ユートンの自室の勉強机に置かれたスマホのなかで、巡が古代バビロニア語で笑った。
「はっはっは。それは傑作だな」
「笑ごとじゃないわい。おかげでわしは乙女の裸を横浜中にさらすことになったんじゃからな」
ユートンは英語の宿題帳に答えを書き込みながらいった。明日は小テストがあるのだ。
「で、ベンダーズはどうすればいいんじゃ? メールでもいった通り、愛は三つ子をガールズに入れるつもりじゃぞ」
画面の中の巡はいつものスーツ姿だった。ソファに身を沈めながら、足を組む。
「当面は正式なメンバーではなく、愛くんの部下という扱いかな」
「いいのか? そもそも、愛も含めて連中は改心したわけではないんじゃぞ?」
「愛くんがスリルを求めているだけということは知っていたよ。でも、いいじゃないか。たいせつなのは結果だ。ベンダー一家は一般市民を殺さなくなった。そしてわたしたちは破滅派を狩りだせる」
「ずいぶん割り切っとるの」
「ラザキエルをあぶり出すには、とにかく大量の破滅派ビルガメスを捕えなければならないからな。きみの計画通りだよ」
ユートンが鉛筆で鼻の頭をかいた。
「現在の捕獲数は?」
「三十三人。ラザキエルと縁が深かった連中はそのうち四人」
「まだまだじゃな。で、今回の出張はどうじゃった?」
「あいにく、ビルガメスではなかった。ふつうの殺人鬼だ。所轄に引き渡してきたよ」
「また空振りかい」
「そっちは? 明日はガールズの定例会だろう? メンバーからの情報の集まり具合は? 破滅派らしきビルガメスはいたか?」
「わしとまち子はゼロ、瑠璃が一人、愛が四人」
巡が身を起こした。
「四人?それはすごい」
「ベンダーズの連中、頭は悪いが嗅覚はなかなかのもんじゃ。それと、彗のやつも一人心当たりがあるとかいうとったぞ」
巡が顔をしかめた。
「野々市くんが? それは、心配だな」
「わしもそう思う。あやつは手柄を立てようと焦りすぎとるからのお。じゃから、まち子にフォローするよういうといた」
「くれぐれも、わたしが帰るまでは軽はずみなことはしないよう、目を光らせておいてくれよ。ガールズの仕事はあくまでも殺人鬼を見つけるまで、処理はわたしが行う」
「わかっとるわい。精神年齢1000歳以上のビルガメスを相手にできるのは、〝狩人〟だけじゃからな。まったく、ほかの狩人が転生してくれば、お前さんもちっとは楽になるじゃろうに」
巡が首を振った。
「前世のロンドンで早死にしすぎたからだろう。あのとき交流があった狩人は〝名無しのミロン〟だけだ。彼以外の狩人とは縁が薄くなっている」
「早死にのお。まったく、わしがいればそんなことにはならなんだものを。ミロンとかいうやつも、噂ほどではないようじゃな」
「君は彼と同時代になったことがないのか? なかなかの偶然だな」
「わしとやつは縁がないんじゃろ。くそっ」
ユートンが頭を抱えた。
「どうした?」と、巡。
ユートンは英語の練習帳を叩いた。
「難しすぎるんじゃ! わしはこの二千年、一度も東アジアから出たことがないんじゃ! ラテン語ならともかく、なんで英語なんぞを学ばねばならんのじゃ!」
「君が破滅派に殺されたせいだろう。そのために中華圏の発展が阻害され、阿片戦争での大敗北につながった。あれがなければ、いまごろ中国語が英語の地位にあったかもな」
「おのれ、ラザキエルめえ〜」
ユートンは鉛筆を片手でへし折ろうとしたが、女子様小学生の力では不可能だった。
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横浜駅相鉄口からまちこが出てきた。
制服姿の彗は交番前で手を振った。
「ここ、ここ!」
同じく、制服姿のまちこが駆け寄ってくる。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって」
「いいよ、わたしは学校からの最寄りがここだけど、まちこは山下公園じゃない。わざわざこっちに来てもらってるんだから。まったく、ユートンも巡さんも心配性なんだから。わたしはテッド・バンディだよ?」
「でも、相手はブルース・リーかもしれないじゃない。リーが殺人鬼になることはないと思うけど」
「どうかなあ。あいつを見たら、誰でもグラッとくると思うんだけど」
彗はそういって、ビッグカメラを指した。
男子学生が一人、店先に並んだ携帯を触っていた。中肉中背、とりたてて特徴のない顔だ。
「彼が、彗ちゃんの見つけた獲物に狙われている獲物? たしかに、その、なんというか、不思議な魅力があるね」
「わたしもあいつの変な引力に気づいたのは最近なんだ。春先から同じクラスなんだけど、ついこのあいだまで存在にすら気づいてなかったってのに」
「あれで、よくこの歳まで生きてられたわね」
「じっさい、もう狙われてるよ。ヤバい感じのやつ。間違いなく、巡さんのいってたビルガメスの殺人鬼だと思う」
男子高校生がビッグカメラの売り場を離れた。通りの角を曲がり、平沼橋の方向に進んでいく。
「行こう」
彗の言葉に、まちこがうなずく。
二人は駅舎の影を離れ、うだるような真夏の陽光のなかに踏み出した。
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