シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

バトルin相模原鉄道

公開日時: 2020年9月10日(木) 23:35
更新日時: 2021年2月15日(月) 22:50
文字数:3,662

 理科準備室は、薬品臭が漂っていた。


 カエルやトカゲのホルマリン漬けがガラス戸棚に所狭しと並んでいる。


 年十年も前に作られたのか、ホルマリン液は茶色く濁っている。


 慧は腕を組んで、「施錠確認」の注意書きが張られた薬棚にもたれた。


 切れ長の目で夕を睨む。いつも通りの美少女ぶりだ。


「巡さんはああいったけど、わたしたちは納得してないから」

 

 夕は苦笑した。

 

 当然か。告白のはずがない。慧は学校全体のマドンナ、自分はただのモブだ。

 

 彼女が指を突きつけた。


「それから勘違いしないで。昨日、不覚をとったのは、きみがひ弱な獲物を装ってたからよ」


「そ、そう」


「だいたいなんなのよ。なんでそんなに隙だらけなわけ?」


 慧が歯を食いしばった。何かを堪えるように自分の肩を掴む。


 夕は頬をかいた。


「ぼくは殺人鬼に狙われやすい体質なんだよ」


 “兄”が夕に“影響”を与えてそうしたのだ。つまり彼は〝エサ〟だ。気分のいいものではないが、いまは自分の役割を受け入れていた。


 慧が舌打ちした。英語で「そういうことかよ」と、毒づき、傷ついたような表情になった。


 床を見つめたまま大声でいう。


「今後、わたしに関わらないで。わたしに近づかず、話しかけないで!」


 彼女は目を合わせることなく、逃げ出すように準備室を出て行った。


 夕は息を吐いて、彼女が開け放した扉を閉め直した。


「どうしよう、兄さん」


「かまわん。どのみち、昨日、表に出たばかりだからな」


 時間制限。転生を繰り返す中で“兄”が無意識下に擦り込んだ自己ルールだ。兄が表に出っ放しで現世人格の人生を奪ってしまわないよう、発声以外の操作には縛りがある。一度表に出るとしばらくは出られない。


「でも、検見川さん、危ないんじゃ」


「いまは気にするな。俺が表に出られるようになったら、また考えればいい」


 

☆☆☆☆☆


 

 始業時間直前に教室に戻ると、〝夕が無謀にも慧に告白し、玉砕した〟ということになっていた。クラスメイトたちが彼の顔を見つめ、どこか楽し気にひそひそ話している。


 最悪だ。彼の自席で頭をかかえた。さきほどの彼女の大声だ。誰かがあの部分だけ聞いたなら、ぼくがこっぴどく振られたとしか思えない。


 当の慧はすまし顔でスマホを叩いている。噂を訂正する気はないらしい。


 ちょっとちょっと! と思ったが、詰め寄ることはできなかった。


 彼は目立つことが嫌いなのだ。


 殺人嗜好を隠し通すために過去の人格たちが身に着けた習性だ。

 

 それが、現世の人格である彼にも染み出している。

 

 ふつうこそ最高だ。そして、学校一の美女と噂になることはふつうではない。


 次の休み時間になっても、クラスの皆は、まだ夕と慧について騒いでいた。ほとんどが慧のまわりに群がり、五人ほどの男子が夕のそばに張り付いた。彼は壊れたレコードのように「何もなかったから」と繰り返した。だが、数少ない友人たちはまったく信じる風がない。おまけに、慧の方の集団で何度も笑い声が起きていた。


 なにをどう話しているんだ? 彼は一刻も早く授業が始まるよう祈った。


 幸い、昼休みがはじまるころには、みなの話題は今夜の金曜ロードショーで放映されるジブリ映画に切り替わっていた。


 夕は影が薄い。だから、彼についての噂はあっという間に消えていく。


 人は彼に興味を抱かない。彼に興味を持つのは殺人鬼だけだ。


 とはいえ、寂しくはなかった。彼には愛する家族がいるし、心の中にはもう一つの家族もいる。


 午後、すべては平常に戻り、彼は卒なく学校生活をこなした。勉強、スポーツ、教師への対応、すべてに抜かりがなく、すべてほどよく抜けている。


 終礼のチャイムが鳴り、手早く帰り支度を済ませ、下駄箱の角を曲がったところで、慧に出くわした。


 彼女は露骨に顔をしかめると、無言で靴を履き替えて外に出て行った。


「ご愁傷さま」姉のカミーユが小声でいった。「ずいぶん嫌われちゃったね」


 夕はスマホを取り出すと耳に当てた。こうすれば、誰かに自分自身とのおしゃべりを見られても、ある程度は誤魔化せる。


「彼女がぼくに惚れてるとかいってたくせに」


「あら、好きと嫌いは表裏一体よ。あのコはいま悩んでいるの」


「はいはい」


 彼は校外に出ると、歩きながら財布の中身をチェックした。

 

