃありませんか? わたしたちが夕さんに感じる殺人欲は、そこから来てるのかもしれませんね。前世にまったく汚されない、完璧な精神的純潔。それが魅力的なのかも」


 いや、夕のやつはそれだけじゃない。慧は空になったグラスをすすりながら思った。わたし含め、殺人鬼たちの夕への昂りは異常すぎる。あの〝兄〟は、もっと何かしてる。人間という肉食獣が、研究を重ねて、最高の草食獣であるブランド和牛を作るように、殺人鬼を惹きつけるために、夕を“仕上げて”いる。


 視界の端で、まちこが動いた。


 一礼して、ハンドバックのなかから小さな包みを取り出す。


 夕が顔を硬らせた。

 


☆☆☆☆☆

 

 まちこが頭を下げた。


「今日はありがとうごいます。おかげで、生まれて初めてデートできました」


「まだ来たばかりじゃないですか?」と、夕。


「はい。でも、夕さんが素敵すぎますから。ここまで我慢できただけでも自分を褒めたいくらいなんです。なので、ひとまず今日はこれで」


 まちこがハンドバックから小さな包みを取り出し、彼の前に置いた。


「これは?」と、夕。


 まちこが顔を赤くした。


「クッキーです。今日のお礼にと思って大急ぎで焼いてきました」


「へ、へえ」


「あ、もちろん毒がご不安かと思いますので、なんでしたら途中で捨てて帰っていただいても」


「まさか!嫌だなんて」


 彼は手を伸ばそうとしたが、途中で止まった。


 止めたのは〝兄〟だ。


 まだ完全に表に出られるわけではないようだが、上腕二頭筋のコントロールを握ろうとしている。


 まちこが頷いた。


「置いていってもいいんですよ」


「まさか! 兄さん!」と、夕。


〝兄〟が彼の口を動かした。


「お言葉に甘えろ。今日のところは置いていくんだ」


「ダメよ!」カミーユが割り込んだ。「この子が一生懸命作ったものよ。ちゃんと食べなさい」


 手がクッキーに近づく。


「バカか。彼女はヴォワザンなんだぞ?」


 また手が止まる。


「違う。この子は〝まちこ〟ちゃんよ」


 手が紙袋を掴む。


「二人とも、ちょっと静かにしてよ」


 夕は紙袋を開けた。円盤型のクッキーが、一枚一枚丁寧にビニールで包まれている。


 まちこは目を伏せていた。


 横から差し込んだ夕日が、彼女の影をテーブルの脇に長く伸ばしている。


 お姫様の形をした影絵は、手をぎゅっと握りしめていた。

 

 夕は目の前のクッキーを見つめた。


 

☆☆☆☆☆


 

 夕は改札の外からまちこに手を振った。


 まちこは笑顔で手を振り返しながら、ホームへ続くエスカレーターを登って行った。ドレスの裾がひらひらと揺れ、周囲の男性たちが目線で追いかける。


「あなたに惚れたわね」カミーユがいった。


「またそんな」夕は手を下ろした。「彼女がぼくに惹かれたとしても、それはぼくの〝特性〟のせいだよ」


「いいえ、そんなの関係なく好きになったと思うわ。いったでしょう? 彼女は信じていいって。どうよ兄さん?」


〝兄〟は出てこなかった。

「すねちゃって」と、カミーユ。「で、夕、〝もう一人の子〟の相手もしてあげなさいよ。さすがのあなたでもあれは気付いてたでしょ」


 夕はうなずいた。


 彼女ほど美形だと、ちょっと変装したくらいでは変装にならないのだ。まちこが現れる前までは、彼女が周囲の視線を独占していた。


 彼はコーヒーチェーンに戻ると、彼女の向かいの椅子に座った。


「気付いてたんだ」と、慧。


 日が沈みかけているのに、彼女はサングラスをかけたままだ。


「検見川さんは自分で思うより目立ってるんだよ」


 彼女はキャップを目深にかぶり直した。


「ご忠告どうも」


 夕は眉を寄せた。


「なんか機嫌悪い?」


「そんなことない」


「あるよ」


 慧が苛立たしげに舌打ちした。


「あんたがまちこを口説いたのが我慢できないだけ。殺人鬼のくせに」


「口説く?」


「いま、わたしたちのチームはうまく回ってるの。邪魔しないでくれる?」


 ふいに、〝兄〟が会話に入った。


「回っているだと? そうは思えないな。俺の見たところ、お前らはみな崖っぷちだ。じきに、ミイラ取りがミイラになるぞ。とくにお前はな」


〝兄〟が手を伸ばし、彼女の顔からサングラスを奪って、〝引っ込んだ〟。


 慧は食い入るように夕の顔を見つめていた。


 西日を受けて、黒く大きな瞳が燃えている。


「ごめん」彼は手の中のサングラスを差し出した。


 彼女は優しく微笑むと、左手でその手を掴み、右手の人差し指を彼の眼球めがけて突き出した。


〝兄〟が瞬時に体を統率し、空いた手で指突を受け止めた。


 慧が愕然とした表情になった。


〝兄〟がいう。


「己すら御せないやつに〝狩り〟は荷が重い」


「動けたの?」と、夕。


「いまさっきからな。そうでなけりゃ、わざわざ試すか」


 慧が手を振り解いて立ち上がった。


「わたしはちゃんとできるわ!」


「いまのざまでか?」


「それは夕が、ふつうじゃないからよ」


「いいや、違うーー」


〝兄〟が言い終わる前に、慧は走り去った。


 カミーユが小声でつぶやく。


「怒らせちゃった」


「俺は巡への義理もあるから、一言忠告しただけなんだがな」


「兄さんは、あの年頃の女の子ってものが、まったくわかってないんだから」


 夕が深刻な口調でいった。


「それより、彼女、会計を済ませてないんだけど」


 

 ☆☆☆☆


 

 どうやって、代金を回収するべきか。


 翌朝、彼は頭をひねりながら、教室の扉を開いた。


 みなの前でいったり、どこかに呼び出すことは難しい。


 彼は慧に振られたことになっているのだ。あのときは、散々ネタにされた。あんなのは二度とごめんだ。


 とはいえ、〝兄〟のプロテイン代や、カミーユのスイーツ代に消えていく食費を考えると、五百七十円は捨てがたい。


 悩みながら目線で慧を探す。


 いない。


 まだ登校していないのか。


 ところが、彼女は予鈴が鳴っても現れず、そのまま遅刻した。


 昼になっても現れない。


 クラスメイトがざわつき始めた。仲の良い女子たちがラインを送っても返事がないという。


 午後一の授業は担任の中年男性が受け持つ古文だった。


 女子の一部が慧のことを問うたところ、担任はハゲかけた頭をかきながら、「あー、親御さんからさっき連絡があった。検見川は体調不良で当面欠席するそうだ」といった。


 翌日も、さらにその翌日も慧は登校しなかった。

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