 カミーユが小声でいう。


「昨日のプロテインが余計だったわねえ」


「なにをいう、あの魔法の粉を飲まないと筋肉が成長しないだろうが」と、兄。


「昔みたいにササミで我慢してよ。とにかく、夕、できるだけ急いでね。鶴亀の特売日なんだから」


 彼が早足に歩を進めると、前方に慧が見えた。彼女も彼に気づいたらしく、素早く角を曲がって道を変えた。念のため、彼も道を変える。が、横浜駅に近づくとまた出くわした。彼はあわててルートをさらに変更したが、あろうことか相鉄線のホームでまたかち合った。

 

 慧が彼に詰め寄った。


「なんでついてくるのよ!」


「通学ルートなんだから仕方ないじゃないか」


 彼も彼女も相鉄線ユーザーだ。もっとも、普段の夕は走って学校まで通っている。五キロ近い道のりを走るのは、もちろん「兄」だ。

 

 慧がいった。


「とにかく、わたしに近づかないで!」


「いや、わざとじゃないんだって」


 彼が手を振ったところで、急に彼女の表情が変わった。その視線は彼の背後を捉えている。


「振り返らないで」と、慧。「ご同類だわ」


「え?」


「気配を感じないの?」慧が驚いたようにいった。「きみの斜め後ろ、三十半ば、スーツ姿のサラリーマン。うっすらあごひげを生やしてる。いかにもデキそうな感じね。腕時計はロレックスサブマリナーよ」


「兄さんは殺気を感じてると思うけど、ぼくはわからないんだ。まいったな。兄さんは、いまちょっと表に出られないんだよ」


「君に協力してもらおうなんて思っちゃいないわ」


 発車ベルが鳴り始める。


 慧はゆっくりと電車に乗り込んだ。夕もそれに続く。ドアが閉まり始める、と、慧がいきなり夕をホームに蹴り出した。あまりにもスムーズな蹴りだったため、衝撃は少なかったが、夕はたたらを踏んだのちバランスを崩し、派手に転んだ。


 まわりの客が何が起こったのかと夕を見つめる。


 相鉄線がするすると走り出す。


 窓から見える車内では慧とサラリーマンが対峙していた。


 電車は少しずつ速度をあげて二人を運んでいく。


☆☆☆☆☆

 

 サラリーマンが腕時計を確認した。


「グリニッジ標準時で十六時十七分ですか。参りましたね」


 細面の顔は柔和で、とても殺人鬼の類とは思えない。


 車内はガラガラ、座席に座る客はまばらだ。みな、スマホに夢中で慧たちなど気にもとめていない。さきほどの蹴りを見ていたものもいないらしい。


 全開に開いた窓の外では、平沼橋の黄緑のガスタンクが後方に流れていく。風が、慧の髪をかき乱した。文芸春秋のつり革広告が激しくはためく。


 サラリーマンがスーツの袖をまくる。


 腕時計が鈴なりに二の腕まではまっていた。どれも高級品だ。慧のなかのバンディの記憶が、ひとつ数千ドルはくだらないことを教え

てくれる。


 男は、手首から二番目の時計の盤面を叩いた。オートマ・ピゲだ。


「裕太のお迎えを考えると、自分が横浜にいられるのはあと五十六分十五秒ですね」


 三番目を叩く。タグホイヤー、七十年モデル。


「家に帰り、裕太をお風呂に入れ、料理をして妻を待つ。これはたいへんだ。できればあと二十七分以内に帰りたい」


 四番目をたたく。オメガシーマスター。


「今日は、巴とセックスをする日です。開始時間は十時から。おや、ますますいけない。どうやら、あなたに使える時間は十三分ですね。で、あなたはいったいどなたなんです? なぜ、わたしの想い人を蹴り飛ばしたんです?」


 慧は長い髪を後頭部で団子にした。


「同類だからよ」と、英語でいう。


 男がうなずいた。


「よくわかりました。あなたも彼に焦がれているんですね」


「ぜんっぜん違うわ! わたしの好みはもっと落ち着いて紳士的で理知的な人よ。あいつはただのクラスメイト」


 男が眉を寄せた。


「それは、つまり無関係ということ?」


「そうね、あたしとあいつはただの他人」


「ではわたしに譲っていただけませんか? わざわざ埼玉から来ているのです。ティックトックで見かけた彼を求めて、三ヶ月も横浜に通い詰めたのですから」


 ティックトック? あいつそんなことしてるの? 慧は思った。まるで殺してくださいといわんばかりじゃないの。いや、そうやって〝釣ってる〟のか。


 慧はアメリカ人のように肩をすくめた。


「譲れないわ」


 さきほど彼は“兄”が出てこられないといっていた。


 バカなの? “兄”抜きのときに襲われたらどうするつもりなのよ。 


「わたしには人の命を守らないといけないの」


 それがわたしの贖罪だ。


 男がため息をついた。


「参りましたね。そういう連中がいると聞いたことがあります。ずいぶんとたくさんの仲間を始末しているらしいですねえ。一応聞きますが、見逃してくれる気はありますか?」


 慧は肩をすくめた。


「ですね」サラリーマンはつぶやくと、いきなり彼女に抱きつき、そのまま開きっぱなしの窓から彼女ごと身体を投げ出した。


 一連の流れはあまりに静かで、顔をあげる乗客はいなかった。

 


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